2025年8月31日(日)10:00-12:00
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- 蓮實重彦における記号と反記号──表象文化論のメソドロジーに向けて/入江哲朗(東京外国語大学)
- 「冥の会」における領域横断的な協同作業──『メデア』(1975)の作劇・演出上の仕掛けについて/新里直之(京都芸術大学)
- 「NTR」はいかにして成立したか──美少女マンガ誌『コミックコーヒーブレイク』(富士美出版)の分析/森田百秋(京都精華大学)
【司会】大橋完太郎(神戸大学)
蓮實重彦における記号と反記号──表象文化論のメソドロジーに向けて/入江哲朗(東京外国語大学)
本発表のモチベーションは、「表象文化論入門」の担当という教務ゆえに発表者のなかで強まった、表象文化論のメソドロジーを求める思いに存する。これを叶えるための手段として本発表は、表象文化論という学問分野の確立に寄与した蓮實重彦を俎上に載せる。より具体的に言えば本発表は、表象文化論ならではと形容しうるアプローチの明示化を目標に据えつつ、記号をめぐる蓮實の言説を分析する。
「表象」(representation)という語は、「記号」(signないしsymbol)や「記号作用」(signification)などの近傍にある。ゆえに「表象文化論ならでは」の探究はおのずと、記号論(semiotics)との差異化を伴う。表象文化論の立役者たち──蓮實を含む──はその差異をしばしば、記号作用を条件づけている(政治的or文化的or歴史的or唯物論的or……)力学との交渉に求めた。
「記号」は蓮實の批評のキーワードであるが、実のところ「反記号」も同様である。記号をめぐるこの見かけ上のアンビヴァレンスは、互盛央が論じたとおり、蓮實の批評にとってその価値の一源泉である。他方でそれは蓮實において、語「抽象的」の一貫した悪口的使用に帰結してもいる。本発表は、あえて後者の側面を批判的に検討することにより、どのようなかたちでなら蓮實の批評のアプローチを表象文化論のメソドロジーに組み込みうるかを考察する。
「冥の会」における領域横断的な協同作業──『メデア』(1975)の作劇・演出上の仕掛けについて/新里直之(京都芸術大学)
「冥の会」は、能・狂言の役者、新劇の俳優、演出家、評論家らによって1970年に結成されたグループであり、1976年までギリシアやローマの古代悲劇や前衛戯曲などを素材とする実験的な舞台を発表している。その活動は、伝統演劇と現代演劇の垣根を超える協同のフィールドにおいて表現行為の根拠を問い直す、他に類例を見ない先駆的事例でありながらも、従来の批評・研究ではその真価が充分に見極められてきたとは言い難い。
本発表は、冥の会の代表作の一つである『メデア』(1975年、セネカ作、渡邊守章訳・潤色・演出、観世寿夫ほか出演)に焦点をあて、独自の上演関係資料の調査にもとづき作品の生成過程を跡づける。その上で、作中人物の心理や情念の表出に加えて祭儀や侵犯行為にちなむ啓示の言葉が織りなされているテクストの特性、また能楽の技法を起点としながらも異なる領域へと拡張していく俳優の身体演技のありようについて、作劇・演出上の仕掛けという観点から考察する。
グローバル化した現代世界ではさまざまな文化的越境が顕在化しており、今日の舞台芸術においても既存の枠組みを超える交流や混成的なコラボレーションの機会は増えている。そうした現状に対して、領域横断的な協同作業を本領とする冥の会のクリエイションが、どのような示唆を含んでいるのかについても、あわせて論じたい。
「NTR」はいかにして成立したか──美少女マンガ誌『コミックコーヒーブレイク』(富士美出版)の分析/森田百秋(京都精華大学)
本発表は美少女マンガ誌『コミックコーヒーブレイク』(富士美出版)の分析を通じて、2000年頃における「NTR(寝取られ)」ジャンルの成立過程を考察する。NTRとは、主人公の妻や恋人が第三者と性愛関係を結ぶ描写を特徴とするポルノである。同誌には1999年10月号から2000年3月号まで、NTRの金字塔的作品としてジャンルの普及に多大な影響を与えた嶺本八美「LILLIPUTIAN BRAVERY」が連載されていた。その誌面で注目すべきは、掲載期間の一部が同作の連載と重なっていた毛野楊太郎「イケないコとして♡」である。同作は最終話が複数用意されたマルチエンディング方式を採用しており、1999年12月号掲載の「タイプA」ではヒロインが見知らぬ男達に快楽を覚える展開を美少女ゲームの分岐ルートとして表現した。この形式の採用は作者が美少女ゲームの愛好家であったことに加え、出版元と美少女ゲーム会社elfの関係性もふまえるべきである。当時の誌面には「鬼畜」ゲームとして名高いelfの『遺作』『臭作』の攻略情報を扱ったムック『ELF MANIAX』(1999)の広告が繰り返し掲載されており、作者と読者との間に「鬼畜」ゲームが持つ形式と内容が共有されていたと考えられる。
本発表ではelf作品と「イケないコとして♡」の比較を通じて、「バッドエンド」の描写がNTR的な審美性の基盤となっていることを明らかにする。