2025年8月30日(土)10:00-12:00
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  • 作品表現からみる岡本太郎の思想的背景──ドローイングを用いた分析を中心に/石原史奈(武蔵野美術大学)
  • 迂路の形成──1970年代の日本美術における制度批判と複製技術/金子智太郎(愛知県立芸術大学)
  • 開回路におけるセレンディピティ──ナムジュン・パイクのロボット彫刻と宇宙技芸におけるサイバネティクス/佐藤小百合(東京藝術大学)

【司会】沢山遼(武蔵野美術大学)


作品表現からみる岡本太郎の思想的背景──ドローイングを用いた分析を中心に/石原史奈(武蔵野美術大学)

 芸術家・岡本太郎(1911-1996)は、1930年代のパリにおける哲学・社会学・民俗学などの芸術学に限らない学問への探究を通じて、絵画の制作に留まらない広範な活動を繰り広げた人物である。
 岡本の先行研究では、美術史学・哲学・思想史学などの多様な分野で進められているが、交友関係にあった人物の言説に基づく調査が中心であり、作品表現に基づく独自の芸術理論については、十分な検討がなされているとは言い難い。
 加えて、岡本は1954年頃から「芸術の大衆化」を掲げた活動を展開する際に、思考のプロセスを簡略化したわかりやすい言葉を用いていた。そのため、文献調査のみならず、作品に関する詳細な調査を行うことで、岡本の言語化されていない思考に迫ることが可能になると考える。
 以上の問題意識に基づき、本発表では、岡本の絵画の制作過程で描かれたドローイングにおける表現の変遷およびその傾向を読み解く。分析の対象は、美術評論家・瀬木慎一(1931-2011)の論考(2005)において指摘された、戦後から《明日の神話》(1969)までの政治的な動向を反映した10点の絵画のうち、ドローイングの過程が現存する《青空》《燃える人》《瞬間》《若い闘争》《死の灰》の5作品である。そして、これらの作品分析と言説調査の双方の比較を通じて、岡本の作品表現における社会的・思想的な影響関係について考察する。

迂路の形成──1970年代の日本美術における制度批判と複製技術/金子智太郎(愛知県立芸術大学)

 美術評論家の峯村敏明は1970年代前半の日本美術に、それまでに解体された芸術固有の媒体──絵画と彫刻──を再び獲得する試みの始まりを見た。そして、この時代はまだ獲得に至らず、代替としてさまざまな「システム」が作られたと考えた。例えば、柏原えつとむ《方法のモンロー》(1973年)はマリリン・モンローの肖像を手作業、写真、ゼロックスによって連続的に複写、変形する作業からなる。峯村は当時の美術家がシステムを形成するメディアの社会的機能を探らなければならなかったと考えた。しかし、彼自身がこの探究を詳しく検討することはなかった。
 本発表は70年代の日本美術に見られる、記録と再生を反復するという特徴的な複製技術の利用の意義を、作品の参照と同時代の言説にもとづいて再検討する。峯村が語ったような探究は、美共闘世代の美術家や評論家が展開した制度批判と結びついているだろう。制度の内側から境界を問おうとする彼らの姿勢が、特徴的な複製技術の利用に具体化されたのではないか。本発表はこうした議論を展開するために評論家、平井亮一の同時代言説を手がかりとする。彼はシステマティックな手続きを現実の生活との対比において意義をもつと見なし、「迂路の形成」と表現した。平井のこうした議論を作品に即して再考し、70年代の日本美術と社会の関わりについて理解を深めたい。

開回路におけるセレンディピティ──ナムジュン・パイクのロボット彫刻と宇宙技芸におけるサイバネティクス/佐藤小百合(東京藝術大学)

 本発表は、ナムジュン・パイクの《ロボットK-456》(1964)および《ロボットK-567》(1995)の「交通事故死」パフォーマンスを事例に、彼の芸術実践とユク・ホイの「宇宙技芸」概念との理論的連関を提示する。従来パイク作品は、ハイデガーの「危機」と「救う力」に即して読み解かれてきた(Connor 2009; Jung 2017)。しかしハイデガーの技術観は、パイクが生涯批判したヨーロッパ中心主義的枠組みに依拠し、「アジア」に対する偏見も含む(Weinmayr 2005; Yuk 2016)。更に一部京都学派のハイデガー受容は形而上学的ファシズムを助長し、パイクの「故郷」への侵略に間接的に寄与した。本研究はユクの「宇宙技芸」概念を通じ、パイクを西洋的技術哲学の外部から再定位する。
 とりわけ二体のロボットによる連続「事故死」は、パイクが、ハイデガーが「哲学の終焉」と評したサイバネティクス(Yuk 2016)とは異なる帰結を提示していたことを示唆する。従来のパイク研究において言及の少ない《K-567》の「死」の詳細な検討は、パイク独自のサイバネティクス理解(「フィードバック」と「フィードフォース」のループ)への接近に不可欠であった。本稿は、パイクのサイバネティクス理解の象徴的具現であるこれらの事例に、ユクの「再帰性」や「偶然性」に基づくポストヨーロッパ的サイバネティクスの萌芽を見出す。