2023年7月9日(日)16:30-18:30
Komcee East 2階 K212

・自己の身体に対する解像度を上げる──大野慶人の舞踏の稽古/宮川麻理子(立教大学)
・不/自由なダンス──老いを巡るダンスドラマトゥルギー/中島那奈子(ダンスドラマトゥルク) online
・「なりきる」から始まる、自身の表現機会/小川千尋(東京経営短期大学)
【コメンテイター】外山紀久子(埼玉大学)
【司会】小澤京子(和洋女子大学)

 私たちの身体は、しばしば意志による統制や管理を逃れるし、また往々にして一般化・標準化された規範からは外れている。幼年期の身体、病(怪我や障がいを含め)の身体、さらには老いを迎えた身体は、より意志や規範をすり抜けてしまうことが多いだろう。本パネルでは、このままならない身体、不自由な身体に対して、芸術表現がもたらしうる効果を、実践の場から検討する。
 本パネルでは、3名がそれぞれの立場から、ワークショップも含む研究発表を行う。宮川は、大野慶人による舞踏稽古が変容・生成させる身体の内部図式を、中島は、歳を重ねるダンサーの身体をめぐる実践的思考と、「老い」がもたらす共時的・通時的な繋がりの可能性を、小川は、幼年期の「模倣する身体」の取り戻しによる自己の認識や解放を提示する。そのうえで、芸術の身体性に注目し、「ムーシケー型アート」と自己治癒という側面から捉える美学研究者・外山がコメントを行う。ここからは、自己の身体の捉えにくさ、不確かさと、それをめぐる受容や確認、あるいは認識変容のプロセスが浮かび上がってくるであろう。
 本パネルは、身体をめぐる思考と実践のオルタナティヴとして、「規範的」で「完全」な身体やその動きから外れ、こぼれ落ちるものを掬い取る試みである。同時に、卓越化や権力、制度化に絡め取られた「芸術」の隙間や外部に、身体を用いた芸術活動から生まれる、自己確認や自己変容という契機を探るものでもある。


自己の身体に対する解像度を上げる──大野慶人の舞踏の稽古/宮川麻理子(立教大学)

 本発表では、舞踏家大野慶人(1938-2020)の稽古を取り上げ、舞台に立つ身体、「虚の身体/幻想的な身体」はいかに創造されうるのかを検討する。大野慶人は舞踏の創成期から、その創始者である土方巽、大野一雄と共に活動を続けた舞踏家である。分析対象となるのは、2009年からほぼ10年にわたって大野慶人の稽古を受けた発表者の経験とその記録、および稽古の映像である。大野慶人が考える舞踏する身体の創造プロセスの一端を明らかにする。
 舞踏の稽古において、最初に感じられるのは「戸惑い」である。それは一般的なダンスの訓練とは大きく異なり、体の状態を変貌させること、特に大野慶人が稽古参加者に語りかける言葉によって体を変容させることが求められる。言葉が想起するイメージは、具体的に身体変容を促すファクターとなる。その過程で明らかになっていくのは、私たちの自己の身体に対する認識の曖昧さである。大野慶人の舞踏の稽古を通じて獲得される身体は、自らの身体に対する認識の解像度を上げ、自己受容の感覚を研ぎ澄ませ、その結果として「虚の身体」に到達すると考えられる。また大野自身が「ミリ」の舞踏家だと述べているように、その差異は非常に微細なもので、時にそれは外からはわからない身体内部の図式の変容として現れる。
 本発表では、以上のような舞踏の稽古を、具体的な稽古内容とその提示を軸に検討し、私たちの「ままならない身体」が獲得可能な新しい身体の図式を検討してみたい。

不/自由なダンス──老いを巡るダンスドラマトゥルギー/中島那奈子(ダンスドラマトゥルク)

 ダンスドラマトゥルク・ダンスドラマトゥルギー研究は、1990年代以降、既存の研究⼿法を乗り越える形で⽣まれたダンスの実践的研究である。このダンスドラマトゥルギー研究という分野は、伝統的戯曲研究から脱却した舞台芸術の研究アプローチ「プラクティス・アズ・リサーチ」(=研究としての実践)と合流している。発表者はこの一例として、2023年に歴史的建造物である京都府庁旧本館旧議場で実施した、研究としてのパフォーマンスについて理論化する。ここでは、喜多流能楽師とダムタイプ他で活躍するコンテンポラリーダンサーによるパフォーマンスを合唱隊とともに上演した。
 動く身体を扱う舞踊で、〈老い〉は踊り手にとって〈ままならなさ、不自由さ〉を強いる問題となる。発表では、能楽やバレエでのダンサーの引退年齢、作品やダンスカンパニーを成立させるダンサーの条件、型の模倣と解放といった側面から〈不自由さ〉を議論していく。ただ、あらゆる人に訪れるという意味では平等な〈老い〉が、ばらばらな世代、地域、国、時代を繋ぐ一つのリンクになる。加えて、〈老い〉が一人の身体のなかに個人を超える複数の年代を思い描く想像力ともなり、個人の年齢を超えて、歴史空間に存在する遥かなる時間を讃えた生のエネルギー循環となることも示したい。

「なりきる」から始まる、自身の表現機会/小川千尋(東京経営短期大学)

 幼児期は、自己を表現する手段として「何かになりきる」活動を通して自身の身体を存分に動かし、頭で思い浮かべたイメージを表出していく。そして、心と体を解放していくことで、自身の心と身体で感じているイメージを一致させていく。一方、大人になるにつれて、身体を使って自己を表現することは減り、幼児期の頃のように思い切り身体を使った自己表現する機会は減ってくる。自分を表現することは「恥ずかしい」と感じることもあるが、自己の恥じらいを捨てて表現することによって、心が開放され心の奥底に眠っていた自分の気持ちに気がつくこともできる。よって、身体表現活動は、ムーブメントセラピー、ダンスセラピーと言われるようなセラピー的な要素も含まれる。
 そこで今回は、「なりきる」という経験から自己を解放していくことを実践的に行っていく。行う内容は、ストレッチ的な要素から新聞紙を用いて動きの質感を模倣する所へと繋がり、そこからイメージを膨らませダンスの振り付けを作る作業へと展開していく。この実践は、来場者参加型のワークショップとして行う。基本的には来場者の全員の参加を想定し、その場に立ち、ストレッチや、ペアになり新聞紙の動きを模倣する等の動作を行ってもらう。
 本発表を通し、「ままならない身体」から「自己」を認識することを参加者に実感してもらいたい。この実践を通して、幼児から大人までの身体表現活動の内容のプログラム開発へと繋げていくことが、本発表の目的である。