2023年7月9日(日)16:30-18:30
Komcee East 2階 K211

・1948年の「労働(/)運動」映画──『幽霊暁に死す』と『明日は日本晴れ』/紙屋牧子(玉川大学)
・兵士からサラリーマンへ──1950年代から60年代初頭にかけての東宝サラリーマン喜劇を中心に/角尾宣信(和光大学)
・協働と断絶──『嵐を呼ぶ十八人』と1960年代前半の日本映画における「集団」の諸相/川崎公平(日本女子大学)
【コメンテイター】藤井仁子(早稲田大学)
【司会】長谷正人(早稲田大学)

 労働(者)は映画の最初期から重要な主題であった。エジソンは鍛冶屋の労働を(Blacksmith Scene, 1893年)、リュミエール兄弟は工場の労働者を(La sortie de l'usine Lumière à Lyon, 1895)撮った。ここには些かの階級的視線を見出せる。労働(者)の表象はしかし、共産主義の文脈では支配階級を糾弾し、全体主義においてはその土台を構成するものとなる。一方で肉体を殊更に誇示する労働(運動)、そしてその集団化は両陣営のイデオロギーを支える共通の「美」として形式化される(スーザン・ソンタグ)。
 本パネルは左右のイデオロギーに国民が引き裂かれた時代(敗戦、占領、逆コース、安保闘争…)につくられた日本映画に描かれた労働(者)のポリティクスのゆらぎを、以下三者の視点から読み解く。
 まず、紙屋牧子が1948年に撮られた2本の映画のテクストと東宝争議との連関性を読み解く。続く角尾宣信は、1950年代から1960年代初頭にかけての東宝サラリーマン喜劇を例に、「サラリーマン映画」が生成していく背景としての敗戦のトラウマを考察する。最後に川崎公平が、非正規雇用の若者たちの姿を描いた『嵐を呼ぶ十八人』(1963年)に描かれた「労働」と「集団」のありようを明らかにする。
 以上の発表を通して、戦後日本映画に描かれた労働(者)のポリティクスをクロノロジカルに提示する。


1948年の「労働(/)運動」映画──『幽霊暁に死す』と『明日は日本晴れ』/紙屋牧子(玉川大学)

 本発表はいずれも1948年に製作・公開された、マキノ正博『幽霊暁に死す』(C・A・C 、1948年10月12日公開)と清水宏『明日は日本晴れ』(えくらん社、1948年12月7日)に焦点をあて、両者に横たわる同時代的文脈と共振性を明らかにすることを目的とする。
 この2作品は、東宝争議(1946−1948)が最激化した第三次争議の渦中に独立プロダクションが製作し東宝が配給した作品である。だが『明日は日本晴れ』は、あからさまに「組合」側の映画である。つまり本作は田舎の乗合バスの道中をオールロケーションで撮った作品であるが、バスが故障した時に、乗客たちが協力して峠までバスを押してゆく情景を情動的に描いており、ここには一致団結することの尊さが明確に示されている。
 一方で、『幽霊暁に死す』では、教師である主人公は団体交渉に失敗して学校を去ることになるのであり、つまり一致団結することの無力さが表象される。しかし本発表では、おそらく東宝の経営陣からの要請に添って製作された『幽霊暁に死す』のテクストに、実は織り込まれている体制への「抵抗」の表象を、マキノの作家としての政治性・複雑性と共に読み解く。
 そのうえで、2作品に共通して見出せる「労働としての映画」(長谷正人)という問題意識からの検討も試みる。

兵士からサラリーマンへ──1950年代から60年代初頭にかけての東宝サラリーマン喜劇を中心に/角尾宣信(和光大学)

 敗戦後から1960年代中頃まで、日本社会のサラリーマンの過半数は元兵士たちが占めていた。このことは、国家から会社へと元兵士のアイデンティティの支柱が移行した過程として語られてきた。しかし、敗戦から高度経済成長期にかけて、サラリーマン人口が急増し人々の勤労形態が大きく変動していく中、国家から会社へと忠誠の対象を変更するプロセスは、多くの元兵士において、そうスムーズなものではなかったと思われる。また、敗戦後の会社組織において、元兵士としての記憶、特に戦争および敗戦をめぐる外傷性記憶は残存し、敗戦後の経済体制と相互に影響を与えあったと思われる。
 本発表は、当時のホワイトカラー男性たちの長期にわたる支持を集めた東宝サラリーマン喜劇を取り上げ、敗戦後社会における経済体制の特徴と戦争および敗戦をめぐる外傷性記憶の回帰し続ける影響を考察し、両者の相互関係を析出する。
 具体的には、『三等重役』シリーズから『社長』シリーズへの移行に注目することで、敗戦後の経済体制の確立過程とともに、当時のサラリーマンたちのアイデンティティの再構成過程を捉え、そこに戦時中の記憶がいかに回帰するとともに抑圧されるかを考察する。そして、この東宝サラリーマン喜劇の主流をなす諸シリーズに対し、会社上層部の意向により短命に終わった『無責任』シリーズにおける抵抗の可能性を析出する。

協働と断絶──『嵐を呼ぶ十八人』と1960年代前半の日本映画における「集団」の諸相/川崎公平(日本女子大学)

 『嵐を呼ぶ十八人』(吉田喜重、1963年)は、当時の「社会派」の労働者映画に対する批評性を込めた作品だとされる。その特徴は、概ね以下のようなものだ。まず、呉の造船所で働く労働者たちの階層構造がある。本工と社外工、そして社外工のなかでも組に属する者とそうでない者。高低差を利用してその上下関係を明快に視覚化するこの映画は、階層間の交流らしきものを描きつつも、最終的にはそのあいだの断絶こそを強調する。最下層に位置する十八人の若者たち──大阪から連れて来られ、最後には北九州へと去っていく「流民」(森崎和江)──は、しかし、自分たちの立場に対するいかなる意識ももたない(ように見える)。そこには、階層意識にもとづく団結も、労働の美徳による連帯も生まれない。共有されるのは、生きるためには働かねばならないという意識のみであり、あとは各自が各自の欲望に従うだけだ。映画は、何らの情を交えることなく、そのような彼らを遠くから見つめる。
 注目したいのは、その結果この十八人が、意志を欠いているにもかかわらずひとつの群れと化しているような、特異な集団として画面上にあらわれていることである。本発表は、これをひとつの焦点としながら、1960年代前半の日本映画における様々な「集団」のありようを検討する。そのことによって、安保闘争後、東京オリンピックへと向かうこの時期、労働者集団を描くことの(不)可能性がどこにあったのかを明らかにしたい。