2022年7月2日(土)10:00-12:00
2階210番教室

・東京における映画興行地図の変容──サイレント時代の映画配給構造/柴田康太郎(日本学術振興会)
・「メロドラマ」としての映画『五郎正宗孝子伝』(1915年)に関する考察──〈継子いじめ〉の系譜から/紙屋牧子(玉川大学)
・「表現」性の翻訳──ドイツ映画の内外における流通と聴覚的要素/白井史人(名古屋外国語大学)
【コメンテイター】上田学(神戸学院大学)
【司会】紙屋牧子(玉川大学)

 当パネルは、早稲田大学演劇博物館所蔵の映画館チラシを中心とする映画宣伝資料の分析を起点として、大正期の東京および近隣の都市において、どのような無声映画がどのように興行され、それをどのように観客が受容していたのかを多角的に討議するものである。現在、映画宣伝資料を活用した映画史の読み直しを進めている、柴田康太郎、紙屋牧子、白井史人の3人が発表をおこない、無声期の日本映画に関する多数の著作を持つ上田学がコメンテーターを務める。
 柴田は1920年代の東京における配給・興行の変遷に焦点をあてる。映画興行の中心地だった浅草六区とそれ以外の「市内館」の興行の関係に注目し、1920年代の東京における映画の興行・配給の地政学的・時政学的な変容のあり方を明らかにする。
 紙屋は『五郎正宗孝子伝』(天活、1915年、吉野二郞)に焦点をあてる。1923年にリバイバル上映された同作の興行スタイルを検証しつつ、実は〈継子いじめ〉譚に位置付けられる同作の「メロドラマ」的要素とそれに対する観客の欲望を検討する。
 白井は1920年代の日本でとりわけ芸術性を高く評価されていたドイツ映画に焦点をあてる。楽譜資料にも眼を向けつつ、伴奏音楽などの聴覚的要素が興行や作品のスタイルに与えた影響を検討する。
以上の3つの視点から、1920年代日本の映画/映画館のテクストとコンテクストの再検討を試みる。


東京における映画興行地図の変容──サイレント時代の映画配給構造/柴田康太郎(日本学術振興会)

 東京における無声映画の上映空間といえば、まず想起されるのは浅草六区の映画興行街である。だが1920年代には東京市内だけでも約100館もの映画館が存在していた。こうした膨大な映画館を支えたのは当然その上映プリントの配給網だが、そのあり方は1920年代だけでも大きな変容を遂げている。日本における映画配給の変容をめぐっては既に、近藤和都(2020)が、封切館が浅草一館だった1920年代初頭から複数館での同時封切が始まる震災前後への変容を指摘し、映画体験を支えた地政学的/時政学的条件のあり方を考察している。とはいえ、これほど多くの映画館で日々膨大な映画が上映され、受容されていた当時の東京の映画興行空間の実態は未だ僅かなことしか分かっていない。一口に「同時封切」といっても2館同時から20館同時まで一様ではないし、浅草とともに同時封切される映画館やその土地、そして封切以後の映画配給の経路は映画会社によっても異なっていた。本発表は現存する映画館チラシや映画館プログラムの考察を端緒として、1920年代の東京における映画封切や映画配給の変化の過程を考察する。特に池袋の平和館や小石川の傳通館など、従来の日本映画史で取り上げられることのなかった地域や映画館に注目することによって、当初は周縁的な存在であった地域や映画館の位置づけが重要な位置をなすようになる過程とのその条件を明らかにする。

「メロドラマ」としての映画『五郎正宗孝子伝』(1915年)に関する考察──〈継子いじめ〉の系譜から/紙屋牧子(玉川大学)

 本発表は、『五郎正宗孝子伝』(1915年、製作:天活、監督:吉野二郞)の興行の実態及び観客によるその受容について明らかにし、そのテクストとコンテクストを分析する。
 欧米に比べて無声期の映画の現存状況が極めて厳しい日本のフィルムアーカイブ事情を考えるなら、封切当時の長さに近い状態で現存する『五郎正宗孝子伝』は、1910年代の日本映画の演出スタイルを検証するうえで極めて重要な作品と言えるが、同作に関する先行研究は未だ、Hiroshi Komatsu(1995)、紙屋牧子(2009年)に凡そ限られる。本発表ではこれらの先行研究をふまえつつ、テクストとコンテクストの両面から更なる検討を加える。演劇博物館所蔵の映画館チラシを中心とした宣伝資料を活用し、『五郎正宗孝子伝』を例に、無声期における映画興行のスタイルやリバイバル上映の様相、観客の受容のありようを、より正確かつ詳細に歴史化することを試みる。そのうえで、国立映画アーカイブに所蔵されているフィルムおよび説明台本を手がかりにして、『五郎正宗孝子伝』のテクストを伝統的な〈継子いじめ〉譚の系譜の中に位置付け再検討したうえで、その「メロドラマ」的要素を考察する。

「表現」性の翻訳──ドイツ映画の内外における流通と聴覚的要素/白井史人(名古屋外国語大学)

 欧米で製作された輸入された映画は、大正期の映画館を構成する重要な要素であった。そのなかでも『カリガリ博士』(1920)に代表される1920年代のドイツ映画は、「表現主義」や「表現派」といった形容と結びつき、邦画や、同時代のアメリカ映画に対して差異化され受容されていった。早稲田大学演劇博物館所蔵の大正・昭和初期映画館チラシにおいても、『カリガリ博士』や『化石騎士』(1923)などの日本上映時の惹句として「表現派」という語が用いられているほか、その「芸術」性を強調した宣伝が目に付く。輸入されたフィルムという「テクスト」と、映画館や観客というコンテクストを媒介するライブの聴覚的要素(伴奏音楽や弁士による語り)は、ドイツ映画の内外における流通と特徴の構成にいかなる機能を果たしたのだろうか。
 日本国内におけるドイツ映画の公開を検討した山本(2020)は、広範な文献資料分析によって、必ずしも「表現主義」的特徴のみにとどまらないドイツ映画の受容の厚みを明らかにしている。本発表はこうした先行研究を踏まえ、チラシ資料の分析を出発点に、1920年代のドイツ国内における言説や伴奏譜と日本における宣伝資料を主な分析の対象とする。アメリカでのドイツ映画の公開状況も補助線として、ドイツ映画の特徴に対する認識が「表現」性などの一定の概念と結びつく一方、ローカライズされた上映形態の多様化が、その流通や興業を支えたことを明らかにする。