2022年7月3日(日)16:00-18:00
3階310番教室

・「異なる近代」と情動政治/乗松亨平(東京大学)
・ロシアとウクライナの戦争と反体制アート/上田洋子(株式会社ゲンロン)
・戦争をめぐる映像と感性的なもの/松谷容作(追手門学院大学)
【コメンテイター】清水知子(東京藝術大学)
【司会】本田晃子(岡山大学)

ロシア軍がウクライナで開始した今回の戦争では、政府や報道機関だけでなく、さまざまな団体や個人によってもSNSを通じて膨大な量の情報が発信されてきた。またとりわけロシアでは、これらの情報に対してソ連時代を髣髴とさせるような検閲や規制が行われている。今、このような状況下で戦争の表象はどのように変化しようとしているのだろうか。本パネルでは、ロシア現代思想における言葉と身体の位置づけ、アーティストたちの戦略、メディアが描き出す戦争像という三つの観点から、21世紀の戦争と表象の関係を読み解いていく。


「異なる近代」と情動政治/乗松亨平(東京大学)

 ロシアのウクライナ侵攻は、合理的には説明困難な、不条理な情動にもとづく決定のように思える。ではそれは、トランプのアメリカと同様の、ポピュリズム的な情動政治といえるだろうか。SNSを基盤にしたボトムアップの情動政治と、テレビでのトップダウンのプロパガンダによるプーチンの情動政治とでは、大きな違いがある。リベラリズム以後のポスト近代的な前者に対し、後者は近代の延長のような性格が強い。ただしロシアの近代化は、フーコー的な規律訓練よりも、フーコーが前近代にみたような身体暴力に依拠する部分が大きく、そのような「前近代的近代化」がポスト近代の情動政治に接続されたと考えられるかもしれない。本発表では、近代化と暴力の関係や、言葉と身体の関係をめぐるロシア現代思想の分析を振りかえりながら、ウクライナ戦争と情動政治の関係について考えたい。

ロシアとウクライナの戦争と反体制アート/上田洋子(株式会社ゲンロン)

 ロシアによるウクライナ侵攻が始まってまもなく、ロシアのフェミニスト・アートグループ「プッシー・ライオット」がウクライナ支援のためNFTを活用して話題になった。プッシー・ライオットは2011年、第3次プーチン政権発足の前年に生まれたアクティヴィズムのグループで、2012年にロシア正教会で行なった政権・宗教批判パフォーマンスをYouTubeで流通させ、実刑判決を受けた。釈放後はネットメディア「メディアゾーナ」を設立。今回の戦争でも、ロシア国内でアクセス遮断されながらも、積極的に報道を続けている。
 ポストソ連期、特に2010年代前半までのロシアでは、プッシー・ライオットやその前身となる「ヴォイナ」、それに「なにをなすべきかChto Delat」など、アート・アクティヴィズムがさかんであった。なかにはブログなどを用いてジャーナリズムの活動をするグループも現れた。同時期にはさまざまなNPOが生まれ、社会活動も育っていく。同時期のウクライナでは、裸体をメディアとするフェミニストグループ「フェメン」が活動を広げている。
 アート・アクティヴィズムの手法は現在の反戦活動にも用いられている。戦争の凄惨な情報が溢れるなか、政府からの弾圧を逃れながら、彼らはSNSを通じて情報を発信し、連帯を呼びかける。ロシアとウクライナにおけるアート・アクティヴィズムとそのメディアの利用について、近年の歴史を辿りつつ、戦争下の現在の活動を探る。

戦争をめぐる映像と感性的なもの/松谷容作(追手門学院大学)

 ロシアとウクライナの戦争は局地的なものであろうか。日本国内の新聞やテレビでは戦況と今後の予想される展開が報道されている。またインターネット、例えばYouTube上では、日本だけでなく、アメリカ、イギリス、フランス、ドイツなど各国のマス・メディア機関が24時間体制で状況を配信している。さらに、TwitterやFacebookなどのSNSにおいて、ウクライナ、また戦地に程近い周辺国(ポーランドなど)にいる様々な人たち(市民、ボランティア、兵士、政治家など)が情報を発信し、そして世界中の人たちがこの戦争に対する反応を毎秒のペースで投稿している。
 メディアが戦場と銃後を可視化し、またメディアにより銃後がグローバルな規模で拡張している。ネットワークに組み込まれ、戦争に関する情報にアクセスできる人びとは、もはや銃後のなかの一員であり、戦争の一部と化しているように見える。これは21世紀における戦争の特徴的な様相のひとつと言えよう。
 このようにメディアが戦争を拡張させていき、知らぬ間に人びとをそこに飲み込んでいく現代の戦争の状況下で、本発表はメディアと戦争を、とくに映像における諸々の表象と感性的なものの観点から考察していく。