2021年7月4日(日)16:00-18:00

パネル5:新出資料から見る別役実の世界
・別役実作品における「沈黙」──少年期の創作から/梅山いつき(近畿大学)
・別役実の宮沢賢治受容──『銀河鉄道の夜』を視座として/後藤隆基(早稲田大学)
・「そよそよ族」から「小市民」へ──別役実「貧困」の思想/岡室美奈子(早稲田大学)
【コメンテーター】谷岡健彦(東京工業大学)
【司会】岡室美奈子(早稲田大学)

1960年代から劇作家として日本の演劇界を牽引し、童話作家やエッセイストとしても活躍した別役実は、2020年3月に永眠した。早稲田大学演劇博物館は、2019年、20年の2度にわたり、別役資料の寄贈を受けた。その中には膨大な自筆原稿や創作ノート、幼少期の作文や日記等、これまで知られていなかった幼年期から青年期にいたる別役の実像を示す決定的な資料が多数含まれている。
本パネルでは、それら新資料の検討を通して、従来の別役研究とは異なる視座を提示するとともに、別役の創作過程や思考の内実に肉薄する。梅山は、少年期の作文や若き日の創作ノート、そして幻の処女戯曲とされてきた『ホクロ・ソーセージ』に光を当て、別役作品における「沈黙」のルーツを探る。後藤は、別役が多大な影響を受けたと思われる宮沢賢治の『銀河鉄道の夜』を題材としたアニメーション映画やラジオドラマの脚本を公刊されている台本・戯曲と比較し、別役の宮沢賢治受容を考究する。岡室は、日記や創作ノートに垣間見える「貧困」や「飢餓」に対する意識を手がかりに「そよそよ族」という概念が成立した背景を探り、『あーぶくたった、にいたった』など「小市民もの」と称される戯曲へと至った道筋を考察する。
本パネルでは、新資料を精査することで、飄々とした印象の強かった別役の生々しい声に耳を傾け、独特なドラマトゥルギーや思考法がどのように醸成されていったかを明らかにすることを目指す。


別役実作品における「沈黙」──少年期の創作から/梅山いつき(近畿大学)
別役実は一四〇を超える劇作品を世に送り出し、同世代の作家の中では横に並ぶ者はいない程の多作家であった。そんな別役の作家としての哲学を紐解く鍵は、多作な一面に反して、「沈黙」であった。
初期代表作『象』(1962年)を発表時、別役は「あらゆる世界に対して誠実であるためには沈黙するのみである、という鉄則を前提にして、如何に職業芸術家は文体を持続させ得るか?という点から私の計算がはじまる」と、あたかも言葉の無力さを認めるかのような文章を発表している。この発言に呼応するかのように、別役作品には社会の周縁に追いやられながらも、不満の声をあげることなくじっと耐え続ける人々がよく登場する。こうした人物たちは、同情から救いの手を差し伸べられることを拒絶し、差別や貧しさにじっと耐え続けようとする。では、こうした「沈黙」で社会に抵抗を示そうとする人々には、別役の作家としてのどういった姿勢が投影され、何が別役を「沈黙」に向かわせたのだろうか。
本発表では、創作の原点を少年期にまで遡り、別役が劇作を通じて注ぎ続けた「人」「もの」に対する眼差しの萌芽を少年期の作文や詩に確認する。さらには、幻の初女戯曲とされてきた『ホクロ・ソーセージ』の三つの草稿を比較することで、別役が劇言語を獲得していく背景にはどのような問題意識があったのかを探る。

別役実の宮沢賢治受容──『銀河鉄道の夜』を視座として/後藤隆基(早稲田大学)
満州で過ごした少年時代、父親の蔵書から宮沢賢治を知った別役実は、自身が童話を書くうえでもっとも刺戟を受けた作家として賢治の名を挙げており、その影響は劇作や評論など広範な文業全体に及ぶ。とくに別役が愛着を抱いていたのが『銀河鉄道の夜』である。
別役と『銀河鉄道の夜』の交点として、まず1985年公開のアニメ映画『銀河鉄道の夜』(杉井ギサブロー監督)の脚本を担当したことが挙げられよう。登場人物を猫化した、ますむらひろしの漫画を原案とする同作の脚本は原作にきわめて忠実だが、別役は「盲目の無線技師」という独自のキャラクターを登場させた。
また、アニメ映画の公開から約2年後、別役はふたつの『銀河鉄道の夜』を発表した。NHKのFMシアターで放送されたラジオドラマ『帰ってきたジョバンニ』(1987年4月11日)と文学座がアトリエで初演した『ジョバンニの父への旅』(同年5月)である。これらは、原作小説の最後でカムパネルラの父と別れたあとのジョバンニが家に帰らず、汽車に乗って放浪の旅に出たという、原作から数十年後の時間を描く点で共通する。
別役は『銀河鉄道の夜』をどのように読み解き、創作に展開したのか。本発表では、アニメ映画『銀河鉄道の夜』の「最終稿」と書かれた台本と公刊されている演出台本、ラジオドラマ『帰ってきたジョバンニ』の台本と戯曲『ジョバンニの父への旅』をそれぞれ比較し、別役実の宮沢賢治受容について検討する。

「そよそよ族」から「小市民」へ──別役実「貧困」の思想/岡室美奈子(早稲田大学)
別役実は1971年に戯曲『そよそよ族の叛乱』を発表する。そよそよ族とは太古の失語症民族で、空腹でもそれを決して主張せず、餓死してみせることで訴える沈黙の民のことである。この「そよそよ族」のイメージは別役の中で醸成され、その成り立ちと歴史を壮大なスケールで描いた『童話 そよそよ族伝説』シリーズに結実する。
新出資料からは、「そよそよ族」という軽やかなネーミングや飄々とした別役の佇まいとは裏腹の、自身の体験に根差した「貧困」に対するリアルな感情が読み取れる。本発表では、別役の日記や創作ノート、草稿類を参照しつつ、「貧困」がどのように別役にとって語り続けるべきテーマとなり、そよそよ族の発明を経て、どのように『あーぶくたった、にいたった』(1976年)や『にしむくさむらい』(1977年)など、いわゆる「小市民もの」と呼ばれる作品に昇華されていったのかを考察する。
初期別役はベケットの『ゴドーを待ちながら』の劇構造から多大な影響を受けたが、同時に、日本の芸能や童話、童謡の言語や前近代的な風土にも強い関心を寄せていた。しかしこれまで、双方に目配りしつつ、別役の70年代前半の寓話的な作品と後半以降の「小市民」ものの連続性を明らかにする研究はほとんどなされてこなかった本発表では、新資料に加えてベケットと深沢七郎を参照項とすることで、劇構造と言語の両面から、70年代を貫く別役のドラマトゥルギーと思想を考察する。