日時:2018年7月8日(日)14:00-16:00
場所:人文学研究科B棟(B231)

14:00 — 16:00 研究発表[2日目午後1](人文学研究科B棟)

パネル概要

・「一人称単数」の語りという実験──オーソン・ウェルズのラジオ・ドラマについて/川﨑佳哉(早稲田大学)
・ミュージカルの劇作法とラジオの関係──『ファン・ウィズ・ザ・レヴュワーズ』における語りと歌の機能分析/辻佐保子(早稲田大学)
・ラジオ研究の可能性──ライブ性と物語世界の構築をめぐって/仁井田千絵(早稲田大学)
【コメンテーター】川島健(同志社大学)
【司会】仁井田千絵(早稲田大学)

 
1930年代から1940年代にかけて、ラジオはブロードキャスティング・メディウムとして多大な影響力を誇っていた。ラジオが身体性や時間、空間の感覚、ローカル/セントラルの区分認識の変容に作用したことは、研究においてすでに指摘されてきた。しかし、ラジオをパフォーマンスのためのメディウムとして捉え、どのようなモードのパフォーマンスと受容が触発されてきたかという観点の研究は発展の余地が残されている。特に、個別の番組やエピソードの精緻な分析を通して、ラジオがいかなる創造/想像をかき立てるメディウムであったかを照らし出す試みは重要と考えられる。

そこで本パネルでは、1930年代から1940年代のラジオ番組を対象に、語りの実践/実験への着目からパフォーミング・メディウムとしてのラジオの諸相を明らかにしていく。川崎は『宇宙戦争』(1938) における語りの技法を、オーソン・ウェルズがラジオに見出した一人称単数の語りのポテンシャルとの関係から論じる。辻は、ベティ・コムデン&アドルフ・グリーンによるヴァラエティ番組 (1940) について、語りと歌の分析からラジオがいかにミュージカルの作劇法の形成に作用しているかを検討する。そして仁井田は、日本における映画作品のラジオ・ドラマ化の事例に触れつつ、パフォーマンスのためのメディウムとしてラジオを研究することの意義と可能性について論じる。

「一人称単数」の語りという実験──オーソン・ウェルズのラジオ・ドラマについて
川﨑佳哉(早稲田大学)

1938年10月30日、日曜日の晩、オーソン・ウェルズ演出によるラジオ・ドラマ『宇宙戦争(The War of the Worlds)』が物語の主軸となる火星人の襲来をラジオのニュース速報という形式で伝えたところ、これを信じた人々が全米中でパニックに陥ったと伝えられている。「ラジオの歴史について完全に何も知らない人々でさえ、このエピソードについては知っている」(Susan Douglas, Listening In, 2014, 165)といわれるように、『宇宙戦争』は今日においても記憶されている現代の神話といえるだろう。

それに対して今日ではほとんど忘れられてしまったように思われるのは、ウェルズがそれ以前からラジオ・ドラマのある「実験」をおこなっていたことだ。それは、登場人物による一人称単数の語りによってドラマを展開させるというものである。ウェルズのラジオ番組『マーキュリー劇場放送(The Mercury Theatre on the Air)』は当初の番組名を『一人称単数(First Person Singular)』としていたが、この奇妙に響く番組名こそ、ウェルズがラジオというメディウムにとって理想的な語りの形態を一人称単数による聴衆への語りかけに見ていたことを証立てている。本発表では、現代の神話として知られている『宇宙戦争』を、この一人称単数の語りという実験との関係から捉え直す。とりわけ、このドラマにおけるニュース速報の使用について、語りという観点から新たな光をあてることを試みる。


ミュージカルの劇作法とラジオの関係──『ファン・ウィズ・ザ・レヴュワーズ』における語りと歌の機能分析
辻佐保子(早稲田大学)

ミュージカル作家ベティ・コムデン&アドルフ・グリーンは、活動初期の1938年から1943年にかけてコメディ・グループ「ザ・レヴュワーズ」の一員だった。「ザ・レヴュワーズ」についてはこれまで、台本分析を通してコムデン&グリーンの政治性が論じられてきた (Carol J. Oja, 2013)。他方、ドラマトゥルギーに着目した研究は試みられてこなかった。しかし、「ザ・レヴュワーズ」の劇作法の検討は、コムデン&グリーンのミュージカル作家としての特徴を詳らかにしていくために必要と考えられる。そこで本発表では、1940年3月5日から11月3日にかけて放送されたラジオ・ヴァラエティ『ファン・ウィズ・ザ・レヴュワーズ』に焦点を絞り、コムデン&グリーンの作劇の方法論を考察する。

ラジオ番組を扱う理由は資料の現存というプラクティカルなものに留まらない。語りや音楽、歌、SEがラジオ番組制作において重大な役割を担うことを踏まえた時、当番組からはコムデン&グリーンのドラマトゥルギーのエッセンスが看取できると考えられる。本発表では番組における音声パフォーマンス、すなわち語りと歌の機能を論じていく。その際、メディウムの技術的・美的特性がいかにラジオにおけるミュージカル表現の形成に作用したかという議論を経由することで、コムデン&グリーンがミュージカルという形式で何を表現しようとしていたか、その一端を明らかにしていきたい。


ラジオ研究の可能性──ライブ性と物語世界の構築をめぐって
仁井田千絵(早稲田大学)

ラジオを演劇や映画といったパフォーミング・メディアとの関係の中で考察する意義とは何か、その際いかなる研究方法や理論的視座を持つことが可能なのか。本発表では、これをライブ性と物語世界の構築という点から、戦前の日本のラジオ・ドラマを事例に考察したい。パフォーマンス・スタディーズのフィリップ・オースランダーをはじめとした研究者は、ライブ性がメディアとの二項対立によって単純に成立するのではなく、歴史的・文化的・社会的に構築されるものであることを論じている。例えば、生演奏・生放送を意味する「ライブ」という用語が、音声のレコーディング自体が可能になった蓄音機の発明からではなく、ラジオが普及する1930年代以降に定着したことは、ライブ性の概念をテクノロジーのみに帰結できないことを示している。ラジオにおけるライブ性の成立において、いかに複数の文化的・社会的慣習が拮抗し、演劇や映画との対比の中で選択・排他されながら現在我々が認識する形を作り上げたのか。さらにラジオ・ドラマという形式において、語りによる物語世界の構築はライブ性とどのように関わっていたのか。本発表ではこれらの点を、1930年代初頭の弁士が出演する映画のラジオ・ドラマ化番組「映画物語」を題材に、同時期のラジオのスポーツ中継や映画のトーキー化を視野に入れて考察する。