日時:15:20-16:50
場所:武蔵大学江古田キャンパス8号館5階 8501教室

  • 風流作り物の思想──〈洲浜〉を出発点に
    原瑠璃彦(青山学院大学/日本学術振興会)
  • 大江健三郎作品における異界表象──「『罪のゆるし』のあお草」を中心に
    菊間晴子(東京大学/日本学術振興会)

【司会】番場俊(新潟大学)

風流作り物の思想──〈洲浜〉を出発点に
原瑠璃彦(青山学院大学/日本学術振興会)

風流作り物とは、祭礼や儀式の場において中心的な役割を果たす造形物であるが、その大きな特徴として、使用後は保存されない、一回性に基づくという点があり、これらは古代から現代にいたるまで、日本的な表象の一系譜を構成していると言える。風流作り物に関しては、これまで郡司正勝、辻惟雄、佐野みどり等による研究があるが、そこで扱われる対象が近世以降の事例に集中しがちであること等、問題点は多い。

日本における風流作り物の端緒は、平安時代中期の内裏歌合において盛んに用いられた〈洲浜〉である。本発表では、先行研究において十分に扱われてこなかった〈洲浜〉を主な対象とし、風流作り物の起源を考察することによって、その系譜を新たな視点から読み直そうとするものである。ここで主なポイントとなるのは、①従来は、風流作り物における山の表象ばかりが論じられたが、その起源においてはむしろ海辺の表象の意義が考究されるべきであること、②風流作り物の一回性を、造形美術の分野のみならず、庭園、建築、芸能、民俗学などを踏まえた広い視野のもとで考察すること、③それがパフォーマンスにおいて果たした機能、とくに祝言性と関連して果たした機能を解明すること、の三点となる。これによって、日本における風流作り物の思想の核心に迫るとともに、時代ごとに様々な意味をになった「風流」の思想を明らかにすることが本発表の目的である。


大江健三郎作品における異界表象──「『罪のゆるし』のあお草」を中心に
菊間晴子(東京大学/日本学術振興会)

小説家・大江健三郎が『群像』1984年9月号に発表した短編「『罪のゆるし』のあお草」には、語り手「僕」が四国の谷間で過ごした幼年・少年時代の回想が記されている。谷間の村の創建者であり、その高みに広がる森に存する神である「壊す人」とのシャーマニックな交感によって、幼い「僕」の肉体および精神は、たびたび特異な状態へと誘われたのである。

このような、いわば「神がかり」的経験の描写は、谷間の村に生きる人々の日常と、「壊す人」の属する異界との関係性を考える手がかりとして重要である。この作品に示された、「神がかり」が引き起こされる場の地形的特徴と、そこで「僕」の身体や心理状態に生じる変容についての緻密な描写は、大江が70年代末から90年代半ばにかけて探究した、死と再生、そして信仰にまつわる問題系と密接に結びついている。また、『同時代ゲーム』(1979)以降の多くの大江作品に登場する「壊す人」の、山神としての性格が強調されていることも注目に値する。

そこで本発表ではまず、「『罪のゆるし』のあお草」に挿入される、「僕」の「神がかり」経験にまつわる回想が、作品構成上いかなる役割を担っているのかを考察する。その上で、この作品における「神がかり」の描写を、関連する他作品にも目配りをしながら分析することで、大江作品における日常と異界の重なり合いの様相を明らかにすると共に、「壊す人」という神的イメージの成立背景に迫る。