日時:2016年7月2日(日)10:00-12:00
場所:前橋市中央公民館5階504学習室

パネル概要

・「ペンを持つ手」グループの出版物におけるテクストとイメージ/進藤久乃(松山大学)
・ジャン・ポーランにおける政治と文学──対独協力作家の粛清をめぐって/門間広明(早稲田大学)
・サミュエル・ベケットの人間論/菊池慶子(早稲田大学)
【コメンテーター】安原伸一朗(日本大学)
【司会】千葉文夫(早稲田大学)


 20世紀後半のフランス文学史においては、しばしば作家たちの第二次世界大戦中の態度決定が大きな影響を与えている。この時期に多くの読者を獲得したルイ・アラゴンが国民的作家として確固たる地位を獲得する一方、アメリカへ亡命したアンドレ・ブルトンと共にシュルレアリスムが衰退していったことはそのよい例だろう。
 しかし近年の研究では、ピエール・バイヤールが『私はレジスタンス闘士であったか、それとも死刑執行人であっただろうか』で当時の個々人の政治的判断が重層的で困難なものであったことを指摘したり、パリ解放後に厳しすぎる粛清に異議を唱えたジャン・ポーランの態度が注目されるなど、レジスタンス文学をその英雄的側面から引き離して論じる土壌が整い始めている。このような傾向は、レジスタンス文学を何らかの政治的立場やフランス語・フランス文化という同一性を基盤とした共同体に還元することなく、これまでの図式からは見落とされてきたこの時期の芸術活動の多様なあり方に注目する必要性を示唆している。
 本パネルでは、レジスタンス文学の文脈においてはこれまであまり注目されてこなかった作家、芸術家に注目し、ナチス占領下、国土の分断、密告の危険、検閲、物資の欠乏をはじめとしたあらゆる困難や制限の中、文学・芸術の製作や流通、受容がどのようになされたのか、あるいは作家たちが後にその時期をどのように振り返ったのかという点について分析を進めたい。


「ペンを持つ手」グループの出版物におけるテクストとイメージ
進藤久乃(松山大学)

 本発表は、ブルトンら主要メンバーが亡命中、第二次大戦中フランスにおいてシュルレアリスム活動を展開した「ペンを持つ手」グループの活動に焦点を当てる。このグループは、一時的にシュルレアリスムを騙っただけの亜流と捉えられ、レジスタンス文学史においても重要視されることはなかった。しかし、シュルレアリスムを忠実に継承しようとしながらも、占領下という極限の状況下で培われたこのグループの特殊性は、レジスタンス文学史の中に何らかの形で位置づけられるのではないだろうか。
 発表者はすでに、「ペンを持つ手」の集団的遊戯の分析を通じ、このグループが、なんらかの同一性を基盤とするのとは異なる集合性のあり方を目指しているのではないかという問いに至った。本発表では、このグループがどのような集合性を目指していたのかという問題についてより深く考察を進めるため、グループの機関誌や個人的出版物におけるイメージの使用について考察する。物資の不足などにより活動が制限されていた当時、「ペンを持つ手」における画家たちの活動は盛んとはいえないが、機関誌への参加や詩人とのコラボレーションが多く見られる。リアルタイムで活動に参加していた画家に加え、亡命中のシュルレアリストのデッサンや、連行されたユダヤ人画家であるティタのデッサンをどのように使っているのかを分析しながら、彼らがシュルレアリスムをどのように引き継いだのか、共にあることが困難な状況下、どのような共同体を目指していたのかを明らかにしたい。


ジャン・ポーランにおける政治と文学─対独協力作家の粛清をめぐって
門間広明(早稲田大学)

 文芸誌『新フランス評論』(NRF)の編集長を長らく務め、数多くの作家たちと驚くべき量の書簡を交わし、しばしばフランス文学界の「黒幕」とも評されるジャン・ポーランは、また同時に、『タルブの花』(1941年)に代表される独特な文学論の書き手として、また諧謔と逆説に満ちた数々の奇妙な物語の作者として知られているが、本発表では、このポーランのさらに別の側面、すなわち第二次大戦後、対独協力作家たちに対する粛清の嵐が吹き荒れるなか、彼らの「過誤の権利」を擁護し、容赦なき粛清を訴える「全国作家委員会(CNE)」を痛烈に批判したパンフレテール(時事的な政治文書の書き手)としての側面に注目する。
 一見すると、この活動中に書かれたポーランの政治的テクストは、そこで文学者の責任や権利が問題になっているという主題の水準以上には、文学の問題に深く立ち入ってはいないように見える。実際、そこでの議論は愛国心や道徳、あるいは粛清の法的正当性などをめぐるものが多く、文学固有の問題は後景に退いているようだ。しかし、それらのテクストを詳しく検討してみると、そこにはポーランが戦前から取り組み、ひとまずは『タルブの花』として結実することになる文学論の発想が深く反響していることが明らかになる。本発表では、終戦後の複雑な政治情勢下におけるポーランの特異な立ち位置に注意を払いつつ、彼におけるこの政治と文学のいさかか込み入った関係に光を当ててみたい。


サミュエル・ベケットの人間論
菊池慶子(早稲田大学)

 第二次世界大戦中、フランスにおいて対独レジスタンス組織で活動を行い、ゲシュタポの追跡を逃れてたどり着いた南仏の村、ルシヨンで終戦を迎えたサミュエル・ベケットは、戦後、爆撃によって荒廃したノルマンディー地方の街、サン・ローに仮設病院を建設するというアイルランド赤十字の活動に従事した。アイルランドの公共放送でこの活動について報告するために書かれた未放送のラジオ原稿「廃墟の都」(1946年)の中で、ベケットは「人間の条件」という言葉を「人間性」と区別して使用し、現地においてフランス人とアイルランド人がそれぞれ、互いが「人間の条件」に向けた笑みを垣間見ることが重要であったと述べている。
 この「人間の条件」をめぐって、発表者はすでに、「他者との共生の場」としてのサン・ローという場所の特殊性という観点から「廃墟の都」の分析を試みた。しかし、ベケットは絵画論「ヴァン・ヴェルデ兄弟の絵画あるいは世界とズボン」(1945年)でも同様に「人間の条件」と「人間性」をめぐる議論を展開しており、おそらく彼自身の戦争体験に基づいたものであろう。これら二つの言葉の区別は、彼の芸術論にも通底するものであったと考えられる。
 本発表では、上記の二つのテクストに加え、ベケットがルシヨンでの潜伏生活の中で執筆した小説『ワット』(1953)の分析を通して、彼が人間について、また芸術について戦中・戦後にどのような思考をめぐらせていたのかを明らかにしたい。