日時:2015年11月7日(土)午後13:30-15:30
場所:東京大学駒場キャンパス21KOMCEE(East 2F-212)

・鍵谷 怜(東京大学)「李禹煥《関係項》における関係の在り方――石・鉄・ガラスとの「出会い」をめぐって」
・セバスチャン・ブロイ(東京大学)「境界なきシアターの暴走 クリストフ・シュリンゲンズィーフを理論化する」
・田口かおり(日本学術振興会)「保存修復とX線の「暴力性」:キャサリン・ジルジュ《スザンナと長老達:修復後》(1998)をてがかりに」

司会|加治屋健司(京都市立芸術大学)

鍵谷 怜(東京大学)「李禹煥《関係項》における関係の在り方――石・鉄・ガラスとの「出会い」をめぐって」

 「もの派」の一員として、制作と美術批評を並行して行なった李禹煥の代表作《関係項(改題前:現象と知覚B)》は、同サイズのガラス板と鉄板を重ね合わせ、その上に巨大な石を落とすことでガラス板に亀裂を入れるという作品である。1968年に初めて制作されて以来、たびたび再制作されている。本発表では、彼の芸術論と照らし合わせながら、《関係項》で示される関係の在り方について捉え直す。
 1971年の李の芸術論集『出会いを求めて』の題にもみられるように、彼の制作の中心概念は「出会い」であり、芸術作品はそれを喚起するものと考えられている。抽象的で曖昧な「出会い」という語は、実際は作品に対する鑑賞者の姿勢を探求する作家の意図を示すものである。
《関係項》では、この「出会い」の概念が石・鉄・ガラスという三つの素材の接触から生じる緊張関係によって具現化されており、本作の特色はこの緊張関係が解消されずに放置されていることにある。これは作品の非完結性を示しており、作品を補完する存在としての鑑賞者をつねに必要とする。すなわち本作は、鑑賞者に「出会い」を持続的に経験させるために、作家が仕掛けた一つの装置である。それゆえ、本作が《関係項》と改題されたことの意味は大きく、美術を通じて関係性の構築をめざす作品の嚆矢といえる。発表では、《関係項》における関係性が作家/鑑賞者間に限らず、無機物との関係にまで広がっているという点を検討する。


セバスチャン・ブロイ(東京大学)「境界なきシアターの暴走 クリストフ・シュリンゲンズィーフを理論化する」

 本発表では、クリストフ・シュリンゲンズィーフの作品『お願い、オーストリアを愛して!』(2000年)を例に、パフォーマンス論の基礎問題を検討する。圧倒的な扇動効果を発揮し、ウィーンの公共圏を一週間ほど騒然とさせた同作品の美学=力学を捉える上では、「ライブ空間」での局所相互作用に限定される従来パフォーマンス論の概念装置は十分に機能しない、ということが論考の出発点である。これを踏まえ、アルトーの『演劇とペスト』やボルター=グリシンによる「リメディエーション」の概念を補助線として上演の特殊な場面を参照しつつ、この上演が都市の「ライブ空間」のみならず、むしろ多様なメディア環境との接続/連携の上で、まるで自己増殖する「ヴァイラス」のようにオーストリア社会の共同体に侵食し、大幅な観客動員をもたらした経緯を理論的に説明する。この方法によって、2000年代におけるメディア・パブリックの構造転換を背景に、不特定多数の客層に向けて演出された「スキャンダル」的作品を「炎上」させ、アナログ/デジタルの両圏に届かせたシュリンゲンズィーフの舞台が、新たな複製技術時代を迎えた上演作品としてもつ歴史的意義も明らかにされるだろう。


田口かおり(日本学術振興会)「保存修復とX線の「暴力性」:キャサリン・ジルジュ《スザンナと長老達:修復後》(1998)をてがかりに」

 修復士としてのキャリアをもつキャサリン・ジルジュ(1945-)の《スザンナと長老達:修復後》(1998)は、アルテミジア・ジェンティレスキ《スザンナと長老達》(1610)の模写をX線撮影した作品である。彩色層下には、ナイフを手に怒り叫ぶスザンナの架空の下絵が描きこまれており、二人のスザンナが写真上で亡霊のごとく交錯する仕掛けとなっている。暴挙に抵抗するスザンナの姿は、保存修復史上におけるもうひとつの「暴力」、すなわちオリジナルの下絵等の再発見を目指す過剰な介入の根拠としてX線が用いられた時代を想起させよう。1920年代以降、X線は、目に見えない下層を可視化する近代的な技として、ロンドンのナショナル・ギャラリーを中心に採用されてきた。しかし、当時の光学調査が洗浄への熱意を煽り、美術史家H.アルトヘーファーのいうところの「修復のための宣伝活動」と化して横暴な介入を推進したことは看過できない事実である。本発表は、冒頭の作品とキャサリン・ジルジュへのインタビューを一契機とし、光学調査がある種の「暴力」として表出したさまを、西洋近代の洗浄事例分析を軸として明らかにするものである。さらに、保存修復の基盤である可逆性の概念と親和性を示していたX線撮影が、結果として徹底的に不可逆な介入である洗浄を後押ししたねじれの過程を明示する。上記の考察をふまえ《スザンナと長老達:修復後》へと立ち返り、本作と保存修復に内在する課題の連関を考察したい。