日時:2006年7月2日(日) 13:00-15:00 / 15:30-17:30
会場:東京大学駒場キャンパス18号館4階コラボレーションルーム1

(1)前半 13:00-15:00
・スクリーンとしての主観性――表象の可能性の条件としての身体/加國尚志(立命館大学)
・イメージか、スクリーンか――ジャック・ラカンにおける鏡・表面・枠/原和之(東京大学)
・映画スクリーンと観客の身体/長谷正人(早稲田大学)

(2)後半 15:30-17:30
・メディアアートとスクリーン/草原真知子(早稲田大学)
・「見ること」の不安と白い壁――モダニズム再考へ向けて/鈴木貴宇(東京大学)
+ 総合討議

【コメンテーター】高山宏(首都大学東京)
【司会】小林康夫(東京大学)


スクリーン、それは向こう側の世界から主体を遮るとともに、逆に主体の背後の世界を映し出す支持体としても機能する存在物である。そのように遮蔽と投射という二重の規定を被っているスクリーンという形象は、その本性上、概念=装置として存在を露にした瞬間に、数々の表象の背景へと引き下がってしまうだろう。スクリーンの消滅とともにもたらされるのは、現実と表象の間、イメージと知覚の間の、乖離とはいえないほどのズレやブレ、それらの同一性への抵抗である。例えば夢の形象を映し出すスクリーン、シュポール/シュルファスとは一歩ずれたところで絵画表象を成り立たせているスクリーン、あるいは、ナラトロジーで汲み尽くし得ない語りの支持体としてのスクリーン。そして、もちろん映画のスクリーン。スクリーンは、様々な具体的な事例に則して近代の経験に姿を現し、同時に消え去ることで、近代における知覚のあり方を根源的に条件づけているのではないだろうか。本パネルはこうした問いに導かれながら、領域横断的な発表と討議により、近代の条件としてのスクリーンについて再考する試みである。(パネル構成:小林康夫・根本美作子(明治大学)・門林岳史(日本学術振興会特別研究員))