小特集:感染するアジア・ホラー映画のナショナリティを超えて

寄稿2 憑依された平面 ──国王、亡霊、タイ・ホラー

中村紀彦

はじめに

いわゆるプロジェクション・システムとしての 映画 cinema のことを、タイ語では「หนัง(ナン)」と呼ぶ。この語には光の投射によって生じた影(イメージ)の意味合いをもつと同時に、皮膚や膜という複数の意味合いで使われることもあるのだ。それにしても投影する仕組み、その仕組みによって生まれた像、そして投射された光を受け止める平面(スクリーン)の意味合いを同じ語が担うのは不思議である。「หนัง(ナン)」の多義性がタイ映画には織り込み済みなのだ。これは個人の身体に別の人格や魂が重なり合う「憑依」と、どこか共鳴しているように思えてならない。

タイ出身の映像作家アピチャッポン・ウィーラセタクンの長編映画作品『光りの墓』(Cemetery, of Splendor, 2015)ほど、「หนัง(ナン)」の多義性に鋭敏な作家はいないだろう。本作は、東北タイのコーンケン地方で謎の眠り病を患う兵士たちと彼らの看護をおこなう者たち、そしてその土地に根付く精霊たちによる過去の記憶の交流を描く。兵士たちが眠る理由は、かつてこの土地を支配していたクメール王朝の王族たちの亡霊が、いまなお地面の下で戦っており、その燃料源として地上の兵士たちの魂が利用されているという。かつてこの土地にあった王国の抑圧された記憶と亡霊たちが現勢タイに回帰する本作品は、抑圧された者たちの怒りと悲哀の表出とは裏腹に、きわめて静謐なシーンの連鎖によって編み上げられている。

本作の中盤で登場人物たちが訪れる映画館のシーンを見てみよう。登場人物たちは映画館内でホラー映画の予告編をじっと見つめている。スクリーンには突然棺から飛び出す女性が描かれ、その腕は異常に伸び、その舌は人間の首を容易に絞め上げ、ときに身体は燃え上がり、ついには男性の腹部の内側からは蛇が突き抜け、女性が特異な儀式によって葬られようとする凄惨な様子が続く。タイでは、ホラー映画の予告編と出会うのはよくある状況だ。タイ国内で歴代ヒットを記録した映画作品のいくつかは少なくともホラー映画であり、いまなお根強く制作し続けられている。タイの東北部で育ったアピチャッポンも、子どものころからタイの怪奇映画を観てきたという。とりわけ東北部に住む人たちにとって、亡霊や精霊は口承や映画によって身近なものとなっていた。アピチャッポンもまた、穏やかに流れるメコン河のそばの廃ホテルを舞台とする中編映画『メコンホテル』(Mekong Hotel, 2012年)で、人間の内臓を喰らう悪霊(ピー・ポープ)を登場させるほどだ。

やがてホラー映画の予告編が終わり、映画館のプロジェクターは突如その動きを止める。静寂のなかで観客や登場人物は立ち上がる。全員がスクリーンを見つめながら黙り込む。これもまた、タイの映画館ではよくある状況だ。タイの映画館では、作品上映前に必ず国王讃美の映像と国王讃歌が流れる。そのあいだは観客(観光客でさえも)に起立・沈黙が要請される。アピチャッポンは、国王讃美の映像も国王讃歌も再現することなく、登場人物の動きを完全に静止させて、この「儀礼」の時間を欠落した状況として描く。タイの人々にとって既に慣習化した「儀礼」を描くことは、タイ国内の表現史ではタブーと見做される。当該シーンは、じつはアピチャッポンによって事前に劇場版から削除された。その理由もまた、タイ国家をめぐる検閲の問題と密接に結びついている。国王や王族にとって不都合で「不敬」なメッセージや表現が含まれると見なされた場合は、本国での上映の機会だけでなく、表現活動自体の進退を伴うのだ。

『光りの墓』における映画館のシーンからはつぎのようなことが分かる。まず、亡霊や精霊といった怪異の表象と、国王や王族への讃美といった最高権力者の表象が同じ領域=スクリーン(平面)、同じ方法=投影を共有しているというごく当たり前の事実だ。彼/彼女らは、あたかもひとつのスクリーンを礼儀正しく交代で使用するように、微妙に避けつつも交わらない。しかもそれらの現象が独自の政治的文脈のなかで行われている。筆者の関心は、このことをタイ国家と亡霊/精霊をめぐる政治的歴史やタイ映画史の観点から解きほぐしてみたときにどのようなことが分かるか、ということだ。本稿は、タイ国家と国王の歴史的状況から、タイ映画史およびタイ・ホラーの系譜を肉付けするささやかな試みとなる。

また、本企画の「感染」というモチーフと、タイ・ホラーで積極的に取り上げられる「憑依」についても考えてみたい。「感染」とは、科学的あるいは論理的整合性をともなって、その要因を特定のウイルスや事象に求める態度のような近代的所産だといえる。一方で、タイ・ホラーにおける怪異や憑依の多くは、「真偽不明、確信のなさ」「説明のつかなさ」に基づき、論理的整合性から逃れ続ける。しかもそのことがタイ・ホラーの魅力を増殖させ、広く受容されている要因にも思われる。こうした状況は一体どういうものか、東北タイの呪術信仰と恐怖を描いたパンジョン・ピサンタナクーン監督による『女神の継承』などからも明らかにしていく。

第1節 王と亡霊の交差点

そもそもピー(phii)とは、善悪さまざまな精霊や幽霊を広く指す言葉である。そうしたピーを村単位で信仰することが東北タイではしばしば継承されてきた。まずはタイ国家と仏教がタイのピーという精霊についてどのような見解を持つかについて概観する。このように書いた時点ですでに異質なのは、タイ国家や国教としての仏教が、いわゆる精霊信仰や亡霊にたいする言及を「公的に」行ってきた、という事実である。東北タイを専門領域とする人類学者の津村文彦はつぎのように述べている。

「…仏教の卓越に伴う呪術的信仰の相対的な弱体化のみならず、国家が積極的に呪術的信仰を制限する動きもあった。たとえば、ラーマ1世が集成した『三院法典』には、多くの呪術的行為に対して罰則が規定されている。…注目すべきは、法システムが呪術や精霊を対象として記述している点であり、ピーの存在は国家にとっても社会を構成する要素の1つであった。*1」

なるほど、国王が集成した法典において呪術的信仰の存在は明確にされた。精霊や亡霊にまつわる話、そして呪術や儀礼は、その後も東北タイなどの「周縁」で密やかに継承されていったのである。

だが、呪術信仰の立場はつねに揺らぎ続けていた。津村によると、ラーマ6世(ワチラーウット国王、在位1910〜1925年)の治世では、国家・宗教・国王の三要素がタイ国の基礎構造であると見做し、仏教と国民の結びつきを日常生活においても強固にする施策を展開したという。つまり、タイの国家形成において、仏教信仰が優位の状況を確立していくことは、王権を隅々まで浸透させることと同意でもあった。そのことは同時に、集落で独自に形成された土着信仰や呪術的信仰を「仏教化」させ、弱体化させることでもあったのだ。タイの近代国家編成プロセスとしての土着信仰の抑圧と並行して、呪術やピーなどの信仰体系が描かれる幽霊譚「ナーン・ナーク」などが映画に文字通り取り憑くようになった*2

ナーン・ナークの物語は概ね下記の通りである。タイ・バンコクの東部に位置するプラカノーン地区に住む女性ナークは、ターイタンクロム(産褥死)によって凶悪なピーに変化する。夫のマークは、その事実を知らずに兵役から帰還し、ピーと化したナークと再会する。マークは村人から彼女がすでに死んでいると告げられるが、その事実を受け止めることができぬまま過ごす。しかし、いよいよ村の伝統的な呪術師もナークの霊の封じ込みに失敗し、ついには首都バンコクから高僧が現れて事態を平定するに至る。

そもそも、タイで最もよく知られるナーン・ナークという幽霊譚が浸透したのは、詩・演劇・映画で繰り返し描かれ、そのなかで物語や登場人物の設定がさまざまなチューニングを経て受け入れられてきたからでもある。それだけでなく、ラーマ6世や当時の親王などによってナーン・ナークの演劇用脚本が書かれたことも明らかとなっている*3。いずれにしても、最終的には国家において最も地位の高いバンコクの高僧により一件落着となるナーン・ナークの物語構造は、呪術的信仰の地位や力能に亀裂を生じさせながら、国家や仏教への忠誠へと自然に向ける流れであることが分かるだろう。以上のように、タイにおいて亡霊や精霊や呪術が登場する物語ひいてはホラー映画作品を享受することは、少なくともその背景に国王や王族の存在、国民国家形成の統御が戦略的に織り込まれている。そう考えると、国王と国家とピーは限りなく遠いようで限りなく接近しているのである。

このナーン・ナークを下敷きに、タイ国内で歴史的成功を収めたのがノンスィー・ニミブット監督の長編映画『ナンナーク』(1999年)である。タイ国内でも歴史的ヒットを記録しただけでなく、タイ映画史上ではじめて海外の配給会社による世界的マーケットへの進出が叶った記念碑的作品となった*4。本作も先述した物語構造とほとんど同様であるが、きわめて周到に「国民映画」としての機能を果たしている。冒頭では、日食の映像とともに「1868年8月18日」と書かれたキャプションが示される。天文学を独自に学んだラーマ4世(モンクット王)が、日食の場所と時刻を予測して観測が叶ったとされる記念日がそれである。しかし、ラーマ4世はマラリアに感染して逝去したのはその数週間後のことであった。物語は国王の逝去が間近に運命づけられる日時を暗に伝えている。タイの映画研究者アーダードン・インカワニットによれば、日食の表象はタイ国家の誇りと哀愁を包含している。「近代化の父」と称されたラーマ4世が自らを犠牲にして日食の予測を的中させたことは、当時のシャムと西欧諸国との知識や地位の同等性を象徴する事柄でもあった。インカワニットによれば、それゆえに『ナンナーク』の冒頭に日食が提示されることは、本作が「国民映画」として過去の集合的記憶を喚起させ、国民国家としての一体感を引き起こすトリガーになることを宣言するのである*5

もちろん『ナンナーク』は、複雑な展開を見せる並行モンタージュや、CGIを駆使したスペクタクルシーンのつるべ打ちなど、従来のピー映画では成し得なかった変更点も見られる。表面上ではハリウッド映画と大差ないその画面構成は、タイ映画の基準値を国内外に示した。他方で、なかば「国民映画」とさえ言える本作の歴史的成功が皮肉にもピー映画の隆盛を引き起こし、タイ映画ひいてはタイ・ホラーの認知を世界的に高めたひとつの契機となった。国策は幽霊譚へ軽々と乗り憑ることができるのである。

*1 津村文彦『東北タイにおける精霊と呪術師の人類学』、めこん、2015年、48頁。

*2 津村、前掲書、47-49頁。

*3 津村、前掲書、45-47頁。

*4 May Adadol Ingawanij, “Nang Nak: Thai bourgeois heritage cinema,” Inter-Asia Cultural Studies, issue 2, Vol. 8, London: Routledge, 2007, pp. 180-193.

*5 Ibid. pp. 182-183.

第2節 「タイ・ホラー」の系譜

前節のように、呪術や精霊(ピー)と国王や国家の密接な関係が認められるとすれば、その蝶番となるものは何か。それが映画というメディアだろう。先述したように、タイの映画館では上映前に国王讃歌の映像と国王讃美の歌が流れる。こうした映画館での「儀礼」が行われるその以前から、映画とは国王と王族のものだった*6。タイで映画をはじめて観たのも、当初から映画の制作・上映・流通に携わったのも国王や王族であった。映画は国家権力と王族の繁栄を顕示する有用なメディアとなったのである*7。

その一方で、タイ映画前史において、イメージを投影することは亡霊や精霊の顕現と直結していた。たとえば18世紀頃からおこなわれたとされるタイの影絵劇ナン・タルン(またはナン・ヤン)は、猿の神々や悪魔などが登場する宗教演劇、地方の口承伝からなる亡霊譚を上演した。冒頭で示した「หนัง(ナン)」に込められた皮膚や膜の意味合いは、こうした影絵劇の人形が動物の皮を使用していたことに由来する。なるほど、「หนัง(ナン)」はもともと幽霊や亡霊や精霊の棲家だったのだ。

いずれにせよ、多くのタイの人々にとっての亡霊の存在は、1930年代からはじまるタイ怪奇映画の隆盛に強く印象付けられることとなったはずだ*8。四方田犬彦が端的に述べるように、怪奇映画の亡霊は、ある権力体制や資本主義体制のありかた、父権性や異性愛中心性といった価値基準を転覆させる可能性をもつ*9。だが、タイ映画における亡霊や精霊の顕現は、『ナンナーク』で見てきたように両義的な側面が見出せる。一方で、亡霊や精霊の悪事は制御が効かず平定されることなく維持され続ければ、四方田が言う既存の価値観の転覆可能性を秘める。しかし他方では、亡霊や精霊の悪事が時の権力体制(バンコクの高僧によるデウス・エクス・マキナのような展開)によって平定されると、その平定のプロセス自体が国王や国家のプロパガンダとして周到に利用されてしまう。現行の政治的不安定さや東北タイと都市バンコクの間に潜む格差などの諸問題を周到に隠蔽するために、亡霊譚などが用いられるのもそのためだ。

つまり、映画(投影)は国王と大衆の権力的構図を強調する装置であると同時に、国内に山積する社会的諸問題とともに国王たちのプロパガンダそのものを巧妙に忘却させる装置としても機能していたのだ。『光りの墓』における映画館のシーンは、国家や国王の意向によって抑圧されてきた亡霊や精霊や呪術の類がスクリーンを埋め尽くし、その蠢きを調停するかのような国王讃美の「儀礼」が続く。アピチャッポンは、わずかな描写でタイ映画史を取り巻くきわめて複雑な一面を暴き立ててしまうのである。儀礼とは、抑圧された記憶や亡霊たちが跳梁跋扈しないための「重石」なのだ。

さて、「タイ・ホラー」とはいったい何を指しているのだろうか。少なくとも1930年代には無声映画でピー映画が撮影されている。アメリカ映画などの海外作品がタイ映画の娯楽産業を一手に引き受けていたが、第二次世界大戦中の輸入規制のなかでその穴を埋めるための「地方の」映画が求められた。その結果、地方で映画制作に取り組む者たちが安価な16ミリフィルムを大戦後に買い漁り、主に農村(および郊外の)の下層タイ人を対象とする映画群(「16ミリ時代」と呼ばれる)が生まれた*10。この時期にピー映画は爆発的に増加したのだが、都市部に住むエリート層にとっては、「自然法則に反するもの」や「観察不可能な超自然的存在」は東北タイなどの地方にますます結びつけ押し付ける要因となった。以後、しばらくのブームの沈黙を経て、『ナンナーク』といった1990年代後半から国際映画祭などのマーケットで注目され始めたホラー映画の一群から国際的な知名度は高まった。

*6 詳細は拙論を参照のこと。中村紀彦「国王は映画だった:タイ国王による「投影」の統御からアピチャッポンの投影像実践まで」、『映像学』第105号、2021年、27-44頁。

*7 たとえば下記を参照。Anchalee Chaiworaporn, “Royalty Shapes Early Thai Film Culture,” Early Cinema in Asia, ed., Nick Deocampo, Indiana: Indiana University Press, 2017, pp. 266-277.

*8 Angela O’Hara, “Mysterious Object of Desire: The Haunted Cinema of Apichatpong Weerasethakul,” The Reel Asian Exchange; Transnational Asian Identities in Pan Pacific Cinemas, eds., Philippa Gates, Lisa Funnell, London: Routledge Advances in Film Studies, 2010, pp. 177-190.

*9 四方田犬彦『怪奇映画天国アジア』、白水社、2009年、26-40頁。

*10 Mary Ainslie, “The supernatural and post-war Thai cinema,” Horror Studies, vol. 5, no. 2, eds., Reynold Humphries, UK: intellect journals, 2014, pp. 157-169.

第3節 「わからない、でも怖い(mai rue tae klua)」

津村文彦が調査で村民に「ピーは本当にいるのか」と聞くと、多くの人から「わからない、でも怖い」と返ってきたという。そして津村は「ある対象の「いる/いない」や「ある/ない」をめぐって絶対的な確信は持てないまでも、ある種の観念や行為や物質を含みもつ呪術を経由することで、その不確信が受容可能なものへと変換され、その対象が現実世界の中に配置されるという点」を、ピーをめぐる認識や呪術的行為に一貫して言えることだと示す*11。この言葉は、タイ・ホラーの近年の動向を的確に指し示しているように思われる。

2000年代以降のタイ・ホラーは、Jホラーの系譜を巧みに参照しながら、東南アジア圏のホラージャンルを牽引する作品をいくつも輩出した。パンジョン・ピサンタナクーンとパークプム・ウォンプムによる共同監督作『心霊写真』(2004年)はそのうちのひとつである。写真家の男と交際中の女性がある日のドライブで女性を轢いてしまう場面から始まる。そこから復讐心に満ちた女性の霊が写真家の主人公と周囲の人々を襲うのだが、亡霊は写真撮影、写真の現像/複製、そして写真を見るという行為のなかで顕現して恐怖を煽る。

『心霊写真』の白眉は、現像に携わる諸々のシーンの連鎖である。写真の現像液に浸した一枚の集合写真を見ると、女性の顔だけが真横を向いている。それを登場人物が凝視すると、その顔が突如こちらを向く。現像中は、写真のイメージが不明瞭で流動的な状態であり、ただ現像液のなかで定着を待ちながらイメージは浮遊している。四方田が「現像とは霊の出現に他ならず、それは同時に抑圧された記憶の現前化でもある*12」と的確に述べたように、たしかに本作の現像室(とその登場人物の家)は怪異の源泉となっている。そして現像室だけでなく、撮影後に一定の時間をもってイメージが浮かび上がるポラロイドの写真を介して、本作の亡霊は登場人物たちに自身の存在と凄惨な過去の記憶を主張しようとする。本作が執拗に描いているのは、現像というイメージの時間的推移がある状態そのものに憑依する恐怖であることがわかる*13。ここでの写真の現像とは、不確定の存在を信じながらイメージを顕現させる、呪術的行為に他ならないのである。

以上のように近年の「タイ・ホラー」は、近隣諸国や世界的なムーヴメントも包摂しながら、「真偽不明、確信のなさ」「説明のつかなさ」といった「わからなさ」が支配する時間を巧みに恐怖へと変換させてきた。とりわけ最新のタイ・ホラーは、この方向性の極北を狙っているように思える。それが同じくパンジョン・ピサンタナクーン監督による『女神の継承』(The Medium, 2021)である。本作は、外部からの謎の闖入者によって田舎の集落がかき乱される『哭声 コクソン』(2016年)などを手がけた韓国の映画監督ナ・ホンジンが原案とプロデュースを手がけている。

『女神の継承』は、東北タイの呪術信仰における憑依をめぐるホラー映画である。タイ東北部イサーンの呪術信仰を特集するドキュメンタリー映画スタッフが、中年女性の呪術師ニムの日常や仕事を捉えていく、といった体裁のモキュメンタリー形式で進行する。ニムによれば、ピーには悪霊だけでなく善良な霊も存在し、人々を守る者もいれば危害を加えようとする者もいるという。ニムの身体には地元の守り神である慈悲深い女神バヤンの霊が自分に憑依しているらしい。村の人々と精霊信仰によるコミュニケーションの架け橋となっている。ニムの祖先の使命は、彼女の家族の女性によって何世代にもわたって継承されてきたものだ。ニムの姉はバヤンの継承を避けるためにカトリックへ改心しており、代わりにニムがバヤンを憑依させている。しかし、姉の娘となるミンクの身体に異変が生じる。ニムは伝統的な儀式によってミンクに取り憑く何か恐ろしい存在を取り祓おうとするが、その悪霊の力はますます強大になっていく。

本作の基調となるのは、ファウンド・フッテージ・ホラーの形式である。つまり、撮影後の素材を誰かが拾い、誰かが編集したものをわたしたちが見ている体裁だ。物語内の撮影隊が捉えた映像のみで構成されるため、手ぶれや撮り逃しなどのリアリティと緊張感が画面に充溢している。それと同時に、たとえば序盤には建物の壁面に向かって立ち尽くすミンクの様子をリプレイで提示したり、現在の状況を俯瞰するテキストを画面に表示したりなど、白石晃司監督『コワすぎ!』シリーズをはじめとするフェイクドキュメンタリーの系譜に近似した演出が端々に見られる。

さらには呪術信仰に伴う女性の性役割についても仄めかす。本作で女神バヤンの憑依が可能となるのは女性である。四方田がすでに述べている通り、怪奇映画の幽霊の多くは女性である。しかしそれ以上に、憑依や超自然的なものと否応なしに結び付けられてきたのもまた女性なのである。とりわけタイの家父長制意識が、ホラー映画を通じて女性の性役割を強固に演出してきたことも事実であり、それと同時に、タイの下層階級の女性たちにとって、超自然的な現象との結びつきは憑依によって自らの立場を高め、自身の困難な立場を社会的に乗り越えるための数少ない手段となってしまっていた*14。本作はこうした歴史的文脈の延長線上で構築されているのだ。そしてファウンド・フッテージひいてはモキュメンタリーという形式が、東北タイの呪術信仰に伴う女性の困難さを見世物的ヴェールで包み込んでしまっていることは留意しておかねばならない。ただし、本作の最後にニムがカメラに向かって「正直言って分からない。最初からずっと。バヤンが私の中にいるのか…分からないの」と涙ながらに吐露する様子は、憑依と社会との関係、そして呪術信仰そのものを自身から祓い除ける抵抗として位置付けることもできるだろう。

絶対的な保証も確信もないまま、そこにイメージが存在すると信じて行う写真現像という呪術的行為を描いた『心霊写真』、目前の惨事の要因が不明瞭なまま、呪術師としての資格(身体に女神が憑依していること)さえ確証を持てずに悪霊との闘いが展開する『女神の継承』。どちらも「わからない、でも怖い」が連鎖し、憑依の網目から抜け出せなくなる人々の物語でもあった。本稿ではタイ国家と国王の歴史的状況から、タイ映画史およびタイ・ホラーの系譜をたどる試みだった。その結果、タイ映画史やタイ・ホラーには、国王や王族を取り巻く政治的意図がつねにすでに絡み合っていたことが分かった。そうだとすれば、国王や王族による映画を介した種々のプロパガンダは、観客にとって「わかっている、でも怖い」という認識へと至らせるのではないだろうか。

翻ってみれば、昨今のわたしたちは「感染」を避けるための隔離や規制によって、「わからない、けど怖い」に実際のところ直面してきたはずだ。「感染」は体内に原因を取り込むことに他ならない。だから皮膚や粘膜同士の物理的接触は忌避された。その恐怖は、ときに非科学的な知識やフェイクニュースによって増幅し、国家や地方自治体の感染対策(という名の生政治)の足並み揃わぬ一挙手一投足によっても揺らいだ。一方で、「憑依」は身体の内部に魂や亡霊といった原因を取り込むというよりは、その異質な役割や属性を「社会的」に纏う/重ねる/位置付ける曖昧な戦略であるといえる。「感染」を取り巻くわたしたちの認識は、空気/瘴気/雰囲気の恐怖による曖昧な判断基準に左右されるように、むしろ「憑依」のそれにまで接近していると述べるのは過言だろうか。「わからない、けど怖い」土着信仰が描かれるタイ・ホラーの魅力が否応なしにわたしたちへ深く刺さるのは、こうした理由によるのかもしれない。


*11 津村、前掲書、11頁。

*12 四方田、前掲書、217頁。

*13 呪いのビデオテープをブラウン管テレビで再生する特有の行為が恐怖を誘き寄せる『リング』(中田秀夫監督、1998年)など、Jホラーへの周到な目配せをした表現であるともいえるだろう。

*14 Mary Ainslie, “The supernatural and post-war Thai cinema,” Horror Studies, vol. 5, no. 2, eds., Reynold Humphries, UK: intellect journals, 2014, pp. 161-164.

中村紀彦(神戸市役所)

広報委員長:増田展大
広報委員:居村匠、岡本佳子、髙山花子、角尾宣信、福田安佐子、堀切克洋
デザイン:加藤賢策(ラボラトリーズ)・SETENV
2023年6月30日 発行