翻訳

ジークフリート・クラカウアー(著)、竹峰義和(訳)

映画の理論 物理的現実の救済

東京大学出版会
2022年12月
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日本においてジークフリート・クラカウアーの名前は、『カリガリからヒトラーへ』とつねに結び付けられてきた。『カリガリ』が映画史研究の古典としてきわめて重要であることは確かであるが、ただしこの書物のみをもって映画研究者としてのクラカウアーについて語ることは慎まなくてはならない。というのも、1930年代半ばから四半世紀にわたってクラカウアーが取り組みつづけた『映画の理論──物理的現実の救済』こそが、まぎれもない彼の主著であり、映画をめぐる考察の集大成と呼ぶべきだからである。

『映画の理論』では、写真に基づくメディアとしての映画について、俳優、観客、台詞、音響、実験映画、記録映画、ストーリーなど、さまざまな観点から議論が繰り広げられる。そこで鍵語とされているのが「リアリズム」であり、あるがままの「物理的現実」を、造形的な意図によって歪めることなく記録・開示する作品こそが映画の真骨頂をなすとされる。ここで注意すべきは、クラカウアーの「リアリズム」が、たんなる外界の忠実な再現表象に還元されるものではけっしてないという点である。この概念において問題となっているのはむしろ、意味や物語に拘束された諸事物のうちに潜在する無限の可能性を解放することであり、いうなれば可能態へと引き戻された諸事物の存在を知覚し、観客みずからが同化することにほかならない。

1960年に原著が刊行されてから、すでに60年以上が経過した。当然ながら、そのあいだに制作された映画作品はここでは扱われていない。また、映画というメディアそれ自体が、撮影・上映・保存におけるデジタル方式の台頭によって、クラカウアーの時代とは大きく変化していることも事実である。だが、にもかかわらず、『映画の理論』においてクラカウアーが示した認識のすべてが時代遅れになってしまったわけではなく、むしろそこには、なおも汲み尽くされないアクチュアルな視座が多分に含まれているように思う。かなりの厚みがある書物ではあるが、ぜひ実際にテクストを読んで、自らの目で確かめていただきたい。

(竹峰義和)

広報委員長:増田展大
広報委員:居村匠、岡本佳子、髙山花子、角尾宣信、福田安佐子、堀切克洋
デザイン:加藤賢策(ラボラトリーズ)・SETENV
2023年6月30日 発行