海外の学術誌

Grey Room
――建築、美術、メディア、政治を横断するオルターナティヴな言説空間
加治屋健司

Grey Room は、「近現代の建築、美術、メディア、政治の理論化」(創刊号の言葉)を目標に掲げ、2000年秋にMIT出版から創刊された季刊の学術誌である。
http://www.mitpressjournals.org/loi/grey

編集委員は、映画研究・フェミニズム理論のカレン・ベックマン(ペンシルヴェニア大学)、現代美術研究のブランデン・W・ジョゼフ(カリフォルニア大学)、建築史・建築家のラインホルド・マーティン(コロンビア大学)、建築史・都市計画論のトーマス・F・マクドノー(ビンガムトン大学)、建築史・都市計画論のフェリシティー・D・スコット(カリフォルニア大学)の5名。いずれも、ハーヴァード大学、プリンストン大学もしくはニューヨーク大学で2000年前後に博士号を取得し、現在はテニュア(終身在職権)を取る前後という若手研究者たちである。

編集委員の半数以上が建築史を専門にしていることから分かるように、同誌の創刊は、建築の理論誌 Assemblage(1986年-2000年)の休刊を受けたものである。建築史の領域に、脱構築主義を始めとする様々な批評理論を導入・推進してきた前誌と比べて、Grey Room 誌は、建築に主軸を置きながらも、現代美術や映画研究など、より多様な対象を手がけている点に特徴がある。

このように問題関心が推移した背景として、まず、建築史への理論の導入が一応の成果を見せたことで建築史家の関心が他の領域にも広がったということが挙げられよう。それに加えて、他領域を巻き込んで多様な展開を見せる現代美術が、研究対象として本格的に認知され始めたことも大きいと思われる。

同誌で取り上げられたロバート・スミッソンやゴードン・マッタ=クラークあるいはフレッド・サンドバックといった現代美術家の作品は、建築やランドスケープの問題と切り離して論じることが難しいし、アンディ・ウォーホルやブルース・ナウマン、トニー・ウースラーの分析には、映画研究の議論が大いに参考となることは論を俟たないだろう。

実際 Grey Room 誌には、Assemblage 誌の常連だったビアトリス・コロミーナや、マーク・ウィグリー、アンソニー・ヴィドラーといった著名な建築史家の論考が並ぶ一方で、B・ジョゼフを始め、パメラ・M・リーやディヴィッド・ジョスリットなど、現在最も注目されている現代美術の研究者の名前が紙面を賑わしている。彼らはいずれも October 誌(1976年創刊)の編集委員に師事した世代であり、両誌が問題関心を共有しているのも納得がいく。

October 誌と同様、理論的な論考の掲載に積極的に取り組んでいるのも、Grey Room 誌の大きな魅力の一つである。フリードリヒ・A・キットラーやサミュエル・ウェーバーから、ガヤトリ・C・スピヴァックやパオロ・ヴィルノに至る、メディアや政治に関する理論家の文章が毎号のように紙面に登場している。それらは哲学・思想に関心を持つ者だけに向けられたものでは決してない。建築や美術、映画の研究者もまた、こうした理論家のテクストを読まずにはクリティカルな研究をなし得なくなったという現在の状況を、同誌の紙面構成は物語っているのである。

Grey Room という名称は、ウィリアム・バロウズが1960年代に示したアポカリプティックなヴィジョンに由来している。創刊の辞には、Nova Express(1964年)の次の一節が引かれている。“ Photo falling - Word Falling - Break through in Grey Room - Towers, open fire ” 編集委員がバロウズに関心を抱いたのは、ジル・ドゥルーズが管理社会の到来について語るときにこの作家を参照したからだという。

現在、管理社会は様々な領域で形を変えて実現しつつある。Grey Room は、この同時多発的な事態に対抗するために、各領域の自律性にこだわることなく、領域横断的な抵抗の言説を作り出そうとする試みに他ならない。

建築、美術、映画、文学、哲学あるいは政治と、それぞれの領域の中で自足する言説が増えている現在、それらの言葉を断ち切り、接続し直しては別の文脈を明るみに出していくことの必要性はますます強まっている。60年代のメディアのポリティクスを分析するために、A・ウォーホルをアビー・ホフマン(反体制活動家)とともに論じること。フェミニズムに対するバックラッシュに対抗するために、9/11とマルガレーテ・フォン・トロッタを同時に考察すること。オルターナティヴな言説を組織するためにラディカルな領域横断をも辞さない Grey Room 誌の企ては、我々の関心と決して遠く離れていないだろう。

加治屋健司(スミソニアンアメリカ美術館)

Grey Room no. 23 (spring 2006)