新刊紹介

井上貴子『近代インドにおける音楽学と芸能の変容』
青弓社、2006年02月

総ページ数740におよぶ大著。日本のロックシーンも論じる著者の本業は、南インドの音楽文化の参与観察であり、「楽聖」ティヤーガラージャをまつる音楽祭(アーラーダナー)については、本拠地ティルヴァイヤールにおいて、1980年代から実地調査を続けてきた。現在ますます発展している同音楽祭と、同じテルグ語文化圏の芸能で、こちらは衰退していった舞踊劇バーガヴァタ・メーラの歴史的変遷を詳細に描き出したところ(第2部)に本書の学術的寄与の中心があるが、筆者のまなざしは調査地域を越えて、インドの社会と歴史を背景にした音楽と芸能全体に注がれている。「英領インドの音楽学」と題する前半部では、インド音楽を実践する著者の実感にも依拠しながら、東西の音楽の衝突がインドにおいてもたらした、「音楽理解」に関する変容が包括的に論じられる。

本書は東京大学大学院総合文化研究科から博士号を授与された論文であるが、平易な語り口を特徴とし、読者への情報提供に徹した姿勢は、一面エンターテイニングですらある。対象にとけこみ、人々にとけこみ、実技を習得して現地の音楽祭に出演もする著者の姿勢は、現場と実地を重んじる多くの研究者の共感を呼ぶことだろう。(佐藤良明)