新刊紹介

東谷護(編)
『拡散する音楽文化をどうとらえるか』
勁草書房、2008年12月

ほとんど強迫的な文化産業決定論(俗流フランクフルト学派主義?)か、さもなければ享受主体の再解釈による創造的抵抗論(通俗的カルスタ主義?)か。21世紀のいまなお、「学問」の名において大衆文化を見ようとするとき、これら2つの(じつは相互補完的に作用しうる)「20世紀的」な立場になぜか固着しまうことを避けるには、よほど繊細な配慮としなやかな身のこなしを駆使しなければなるまい。ごく素朴にいって、前者の(顕在的な)ニヒリズムも、後者の(潜在的な)ナルシシズムも、いまやかつてほどの有効性をもちえないほど、文化の状況は複雑である。

だとすれば、日本のポピュラー音楽を主たる対象とする本書がとくに「メディエーション」の概念を強調するのは、それだけですでに注目に値する。もちろん、ここでの「メディエーション」は、狭義のクリエイティブ産業だけに限定されはしない。たとえばそれは技術(デジタル化、複製管理、五線譜…)であり、あるいはまた制度(国家の文化政策、助成金…)であり、さらには言説空間(音楽雑誌、フリーペーパー、小説…)であり、そして実践空間(米軍キャンプ、甲子園…)ですらあるだろう。

こうして本書は、メディエーションを論じることによってメディエーションの機能をみずからもって演じようとしている。あるいは、それが正当であるだけにむしろ否応なくそうならざるを得ないというべきだろうか。いずれにしても、おそらくそれは、集団的な快感——たとえば音楽がポピュラーでありうる根拠のひとつはそこにある——の構造分析やその歴史人類学と並んで、すくなくとも当面は、21世紀の大衆文化研究が断じてやりすごすことのできない手続きになるだろう。(竹内孝宏)