海外の研究動向

線と思考を共振させること——「デッサンにおける歓び」(リヨン美術館)
星野 太

昨年10月12日から本年1月14日にかけて、「デッサンにおける歓び(Le plaisir au dessin)」と題された美術展がフランスのリヨン美術館で開催された。本展はその名の通り「広義の」デッサンのみを対象として、デューラー、ミケランジェロらによるルネサンス期の作品から、マティス、ロダン、トゥオンブリーをはじめとする現代までの作品を集めた大規模なデッサン展である(「広義の」と断った理由については後述する)。以下では手短ながら、その展示内容および関連企画の一端を紹介していくことにしたい。

デッサンのみによって構成された大規模な企画展であるという事実もさることながら、本展がフランス国内を中心に大きな注目を集めた理由としては、これが哲学者ジャン=リュック・ナンシーの主導によるものであったという事実が大きいように思われる。本展には「ジャン=リュック・ナンシーへの白紙委任(Carte blanche à Jean-Luc Nancy)」という副題が付されており、エリック・パリアーノ(INHA)、シルヴィ・ラモン(リヨン美術館ディレクター)の各氏が共同企画者として名を連ねている。

そうした成立事情からもうかがえるように、本展では展示作品であるデッサンと、デッサンをめぐる思考および言説とのあいだに極めて高度な緊張関係が保持されている。ごく手短に要約するならば、それは「分類と拡散」という対照的な、しかし同一の目的をもつ二つのベクトルを保持しているように思われた。

前者は10のセクションからなる本展の陳列方法にかかわるものである。すなわち本展では、セクションごとに「輪郭、線」「開かれ、反転される空間」「質料、筆触、感覚」といった小題が付され、きわめて多様な形をとる各作品(本展には、ピピロッティ・リストやリチャード・ロングらのインスタレーションも「デッサン」として含まれている)が「一応の」傾向や分類のもとに整理されている。ただし同時にこうした展示方法が必ずしも厳密な分類を旨としたものではないという点には留意しておく必要があるだろう。上に一例を挙げたようなデッサンにおける各々の傾向性は、それぞれに排他的なものではなくむしろ相互に重なり合うものであり、デッサンという曖昧な対象はそうした分類をたえず踏み越えてゆく。本展における分類の作業はむしろ、こうした事態を浮き彫りにするために仮構された枠組としての機能を担うものであった。

先に「拡散」と呼んだ後者の点については、本展のいたるところに現れる哲学者や画家のテクストがまず注目に値する。本展では作品のあいだを縫うようにしてアリストテレス、ヴァレリー、クレー、マッソンなどからの引用が無数に散りばめられているのだが、もちろんこれは一般的な美術展と比較すれば異例のことだろう。とはいえそれらの言葉は、通俗的な意味での「作品解説」としてそこに配置されているわけではない。それらはデッサンという対象を「規定」するのではなく、むしろその意味をかぎりなく「拡散」させるために配置されているかのようであり、実際それらの引用は、そこに何がしかの共通点を見いだそうとすれば途方に暮れるほかない広がりを保持しつつ、各作品の外縁を縁取っていた。

「デッサンの本質」を規定するのではなく、むしろその意味を拡散させ、多角的に把握しようとするナンシーの姿勢は、展覧会期間中に開催された一連のセミネールでも垣間見ることができた。月に一度のペースで開催された本セミネールは、ジャン=クリストフ・バイイ、ピエール・アルフェリといった各ゲストとナンシーの対話によって進められたのだが、その対話の中で扱われる「デッサン」という概念はつねに何らかの「作品」を出発点とし、その度ごとに異なった視角から論じられることになった。そのような意味で本展の主眼は、「デッサン(dessin)」と、「意図・構想(dessein)」という、元々は語源を同じくするこの二つを共振させることにこそあったのではないだろうか。ナンシーの言葉を借りれば、その両者はいずれもある形、観念を指し示そうとする根源的な「身振り(geste)」なのである。

なお最後になるが、本展図録(Hazan, 2007)にはナンシー、ジョルジュ・ディディ=ユベルマンらによるきわめて充実した論考が収録されているということを付け加えておきたい。特に「デッサンにおける歓び」と題されたナンシーの論考では、たんなる「展覧会序文」の域を超えた濃密な議論が展開されている。近年、『肖像の眼差し』や『イメージの奥底で』といったイメージ論、芸術論を精力的に上梓しているナンシーだが、本展は、ナンシーが改めて「デッサン」という主題に取り組む契機となったという点でも意義深いものだったと言えるのではないだろうか。

星野 太(東京大学大学院)