新刊紹介

井上 貴子
『ビートルズと旅するインド、芸能と神秘の世界』
柘植書房新社、2007年08月

日本人にインドを身近にしてくれたものをあげるならば、E.M.フォースターの『インドへの道』、ビートルズ、ラヴィ・シャンカル、サイババあたりであろう。我々がインドを初めて知ったのは社会の時間にひろげた世界地図だ。いや、幼い頃に食べたカレーライスがあるではないか。いずれにしてもインドを知らない人はいないどころか、意外と日本人にとって身近な場所である。にもかかわらず、インドを語ることができる人は少ない。

著者の井上貴子は民族音楽学者で、主にインドをフィールドとしている。井上は1980年代前半に4年間インド留学をした。これを皮切りに、短期、長期を問わずほぼ毎年、インドでフィールドワークをし、インド国内で訪れたことのない地域は限られているほどだ。その彼女に「それでもなお、インドには何か私をひきつけて止まない不思議がある」と言わせしめるその奥深さには驚いてしまう。

本書はビートルズとインドとの関わりを素材にインドの芸能とそれらに関係する神話や宗教について丁寧に説明した入門書である。だが、入門書として読むだけではつまらない。説明をほどこしていくなかで、必ずといっていいほど、著者の体験談が出てくる。30年弱にわたってインドと向き合ってきた井上の語りには含蓄がある。たとえば、幼少から西洋音楽の手ほどきを受け、東京藝術大学音楽学部で学んだ経験が、インド音楽を学ぶ際にどのように不自由であったのかを述懐したり、自身の踊ること、歌うことの経験を通して洋の東西の差違 / 異を語ったりするくだりは思わず引き込まれるものがある。理論志向の人にこそ、本書のようなエッセーから実証研究の方法を読み取ってほしいと願う。

21世紀では、インドを日本人に身近にしてくれるものが二つ増えた。それは本書と井上貴子だ。(東谷護)