新刊紹介

石田 英敬(共訳)
ジャック・デリダ『精神分析の抵抗』
青土社、2007年06月

精神分析への抵抗、そして、精神分析のそれ自身に対する抵抗――本書においてデリダは、フロイト、ラカン、フーコーを中心に精神分析と抵抗の交差について論じながら、それに対する自らの両義的で複雑な位置取りを積極的に照らし出している。第一論考「抵抗」では、フロイトのテクストの綿密な読解を通じて、精神分析における分析の概念および分析への抵抗の概念が分析され、その脱構築の必然性が遂行的に描き出される。第二論考「ラカンの愛に叶わんとして」では、哲学者とともにいるラカン、その「ともに(avec)」という語から、文字=手紙、分析的状況、死などをめぐるデリダとラカンの接近と疎隔、交差関係の輪郭が想起的に探られる。そして第三論考「『フロイトに公正であること』――精神分析の時代における狂気の歴史」では、デリダという特異性を介して、フーコーのテクストとフロイトの精神分析の間の振り子運動のような関係が仔細に考察され、フーコーにおける精神分析の歴史的位置付け、その問題化や配置が問い直される。この精神分析論三編を通じて明らかになるのは、デリダが提起した脱構築という出来事、精神分析と痕跡学の間の問題系、さらにそこから考察されていく記憶やアルシーヴの実相である。またそこでは、精神分析批判のなかで、エクリチュールや反復可能性、他者や亡霊といった諸概念が実例をもって提示されており、それは本書がデリダによる自著解題としても明確な論考であることを意味している。本書において、デリダは、過去の論争に直接的に回帰することを避けながら、抵抗者としてのラカンやフーコーへの肯定的な友愛、彼らの記憶について述べている。それは、「精神分析の友」という表現を好んだデリダによる、彼らの愛への応答にほかならないだろう。90年代以降の著作、とりわけ『アルシーヴの悪=熱病』(1995)や『精神分析の弱気』(2000)、ルディネスコとの対話『来たるべき世界のために』(2001)などとともに、本書は、デリダと精神分析の複雑な関係を探るために必要不可欠な重要文献として位置づけられるだろう。(中路武士)