第12回研究発表集会報告

研究発表5

報告:鈴木実香子

日時:15:20-16:50
場所:武蔵大学江古田キャンパス8号館5階 8502教室

韓国「単色画」の形成と李禹煥
鍵谷怜(東京大学)

土門拳における「典型」と「組写真」──戦前の報道写真と戦後のリアリズムの間にあるもの
李範根(イボムグン)(東京大学)

【司会】林田新(京都造形芸術大学)


本パネルは、韓国の美術と日本の写真という、異なる国とジャンルの問題が扱われながらも、作品と、作品をめぐって紡がれる作家や批評家によるテクストとイメージの関係性、あるいは国と時代を超えて形成される言説空間の力学を浮かび上がらせ、東アジアにおけるモダニズムを歴史的に再検討するという、その問題意識において通底するものであった。

最初の発表者である鍵谷怜氏は、1970年代の韓国美術「単色画」とその言説の形成において、美術家・李禹煥の役割を強調しながら、韓国におけるモダニズムと単色画の複雑な関係性を描出した。70年代の韓国美術界は、制作家たちは国内で単色画に結集する一方、美術批評は韓国の伝統文化に依拠する形で自国美術の独自性を海外に向け発信するという、内と外の二つのベクトルを擁していた。しかし「単色画」という名称の確立を美術批評史に即して追跡すると、事態は複雑な様相を呈する。この名称の確立は2012年の「韓国の単色画」展を待たねばならないが、鍵谷氏は同展の下敷きとなった2000年の「韓日現代美術の断面」展のキュレーター、ユン・ジンソプに着目することで、日本のもの派がmono-haとして国際的に受容されていることを踏まえ、彼によって「単色画」はDansaekhwaという韓国語表記による固有名詞化が行われ、韓国美術の独自性は単色にあることが打ち出されたこと、また、ユンのもの派絵画という言葉遣いから、日韓の芸術家およびもの派と単色画との交差点として、李禹煥が念頭に置かれていた可能性を指摘した。そこで、李禹煥の美術理論の受容という観点から、単色画と西洋モダニズムの美術理論との関係性が考察された結果、単色画は、西洋近代を批判する李禹煥の美術理論を介して、グリーンバーグ的モダニズム絵画の文脈に組み込まれながらも、モダニズム批判の文脈におけるミニマリズムの美術と混同されるねじれを見せ、そこへ近代以前の韓国の美学的伝統への参照が輻輳し成立したことが示された。西洋近代のモダニズムを内面化しながら、美術に対する自己批判を内包した点において、単色画は「韓国におけるモダニズム」と評価できるものであるとされ、非西洋世界において海外の動向を受容する時間差の問題とモダニズムの多様な枠組みを想定する必要性が説かれた。

続く李範根氏の発表は、写真家・土門拳の戦後のリアリズム写真には、戦前の道写真家としての活動で培われた「典型」と「組写真」という2つの方法論が伏流していたことを指摘し、これらが土門独自の写真の方法論として戦後に新たな変容をみせていたことを示した。戦後のリアリズム写真は乞食写真ないしスナップ写真にすぎないという批判を克服するために、土門が戦後に掲げた方法論が、典型と組写真である。前者は、撮影対象を対象たらしめるような本質的な要素を備えた類型を意味する。土門は典型を備えた写真を撮るためには撮影の際の被写体への注文は正当化され、作為的な演出とは区別されると主張しており、この主張は既に戦前からなされていたものであった。また後者は、写真家の意図を効果的に伝えるために、戦前に報道写真の分野で確立された、複数の写真を組み合わせ一つの物語を紡ぐ手法である。李氏は、これらの方法論を概括したうえで、写真集『ヒロシマ』のテクストとイメージの分析を行い、『ヒロシマ』では、典型を備えた一枚一枚の写真から構成される組写真もまたそれ自体が一つの典型をなすことを指摘するとともに、それらの写真を写真集後半のテクストとの関係性から読み解く必要性を強調することで、土門が独自の組写真の様式を編み出していることを明らかにした。土門拳研究が抱える戦前と戦後をめぐる二項対立的な膠着状況を打開し、その写真を読み直すための新たな視点を提示する試みであったといえる。

質疑およびコメントでは、まず鍵谷氏の発表に対して、単色画の言説形成において李禹煥の役割を強調することの意義が議論の俎上に載せられた。具体的には、李禹煥が果たした役割の実証性、70年代の同時代的なモダニズム認識と後続的な言説形成の関係性、そして日本と韓国で越境的に制作・評論活動を展開した李禹煥に着眼して単色画の歴史を語る際、グローバルなアート・ヒストリーとナショナルなアート・ヒストリーをどのように絡み合わせるか、あるいは絡み合わせないのか、といった歴史記述をめぐる問題が争点となった。李氏の発表も日本写真史を読み替え近代を歴史化していく点で鍵谷氏と軌を一にしていたが、戦争を一つの歴史区分として、戦前にルーツを持つ土門拳の写真の2つの方法論が連続的にであれ断絶的にであれ語られることによる、戦前の国威発揚的傾向を引き継ぐあるいは捨象する可能性が議論された。また組写真を読み解く際、写真とテクストのあいだの力点の置き方に応じて、作品の読解が多様な展開を見せることが、発表者と司会者の活発なやり取りから見て取れた。

どちらの発表も、作品そのものと、制作家の理論や批評家の言説の分析とを視野に入れ、それぞれの次元で複数の言説が混線する問題を扱ったこともあり、錯綜する個々の事象を解きほぐしその関係性をより緻密に整理する必要性を感じさせたものの、ともに議論の前提とされてきた従来の図式を疑問に付し、複雑でありながら、しかしそれゆえに豊かな、東アジアのモダニズムをめぐる問題の地平を切り開いてみせた。今回扱われた問題が分析対象のそれぞれの分野と地域の固有の問題として収束するのではなく、同時代の視覚文化史の動向を射程に入れたより普遍的な視座のもと、さらなる議論が展開していくことを期待したい。

鈴木実香子(東京大学)


【パネル概要】

韓国「単色画」の形成と李禹煥
鍵谷怜(東京大学)

1970年代の韓国美術を代表する動向として、「単色画(Dansaekhwa)」が近年国際的に再注目を集めている。単色画とは白やグレー、黒などの無彩色に近い中間色を用いた、大きい画面に描かれるモノクローム絵画であり、画家のパク・ソボが中心となった展覧会である「エコール・ド・ソウル」と、批評家のイ・イルによる日本への戦略的展開の二つを軸として広がっていった。中心的な作家の多くは今でも同傾向の作品制作を続けており、現在まで大きな影響を与え続けている。

本発表では、単色画が韓国において、自国の独自性の表出として、美術モダニズムの成立と同一視されてきたことに着目し、1970年代韓国における美術のモダニズムを捉え直すことを試みる。「単色画」という名称が、近年になって固有名詞として(単なる「韓国モノクローム絵画」ではなく)定義されたことは、単色画と韓国のナショナル・アイデンティティとの結びつきを示している。しかし、実際の形成過程においては、戦後の韓国アンフォルメルと呼ばれる抽象絵画の系譜に、もの派の中心人物として知られる李禹煥の美術理論、さらには韓国の伝統的な美学が混ざりあっているため、従来の「単色画=モダニズム」という図式では単色画の特質は十分に捉えることはできない。そこで、特に李禹煥が単色画の形成において果たした役割を明らかにし、それが「韓国に特異的な単色画」という言説を生み出すうえで与えた影響を考察する。

土門拳における「典型」と「組写真」──戦前の報道写真と戦後のリアリズムの間にあるもの
李範根(イボムグン)(東京大学)

土門拳(1909-90)は1950年代に写真のリアリズムを標榜し、アマチュア写真家たちに向けて、カメラによる現実の客観的再現を尊重しつつも、撮影者の主観をその客観性の根底に定着させることを呼びかけていた。そのリアリズムを支える2つの方法論として打ち立てられたのが、「モチーフとカメラの直結」と「絶対非演出の絶対スナップ」である。

ところが、両方法論は現実の客観的再現をより意識させる節があり、特に後者の「絶対非演出の絶対スナップ」は、非演出のスナップを駆使すれば、それが直ちにリアリズムであるかのように捉えられる状況を生む原因となる。そこにおいては、撮影者の主観は問題とされがたく、また非演出という条件は、リアリズムを形式化する呪縛ともなった。土門がそのような状況を乗り越えるために、リアリズムの新たな課題として掲げるようになったのが「典型」と「テーマ性」である。

「典型」と「テーマ性」という課題への取り組みを取り上げ、その内実や意義を評価することが本発表の目的である。その際に手がかりとするのは、彼における「組写真」と「典型」の捉え方である。「組写真」とは撮影者の目的意識に立脚したテーマを設定し、それにあわせて複数の写真を体系化する技法であり、一方の「典型」とは、対象の持つ本質的な内容や意義を追求するための概念である。いずれも、戦前、報道写真を追求する過程で獲得された写真の方法論であるが、これらが、戦後リアリズムの課題として掲げられた「典型」と「テーマ性」への取り組みの過程で再び召喚されるのである。

発表ではその経緯を踏まえ、戦後のリアリズムが、戦前の報道写真と共鳴していることを指摘しながらも、それが単なる方法論的回帰ではなく、異なる側面を獲得していたことを浮き彫りにしたい。

広報委員長:横山太郎
広報委員:柿並良佑、白井史人、利根川由奈、原瑠璃彦、増田展大
デザイン:加藤賢策(ラボラトリーズ)・SETENV
2018年2月26日 発行