人為と自然のあわいで踊る身体:パリ第8大学教授ジュリー・ペラン講演会報告
【講演会概要】
パリ第8大学教授ジュリー・ペラン連続講演
主催:東京都立大学「あわい」の比較文化研究・リサーチコア
講演者:ジュリー・ペラン(パリ第8大学教授)
第1講演:
「ダンスを構成する:操作と実践のボキャブラリー」
日時:2025年10月21日
会場:室伏鴻アーカイブカフェShy
司会:越智雄磨
第2講演:
「海辺のコレオグラフィ:陸と海のあわいで踊る身体」
日時:2025年10月29日
会場:東京都立大学 南大沢キャンパス
司会:西山雄二
2025年10月に、東京都立大学「あわい」の比較文化研究・リサーチコアの主催により、パリ第8大学教授のジュリー・ペラン氏を招聘した連続講演が開催された。本企画は、舞踊創作の理論化と、環境や場所に根差した舞踊実践の分析という、ペラン氏の研究における二つの軸を横断的に紹介することを目的とするものである。いずれの講演も、現代のダンス研究における方法論的な更新を、具体的かつ射程の広い形で提示する内容となった。
第1講演「ダンスを構成する:操作と実践のボキャブラリー」において紹介されたのは、ダンスの「構成(composition)」に関連するボキャブラリーについての研究成果である。ペラン氏は、振付家ミリヤム・グルフィンクとパフォーマンス研究者であるイヴァンヌ・シャプイの二人の共同研究者と十人の振付家たちと集中的な対話をするなかで、ダンスの「構成」に関する特異なボキャブラリーを抽出し、考察することで、現代のダンスの構成原理を浮き彫りにしている。

振付家が自らの創造の過程で口にした構成に関する言葉は、たとえば「肥やしを作る」「解剖学の外に出る」など一見して不可解なものも多い。しかし、この研究は、その言葉の含意や背景を丁寧に読み取り、それが新しい動きや感覚を生み出すために発明されていたことを明らかにする。そして、振付家自身も作品の完成像が見えない中、新しい言葉を生み出しながら、今までにない思考と感覚のひだを探索している様子が具体的に描出されていた。個々の創作の状況との結びつきは捨象せずに維持しながらも、そのボキャブラリー群を「向ける/宛てる(adresser)」「組み合わせる/集める(assembler)」「選ぶ(choisir)」「引用する(citer)」など、20のカテゴリーにさらに分類している。つまり、本研究は、個々の作家のモノグラフではなく、また特定の作家が自身の創作方法について開陳するといった類の書籍とも異なり、アーティストの身体観や世界観と不即不離のダンスという芸術の特異性を認めながら、現代の振付の方法論として一般化しようとする点で挑戦的と言える。さらにダンスに固有の思考の創造に目を向けると同時に、その美学的効果を受け取る観客の立場も意識している点で、本研究は、創造の学としてのポイエティークと、鑑賞の学としてのエステティークの間のバランスを絶妙に取った研究と言えるだろう。
たとえば「実践(pratique)」というカテゴリーでペラン氏は、マルコ・ベレッティーニの《ifeel3》(2016)を取り上げる。この作品は、通し稽古の反復そのものが作品となっているユニークな構造を持ち、パリ第8大学の授業において学生の作品分析の課題にもされている。ダンサーたちが20分間の通し稽古を疲弊するまで執拗に何度も反復するこの作品において、ベレッティーニは、ここでダンサーが行う反復的実践を、自己を「再初期化する/リセットする(réinitialisation)」ことだと表現する。この言葉は、ベレッティーニによれば、ダンサーが自身を心理的ないし身体的に条件づける習慣から距離を取り、次に何を行うかを先読みしない態度を形成することを含意する。そして、過去や未来への志向を一時的に括弧に入れ、現在の状況に応答し続けるための方法でもある。そこでダンサーたちは、振付が書き込まれたマクロな構造のなかに身を置きながら、「リアルタイムのエクリチュール」と呼ばれる特異な即興的な状態を作り出し、観客は異様に反復される冒頭を見ながら作品と「美的な契約」を結ぶ。
本報告者の理解によれば、この講演で提示された構成に関するボキャブラリーの整理には、ダンスを完成された作品として分析するのではなく、創作の過程で生起する思考や運動性を重視するという近年のダンス研究の方法論的転回が見られる。この方法は、舞踊研究における記述の対象を作品からプロセスへと移動させるものであり、ダンス研究の方法論そのものを問い直す試みとして位置づけることができる。
そして、ペラン氏の示した研究方法は、たとえば、日本のような、身体感覚を再編する語彙を用いる振付に対しても、有効な分析枠組みを提供しうるだろう。
第2講演「海辺のコレオグラフィ:陸と海のあわいで踊る身体」では、ペラン氏がこれまで行ってきたダンスの「空間性」に関する研究と日本の「あわい」の概念との接続が試みられた。
ペラン氏はまずフランス国立科学研究センターから出版されている『日本空間の語彙(Vocabulaire de la spatialité japonaise)』(2014)を参照し、続いて『「ま」と「あいだ」(Ma et aida)』(2016)所収の藤田正勝論文から「awai」の議論に到達する。そこで「あわい」は「間(ま)」の内部で分かたれていたものが再び結びつく場所、対立するもの同士が相互浸透する接点として理解され、フランス語でいう「潜勢(latence)」—いずれ何かが起こりうるが、それが何かは分からない—という感覚とも接続された。さらにオーギュスタン・ベルクが「間(ま)」の項で日本文化を「〈あわい〉=entrelienの文化※1」と特徴づけ、「中間環境(milieu)」や和辻哲郎の風土論の参照を通じて、関係が二者間に閉じず環境全体へ開かれる点が強調された。この連関は、氏が海辺を「閾」=物質が交錯しもつれ合う充満した場として捉える導線となる。

ペラン氏は海辺で実践された西洋のさまざまなダンスについての分析、考察を展開した。氏によれば、海辺は空間的境界が揺らぐ場であると同時に、潮汐や気象による時間的無常の場であり、通過と連続的変容=変身の可能性を開く場である。そのような海辺の空間でダンスのプロジェクトを進行した振付家として、歴史的系譜から現代実践までを横断するかたちで、イサドラ・ダンカンやルース・セント=デニスから、アンナ・ハルプリン、シンディ・ヴァン・アッカー等に至る複数の実践が参照された。
例を引くならば、イギリスのコーンウォールで上演されたローズマリー・リーの《Pssage for par》(2018)という作品では、潮の変わり目の時間帯に当たる90分間が上演時間として設定されており、人間の身体が海の周期的な時間の中に配置される。水の中で踊る30人のダンサーたちは、水中に没入し、呼吸し、体勢を整え、踊ろうとする能動的な状態と、波という外的な力に動かされることに身を委ねざるを得ない状況のあわいに置かれる。ここでは、人間の身体が自然のリズムに「配置される」こと自体が振付の操作となっている。
より近年の実践例としては、水を人間以外のものが生きる環境として扱い、レユニオン島でザトウクジラとの出会いを探究するマリーヌ・シュネや、気候変動によってノルウェーのフィヨルドに新たに流入してきた有櫛動物(ミネミオプシス・レイディ)の群れとともに、「種を超えた関係の表層を漂流」することを実践したエリー・S・バドネットのダンス・プロジェクトについて論じられた。
ペラン氏の第二講演は、世界的な気候変動を背景にした、人間と自然の関係を再考する環境人文学やポスト・ヒューマンの議論とダンスという芸術を接続する可能性を示したと言えるだろう。換言すれば、ペラン氏が示したのは、災厄や危機の時代において、ダンスが人間の〈存在の仕方〉を再編成しうる実践であるという視座である。そこでは、振付は振付家という特定の個人によるダンサーの身体の操作に還元されるものではなく、環境そのものを、身体・物質・他者の関係を配置しなおすアクターとして捉え直すことが試みられている。
報告者が本講演の議論を踏まえて想起したのは、ミシェル・フーコーが『言葉と物』において、やがて「人間は波打ち際の砂の表情のように消滅するだろう」と、海辺のイメージと共に詩的に語ったことである。近代的人間が一つの時代、エピステーメーの産物であることを示すこの言葉は、ロージ・ブライドッティによって「ポスト・ヒューマン」の議論の端緒として再文脈化されているが、フーコーが近代的人間およびその限界を指摘するにあたって、海辺をイメージとして用いたことは、単なる偶然以上の連関を示しているように思われる。ペラン氏が紹介した振付家やダンサーたちは、「海辺」を生成、消滅、変身、遭遇のモチーフを実践する場として選択し、まさに人間性を環境との関係の中でアップデートしてきたからである。また、この「海辺のコレオグラフィ」の実践例として、日本のパフォーミング・アーツの事例として補足するならば細江英公が海辺で踊る土方巽を撮った『へそと原爆』(1960)等を挙げることもできるだろう。この映画では、生と死のあわいと捉えられる海辺で踊っていた身体が、最後には強烈な光と共に消失するイメージで終わる。
さらにより長い歴史的視点で「海辺のコレオグラフィ」の日本的事例を考えるならば、海辺の表象としての能舞台や能の演目について考察した原瑠璃彦氏による『洲浜論』とペラン氏の研究を対話させるように比較検討する可能性も見出せるのではないだろうか。両者の研究はいずれも、現代の環境危機における自然と人間の関係を再考する人文学に賦活する点で共通性を持つと考えられる。
二つの講演を通じてペラン氏が一貫して提示したのは、舞踊を固定的な作品や主体の自己表現として捉えるのではなく、身体的実践/操作と環境的配置という二つの次元を横断するかたちで、身体・空間・物質・他者が相互に関係し合いながら編成される生成的プロセスとして捉え直す視座であった。この視座は、ダンスに限らず、今後多くの分野で検討されるべき課題を照らし出すだろう。
※1 entrelienは「あわい」の訳語としてベルクが考案した造語。隔たりを示すentreと繋がりを示すlienの2語が組み合わされている。
