すべてがアートになったあと:現代美術と理論の戦略
拙訳書『すべてがアートになったあと』(水声社)については巻末の解題で論じたので、著者マリオ・ペルニオーラを大いに触発し、「アートのフリンジ転回」着想させたキーパーソン、マッシミリアーノ・ジオーニが参加した鼎談を取り上げて、本書の意義を示す。
2013年のヴェネツィア・ビエンナーレの総合ディレクターを務めていたちょうどそのころ、ジオーニはある対談に参加している(Cf. Jens Hoffmann(ed.), Show Time: The 50 Most Influential Exhibitions of Contemporary Art, 2014, pp. 242-249)。お題は「キュラトリアル・イノヴェーション」と「キュレーティングの近年の変化」と「これから」。これら3つのテーマについて、ハンス・ウルリッヒ・オブリストはじめ、欧米で活躍する世代違いの7名のキュレーターと意見を交わす企画である。ただ、ディスカッションはジオーニの期待する方向には進まず、最後のテーマであるキュレーションの未来については「回答なし」に終わっている。
「わたしたちは展示過剰の時代にいる」と語るジオーニは、キュレーションに欠かせないのは「革新」ではなく「革命」であり、「領域を拡張し、拡張について考えさせる作品と作家を指し示すことである」と訴える。キュレーションとはつまり、新たな知を創出することである。ジオーニのその姿勢は、エドゥアール・グリッサンの「多島海的思考」を参照元として有益だと仄めかすオブリストの態度とは正反対である。
キュレーションは、既存の知を流用するのではなく、知のパラダイムそれ自体を更新するものであるはずだ。本書が説くのはまさにそのことである。
(鯖江秀樹)