世界の可能性
フランス現代思想を代表する哲学者の一人でありながら、ジャン゠リュック・ナンシーについての日本語の入門書は、これまで澤田直『ジャン゠リュック・ナンシー――分有のためのエチュード』(白水社、2013年)しかなかった。澤田書と同年の2013年に原書が刊行された本書は、ナンシーによるナンシー入門とでもいうべき著作であり、今後ナンシーを読みはじめようとするひとにとって格好の手引きとなるものだろう。ナンシーのよき理解者だったピエール゠フィリップ・ジャンダンを聞き手とした対談の記録であるため、テンポもとてもよく、きわめて読みやすいのが特徴だ。
内容をざっと紹介すれば、まずはナンシー自身の生い立ちと知的形成過程を振り返るところから対談ははじまる。バーデン゠バーデンでの幼少期からキリスト教青年学生団(JEC)への参加、『エスプリ』誌周辺の人々との交流、第二ヴァチカン公会議の印象、さらには1960年代のフランスの哲学・思想界の状況――レヴィ゠ストロースやラカン、フーコー、ドゥルーズ、デリダらの活動――がどのように見えていたかなど、同時代の政治的・思想的出来事への若き哲学徒の応答を物語るドキュメントとしても非常に興味深い内容がつづく。
その後は、「世界」「共同体」といったナンシーの重要概念が、ジャンダンの巧みな問いを起点に新たな角度から語りなおされ、ナンシーの代名詞ともいうべき共同体論の政治的な射程が「民主主義」や「政治的情動」をキーワードに論じられてゆく。このあたりが、ナンシーによるナンシー入門としての本書の核をなす部分だろう。
また、1990年代以降のナンシーの活動の二大テーマともいえる「宗教」と「芸術」が俎上に載せられている点も見逃せない。分量としてはさほど多くないが、芸術論『ミューズたち』や「キリスト教の脱構築」プロジェクトの大枠をナンシー自身の言葉で知ることができ有益である。
そして最後に、「現在、現前性」と「ニヒリズム、あるいは喜び」という二つの短い章で本書は締めくくられる。前者では、ナンシー哲学の時間論としての側面が語られているところが興味深い。アリストテレス、フッサール、ハイデガー、デリダの時間論をふまえつつ、「到来」という時間の重要性を強調する議論は、ある意味ではナンシーの存在論の「基盤」を語るものとしても読めるだろう。後者では「喜び」をキーワードとして、2013年時点での現在進行形の思考が語られている。対談の掉尾を飾る「ドゥルーズ的」とも形容できそうなその語り口を読むと、この哲学者を本当に「デリダ派」や「脱構築派」として語ってよいのかという疑問が頭を擡げてくるにちがいない。
このように、本書はたんなる回顧に終始するものではなく、ナンシーの思想の複雑さまでをも提示している点で、入門書であると同時に、入門書の一歩先へと読者を誘うものともなっている。では、ナンシーの次なる一冊としてどの本を読むべきだろうか。もちろん順当に『無為の共同体』に進むのもよいだろう。だが、あえて最高峰に挑んでみてもよいかもしれない。まもなく日本語訳が刊行される『世界の意味』(原書:1993年、伊藤潤一郎・横田祐美子訳、法政大学出版局、近刊)は、50年に及ぶナンシーの活動の理論的な最高到達点をしるしづけるきわめて難解な著作だが、本書『世界の可能性』を踏まえると思いのほか読みやすくなるはずだ。『世界の意味』の取り付く島もないようなエクリチュールは、『世界の可能性』という補助線を得ると格段に理解しやすくなるだろう。図らずも似たタイトルの著作が日本語では連続して刊行されることとなるが、翻訳というズレを生む行為がもたらしたこの「偶発性」を好機として、ナンシーの哲学に興味をもつ読者がひとりでも増えることを願っている。
(伊藤潤一郎)