柳宗悦 無地の美学
民藝研究、そして柳宗悦研究は、アプローチが多岐に渡り、層が厚い。その上で、本書の著者である佐々風太氏は、柳の「無地論」を正面から扱った研究はこれまでになかったと指摘する。氏の博士論文を基礎として発表された本書は、その点において示唆にとんでいる。
人文系の研究において、広辞苑の字義を前置きとするのはお約束だが、本書においてはそれが効いている。無地といえば、単色かつ均質で余白を残さないさまをイメージしやすい。まず著者は、その前提を受け止める。その上で、本書の表紙に掲載された図版は、「辞書的な」意味から外れている。ここから、本論の前提共有が始まる。これが濱田庄司旧蔵の「塩釉髭徳利」(ドイツ産)の部分写真であることが、巻頭のカラー口絵によって分かるが、表面はまだら(柚子肌)で、色が上下で二層に分かれている。つまり、単色ではなく、釉薬もムラがあり、滑らかではない。そして何より、(髭徳利というだけあって)瓶の首のところには髭をたくわえた陽気な表情が刻み込まれており、全体としてまるで大男のような造形に仕上がっている。それでは、なぜこれが無地と言えるのか。「塩釉のベラミンもまた、豊かなむらを伴ったその釉調の美によって無地と呼ばれたと見てよい。」(80頁)という指摘は一見すると難解だが、本書の独自性を凝縮した言とも解釈できる。
ひとたび、この「入口」の仕掛けに気づけば、本書のユニークな論点もスッと入ってくるであろう。いわゆる「『白樺』時代」から晩年に至るまでの、柳による無地をめぐる言説がたどられていく。民藝研究、または柳研究においては、無地という主題を考える上で模様の問題を欠かすことはできない。「柳が美の極致が無地に見られると語るとき、それは文様のある器物を捨象しているのではない。無地と同質の佇まいを有する一切の文様が、同時に評価されていると見なくてはならない」(57頁)という指摘は、その意味で十分に示唆的である。そして、本書の主眼の一つには、器物に表れた無地をめぐる言説と、柳の「無」をめぐる思想との並行関係を明らかにすることで、無地の概念を「無」の概念へと敷衍する試みが挙げられる。実はこの問題意識は、本書冒頭を「宗教哲学者・柳宗悦」と(あえて限定語で)始めているところにも読み取れよう。
灯台もと暗しと言うべきか。最もシンプルで最も本質的な問いに挑む本書は、今後の研究においても一つの参照点となるだろう。そして本書に言及されている、『民藝』第八三八号(2022年10月号)の「無地」特集もあわせて紐解いてみれば、関心は尽きない。
(古舘遼)