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フンボルトコレーク東京 2025 『イメージ・自然・言語:像行為から新たな文化概念へ』

報告:二宮望

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2025年5月9日から11日にかけて、東京・慶應義塾大学三田キャンパスにおいて、「フンボルト・コレーク東京 2025」が開催された。本会議は、アレクサンダー・フォン・フンボルト財団の支援を受け、同財団の研究奨学生や招聘研究者を中心とした国際的な学術交流の一環として企画されたものである。同様の国際コロキウムとしてはこれまでにも、2016年に『思考手段と文化形象としてのイメージ』(REPRE28の報告記事)、2019年に『神経系人文学と経験美学』(REPRE37の報告記事)が開かれており、今回は6年ぶり、三度目となるコロキウムである。今回のプログラムには、若手研究者によるショート・プレゼンテーションやキャンパス内の建築(演説館や旧ノグチ・ルームほか)をめぐるツアーなど、従来のシンポジウムの枠を超えた多彩な企画が盛り込まれ、全体としてきわめて充実した内容となった。プログラムの詳細については、本イベントのHPより参照されたい。

さて、今回のテーマは「イメージ・自然・言語:像行為から新たな文化概念へ」と題されており、前二回の会議を引き継ぐかたちでイメージ研究に焦点を当てつつも、デジタル技術の変容やポストパンデミックとも言われる状況を踏まえ、自然観や文化概念の再構築が大きな論点として掲げられた。主催者のひとり坂本泰宏氏の「開会の辞」によると、近年急速に発達している生成AIやディープフェイクといったテクノロジーは、現実の知覚や科学の真実性への信頼を根本から揺るがしている。加えて、コロナ禍における移動の制限は、みずからの眼で世界を「見る」ことを困難にし、その結果、人間同士の身体的距離のみならず、世界と人間との関係も再編成されることがうながされた。こうした状況のもと、今回のフンボルト・コレークでは、イメージがいかに世界を媒介しうるのか、そしてそのような新しい条件下で文化や自然といった概念がいかに再定義できるのかが中心的課題とされたのである。

もとより30を超える発表すべてを網羅的に論じることは困難なため、以下では、ハイライトとなったいくつかの講演にしぼって、その概要を紹介したい。

1990年代以降、イメージ研究が活況を呈するなかで、イメージを言語と鋭く対立させる論法はひとつの常套句となってきた。イメージにはイメージの、言語的なものには還元されない固有の自律性がある、という命題である。とはいえ、両者の関係はそれほど単純ではなく、イメージと言語はしばしば協働し、相補的な関係を築いてきたと見るほうが適切な場合も多い。ヴァルター・ベンヤミンをはじめとするドイツ文学研究から出発し、認知科学と人文学を架橋する経験美学の領域を切り開いてきたヴィンフリート・メニングハウス氏は、或る語が文脈を超えて転用される際に現われる「イメージ的な言語使用」について考察する。イメージと言語の類比ということで言えば、よく知られたホラティウスの「詩は絵画のごとく(ut pictura poesis)」が思い起こされるが、ここで言う「言語イメージ性(Sprachbildlichkeit)」とは、詩文などで頻繁に見られる視覚喚起的な語法のことである。文学作品における韻文では、文法的に不規則な言語使用がかえって効果的な心理作用を生むことがある。メニングハウスは、シェイクスピアのソネットとP.ツェランによるその翻訳など、具体的なテクスト分析を通じて、「言語イメージ性」が読者の認知的な情報処理に負荷を加えながらも、詩行の鮮烈な印象をいっそう際立たせるという洞察を引き出した。

言語のイメージ性、あるいはその裏面にあるイメージの言語性へのまなざしは、記号表現を固有の形式から解放し、複数の記号体系が交差することで生まれる豊穣さを示してくれる。ただし、その視野が人間の作った文化産物にのみ限定されるのであれば、近代以降、頑強に区画整備されてきた自然/人工の二項対立は温存させられることにつながりかねない。ドイツにおけるイメージ学(Bildwissenschaft)の第一人者ホルスト・ブレーデカンプ氏は、講演のなかで、文化的なイメージ概念から締め出されてきた自然のなかにも、みずからの形態を組成する能動的な力が存在すると主張する。その議論の骨格をなすのは、デカルト的な二元論に異を唱えたライプニッツであり、芸術的な知の形式のもとで自然科学を探求したガリレイであり、進化論を提唱するの中でリゾーム的なサンゴ・モデルを発見したダーウィンである。いずれも、ブレーデカンプの著作に親しんだことのある者ならおなじみの顔ぶれであろう。講演の後半には、現代作家ジョアン・フォンクベルタが人工的なプロセスによって作り上げた架空の生命体や、やはり美術家のカトリーン・リンカースドルフが日本での滞在経験に裏打ちされながら制作した、枯死してゆく植物の写真シリーズが取り上げられた。いずれにしても、全体を通してブレーデカンプが示そうとしたのは、従来のイメージ研究が見落としてきた、自己組織化する自然の根源的な形象能力にほかならない。

イメージは、このように人間と非人間、さらには文化と自然をつなぐ蝶番の役割を果たすが、両者の橋渡しはいかにして可能となるのか。人類は古来より生命維持のために自然を効率的に加工する技術を磨いてきた。ヴォルフガング・シェフナー氏は、この200年にわたる技術の歴史を、人間と物質のラディカルな関係の変化として次のように整理する。すなわち、19世紀の産業化以降、機械的な重工業に不可欠な「鉄」が主要な素材として定着し、これが「ハードウェアI」と呼ばれるパラダイムをかたち作る。つづけて、機械から電気エネルギーへの移行を経て、電子情報処理を基盤とするデジタル時代の「ハードウェアII」が到来する。だが現在、このデジタル技術の覇権的状況は地球規模の生態学的危機を招いている。ここでシェフナーは、古代から続く「幾何学」に立ち返ることで、もう一度アナログへ移行することを提案する。幾何学は、象徴的な記号操作でありながら、物理的な空間生成でもある知の体系である。物質を受動的な素材としてではなく、活動的で、幾何学的にコード化されたものとしてとらえ直すことで、自然に内在している特性や挙動をつかまえた新たなテクノロジーの可能性が見えてくる。こうして、シェフナーは、自然のプロセスを物質的コードとして解釈する「ハードウェアIII」を提唱し、文化と自然のあいだの新しい関係をデザインする「マテリアル・ヒューマニティーズ」を待望するのである。

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いま挙げた三名は、それぞれの仕方で「あらたな文化概念」の基盤となる洞察を提示し、コロキウムを締めくくるパネルディスカッション「人文学の将来について 新たな世代のための問い」でも、ふたたび示唆に富んだいくつもの問題提起を投げかけた。むろん、ここで取り上げられなかった研究発表も、上記の論点を補完し、数多くの興味深い知見を提供したことは言うまでもない。初日の若手研究者による発表では、主にドイツ語圏の文化・芸術にまつわる多彩なイメージの諸問題が議論された。二日目には、ドイツからの招聘研究者らに加え、日本人研究者による基調講演も織り交ぜられ、異文化を往還する視点に裏づけられた研究発表が目立っていた。最終日となる三日目にも5つのセッションが設けられ、日独の研究者が各自の専門的見地から多岐にわたるテーマについて発表を行った。筆者自身も三日目のセッションの発表者としてシンポジウムに参加する機会を得たが、一参加者としての私見を交えて言えば、多くの発表がイメージの可視性や意味の背後にある政治的な力学を問題にしていたことが印象に残った。なかでも三日目の稲賀繁美氏による基調講演では、ギュスターヴ・クールベの《仕留めの合図》(1867年)が取り上げられ、この絵画の政治的寓意が当時の社会的文脈のなかでいかにして見えなくされてきたのかが精緻に分析された。

今日、わたしたちが当然のように受け取っているイメージが、受容者には見えにくいバイアスを色濃く反映しているとしたらどうだろうか。イメージは瞬時に受け手へと届き、一見して全体を明瞭に示しているかのように思えるため、しばしば真実を告げる透明なメディウムと理解される。しかし、その意味形成は、言語化しにくい多重の感覚的な層に媒介されているため、きわめて複雑で可塑的である。やや強引に冒頭の「開会の辞」に結びつけるならば、今日、人々がイメージと触れる場は、画像生成の自動化と検索・閲覧プラットフォームの独占というかたちをとって、かつてないほど不可視化されている。カーチャ・ミュラー=ヘレ氏が論じたデジタル・イメージ文化における検閲の問題は、まさにこうしたブラックボックスの内部で生まれるイメージの制限とフィルタリングの典型例である。現代のメディア環境を生きるわたしたちは、知らぬ間に特定のエージェントによって選別・加工・序列化されたイメージを受け入れている。そのような磁場のなかでは、文化的に馴致され、平板化したイメージのみが溢れかえることになる。この閉塞的な状況から抜け出し、イメージとの新鮮な出会いを取り戻すためにも、言語のイメージ性を宿す文学テクストに心を震わせ、自然が見せる生成的な形象能力に驚嘆し、素材の内的な構造を最大限に活かすアナログな「マテリアル・デザイン」に学ぶ必要があるのではないだろうか。

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なお、本コロキウムの成果の一部は、書籍として刊行される予定である。今回、報告したドイツ人研究者の基調講演のほかにも、多数の研究者による論考が収録される見込みなので、ぜひとも出版を楽しみにしていただきたい。

広報委員長:原瑠璃彦
広報委員:居村匠、菊間晴子、角尾宣信、二宮望、井岡詩子、柴田康太郎
デザイン:加藤賢策(ラボラトリーズ)・SETENV
2025年10月31日 発行