大学キャンパスを〈映画ロケ校〉みたいに舞台化する
今年の大会は、前回にも増して猛暑との闘いだった。8月末という、本来ありえない日程でいくことを決めたときから覚悟はしていたものの、やはり暑さは相当なものだった。熱中症で搬送される人が出なかったことにほっと胸を撫で下ろしたのは、私だけではないだろう。そして、それ以上にありがたかったのは、発表者として、また聴衆として、予想以上に多くの会員・非会員を参加者に迎えられたことだ。閑散とした「夏枯れ」の学会となることを心配していたが、それは嬉しい誤算となり、8月30日(土)と31日(日)をあわせ、実数で330名を超す来場者があった。暑い中、皆様ありがとうございました、そう心よりお礼申し上げたい。
とはいえ、開催にこぎつけるまでにも、じつは会場確保というもうひとつの闘いがあったことを、ここで告白しておかなければならない。近年、どこの大学でもそのようだが、武蔵大学も御多分にもれず、校舎を外部試験その他の用途に貸出しており、それが重要な収入源となっている。今大会に向けて、開催1年前の2024年7月には大学に使用申請を出していたのだが、その後、前期すべての週末が外部への貸出のため7月開催が不可能となった。さらに、大学から指定された8月末の日程で予約し直した会場も、その後、大会二日目の日曜日は外部に貸出すため会場を別棟に変更しなければならなくなった。この会場確保には、大学庶務課の担当女性が奮闘してくださり、新築中の2号館(なんと、あの隈研吾事務所の設計!)を、完成お披露目を兼ねて大会会場として貸してもらえることになった。ところが、それも工事の遅れから見通しが立たなくなり、翌2025年の初頭には、11号館と6号館という離れた2棟での分散開催という代替案が示された。しかも、大学側によると、2月末に外部への貸出が締め切られるまでは、申請そのものが100パーセント通るかどうか確約できない、というのだ。これはもうほとんど、学会はやるな、と言われているようなものである。私は心配のあまり、もし武蔵がダメだった場合に会場のみ引き受けてもらう他大学を確保しておいたほうがよいのでは、と同僚に相談したほどだった。開催の半年前のことである。
そんな薄氷を踏むような思いの一方で、外部への大学キャンパスの貸出ということに関して、もう一つのおもしろい経験をした。大学を退職して4ヶ月ほど経った2024年夏、たまたま観た映画《愚行録》(石川慶監督、2017年公開)が、武蔵大学でロケをしていたのだ。映画は直木賞候補作の小説を実写化したサスペンスもので、殺人や虐待、性暴力や近親姦がからむサイコドラマであり、悲劇のおもな原因が何年も前の学生時代にあったという筋立てである。証言者たちによるいくつもの回想シーンで、武蔵のキャンパスと教室が使われており、今回の大会初日に受付を設けた8号館コリドールや、二日目に使った大教室も、さりげなく出てくるのだ。今日、映画やテレビドラマで大学が施設を提供することは珍しくなく、人気作品ではロケ地ならぬ「ロケ校」が聖地巡礼の場となり、大学のPRにも一役買っている。武蔵の江古田キャンパスも、シンボルの大講堂をはじめ戦前の歴史的建造物がよく保存されているのと、美しいケヤキ並木など、都心に近いわりには自然が豊かであることから、これまで何度もテレビや映画のロケ場所となってきた。だが、私は《愚行録》のことを全く知らなかったので、画面にいきなり見覚えのある建物や庭が現れたときは驚いた。映画では、家柄や外見のよさが幅をきかせる「名門」大学という設定で、しかし明るいキャンパスライフは表向きだけ。ディープな場所にいくと屈折した人間関係が浮き上がり、ニッチな薄暗い場所が心理空間ともなって、若者たちの愚かさで充たされる。見慣れたはずの校内風景が、まったく違った相貌を呈していた。
これを見て思い出したのが、家族の記憶である。プライベートなことになるが、私の父はかつて都内の私立高校の教師をしていて、学校の経営にも関わっていた。あるとき、テレビドラマ「3年B組金八先生」の撮影に学校の施設を使わせてほしい、と依頼があったという。ところが父は、女子生徒が妊娠してしまうような風紀の乱れた学園ドラマの舞台に、高校を使わせるわけにはいかない、と断ったそうだ。終生、教育者としての矜持高かった父らしい対応で、今から思えば微笑ましくもあるが、当時、高校生くらいだった(と思う)私は、さすがにそれは時代錯誤だと感じたし、ドラマが人気番組になるにつれてロケ校にならなかったことを惜しんでいる人も多いのではないかと気掛かりだったものだ。それを思うと《愚行録》は、私の父なら絶対に撮影を許可しなかっただろうような愚かさ満載の内容にも関わらず、施設を提供した大学は懐が深かった。監督の石川慶にとって長編デビュー作だったこの映画は、ベネチア国際映画祭オリゾンティ部門に選出され、初陣を飾った。さらに同監督は、今年2025年にはカズオ・イシグロの小説『遠い山なみの光』の実写化でその力量を遺憾無く発揮している。
見慣れた日常の風景が、映像の舞台となるということは、その場が非日常の「出来事」の現場となって回帰してくることでもある。大学の、古びた建築装飾やガラス越しの中庭の植栽までもが、登場人物たちの心理的な徴候のあらわれとして甦ってくる。そしてそれは、現実のキャンパスに書き込まれ、その場所は、もはや以前とまったく同一ではありえない。この感覚は、映画のロケで現地の人たちが味わう感覚に通じるものかもしれない。現代では映画ロケをプロモートするフィルム・コミッションという組織も存在するようだが、地域の文化・経済の振興といった実利性を超えて、地元の人の心を揺すぶるのは、こうした他所からの目が入ってきたことで生起した「場の変容」への驚きではないだろうか。ロケ校の側の人間として見れば、大学はたんなる背景でも書き割りでもない。
さて、それならば、映画の代わりに学会はどうだろうか。大学にとって一銭の得にもならない学会を引っ張って来て催しの輪郭を描くにあたって、どこかで意識していたのは、この「出来事」による場への書き込みということである。前にも述べたように「夏枯れ」を懸念した私は、武蔵の同僚3人に声をかけて、せいぜい開催校企画だけでも賑やかにやろうと、シンポジウムをはじめ、パフォーマンスや美術展、関連パネルやワークショップなど、目一杯の企画を展開しはじめた。シンポジウムの構想をまずはシュテファン・ヴューラーさんと練るなかで、私たちの大学がこれまでジェンダー研究の主戦場であり切磋琢磨の場となってきたことを改めて思い返していた。タイトルに絶対「フェミニズム」の一語を入れることに拘り──ただし、私が関わったのはそこまでで──あとは文学が専門のヴューラーさんと北村紗衣さんに人選などをお任せした。パフォーマンスは舞台芸術に詳しい北村さんが、これもジェンダー/セクシュアリティのテーマで企画を組んでくれ、学会が設置した親子休憩室やそこでの絵本展示とも響きあう、いかにも「武蔵らしい」大会初日のプログラムとなった。ミュージアム学とキュレーションが専門の小森真樹さんは、2024年からシリーズで開催している「美大じゃない大学で美術展をつくる」の第3弾として、大学構内や近隣地域を会場に、応答と対話をキーワードとした実験的なアート制作と関連トークをオーガナイズしてくれた。大学の物理的な場になにかを象徴的に刻みつける、画期的な事件だったといえる。そして、これも北村さんが担当してくれた、ウィキペディアの女性芸術家記事を編集するワークショップ。なんの変哲もない無色透明の教室が、世界とつながるフェミニズム実践の場へと変容することになった。そして私自身が担当した、戦争の記憶と現代美術についての企画パネル。「8月」という、偶然に転がり込んだ学会日程を逆手にとって、戦後80年目の夏に因む、思いを込めたタイトルを掲げた。そして、初夏のある日に企画委員会から送り届けられた、多彩な研究発表の数々──これはもう、開催校冥利に尽きる豊かなプログラムだった。
とはいえ、実行委員長とはあくまで舞台の裏方である。大会当日は、受付業務や弁当・飲み物デリバリー業者との対応などに追われ、自分が担当した上記のパネル以外は、いずれのセッションにもまったく参加できなかった。それでも大学を舞台に、映画ロケの向こうを張れるような、なにか凄いことが進行している、という手応えをじんわりと感じていた。(了)