シンポジウム 通じなさを抱えて 言葉をまたぐフェミニズム/クィアのポリティクス
日時:2025年8月30日(日) 13:30-16:15
登壇者:三須祐介(立命館大学)/岩川ありさ(早稲田大学)/福永玄弥(東京大学)/コメンテイター:清水晶子(東京大学)
司会:ヴューラー・シュテファン(武蔵大学)
本シンポジウムでは、クィア理論家のイヴ・K・セジウィックが提唱した「ビサイドネス」の概念を手がかりに、東アジアにおけるフェミニズム/クィア運動・文学・翻訳の交差を検討した。2002年に刊行された『タッチング・フィーリング』の中で、セジウィックはクィア理論・クィア批評による、性にまつわる諸規範への介入を特徴づけてきた「深さや隠されていること」、問題含みの現状の「beneath」や「beyond」への「パラノイア的」関心のオルタナティブとして「beside」という二元論的権力作用に歪められてきたあらゆる関係性を「横」の関係として想像しなおす視座を提唱した。コメンテイターを務めた清水晶子が2019年の論考「ビサイドのクィアネス ―イヴ・セジウイックにおける接触」(中島隆博・馬場智一編『グローバル化時代における現代思想 Vol.1 香港会議』)で論じたように、この「ビサイドネス」は、「触れること」と「感じること」という「接触」の経験と密接に繋がっているが、それがクィア・ポリティクスのオルタナティブとなるのは、隣り合って触れ合うもの同士、「複数の個体の相互浸透を促し自他の区分を非決定的なものにするような」接合を生み出すからではない(清水2019:89)。なぜなら、隣り合うもの同士の「接触」においてしばしば「感じられるのは」必ずしも「その両者を隔てる境界」、「その両者の融合に抵抗している『表面』」でもあるからである(ibid.: 95)。
だが、それは関係性そのものの否定ではない。接触におけるこの「抵抗」は、「私」の輪郭線の経験であると同時に、その経験を可能にする「私ではない」ものへの依存をも意味している。安易な相互浸透の幻想ではなく、関係性と距離、その両方を同時に新たに経験する契機こそ「ビサイドネス」の核心だといえる。セジウィックが「ビサイド」の接触を「平和な関係」としてみなしていないことは、そのようなの関係性の例として、「張り合うこと」や「ねじること」を挙げていることからも明らかである。クィアな政治にとって「ビサイドネス」が意義をもつのは、「自他融合的な相互浸透をもたらすスムーズな接触ではなく、断絶と他者性をはらんだぎこちない接触を介在させて隣りあうものたちが、さらに『常軌を逸した』かたちへとねじられ、ゆがめられて関係し、接続している場」(清水2019:99)としてである。
ここで思い起こされるのは、ジュディス・バトラーの『アセンブリ』(2018年)における「被傷性(vulnerability)」をめぐる議論である。清水が「埋没した棘:現れないかもしれない複数性のクィア・ポリティクスのために」(『思想』2020年3月号)で指摘したように、バトラーにとって「身体化された存在としての私たちは〔…〕自分一人で生存を維持することはできず、〔…〕生き延びるためには身体は不可避的にそれ自身ではないものとの諸関係に開かれ/晒されていなくてはならず、したがってあらゆる身体は必ず傷つけられやすい」が(清水2020:39-40)、その被傷性は平等に分配されていない。バトラーが『こんな世界はどんな世界か?:パンデミックの現象学』(2023 年)で述べたように、コロナ禍で再び経験したように「われわれはみな病気と死という環境とかかわって生きて」おり、そのせいか「パンデミックをグローバルなものと理解している」(バトラー2023:6)が、この世界は決して「共通世界」ではない。震災や戦争でも繰り返し経験されてきたように、ジェンダー、セクシュアリティ、人種、階級や健常性を軸に「世界の主要資源の大部分は平等に分配されていないし」、「コモンズの外部にあって残存し続ける生の領域がある」からです(バトラー2022:7)。
フェミニズム/クィア・ポリティクスにとってセジウィックのいう「ビサイドネス」の意義は、このようにヒエラルキー化された「生の領域」をビサイドの関係として想像し直す批評的・修復的実践に見出せることができる。ただし、それでも、ビサイドネスを安易に「差異」の解消として美化せず、隣り合っているもの同士の断絶や抵抗−隣り合うもの同士の「つうじなさ」−をかかえたまま、新たな関係性、ぎこちない連帯の構築こそ、フェミニズム/クィア・ポリティクスの可能性である。
このようなビサイドネスの実践において、被抑圧者の複数性のみならず、家父長制・異性愛主義・白人至上主義・西洋中心主義・健常主義など、ひっきりなしに生をヒエラルキー化する権力作用の複数性も可視化される。フェミニズム/クィアなポリティクスは、その意味では、つねに二種類の接触を同時に実践しなければなりません。あるゆる生の領域をヒエラルキー化する権力の線引きをねじまげ、ビサイドの関係として想像し直すいわば「法」への抵触と、断絶や抵抗−「つうじなさ」−をかかえた、隣り合うもの同士のいわばインターセクショナルな連帯の構築である。
本シンポジウムでは、東アジアにおいて、フェミニズム/クィアポリティクスがことば−それは言語圏や国境と必ずしも一致しない文化圏あるいは特定の生の領域における知の編成−をまたいで展開されるとき、そこにどのような接触、どのような断絶、どのような抵抗が経験され、またそこにどのような関係の新たな再接続が可能になるのかについて考えた。とりわけ2010年代以降、東アジアにおけるフェミニズム/クィア文学の翻訳が活発化しており、女性と性的マイノリティの人権保障をめぐるポリティクスも、多分にバックラッシュの波をも受けながら広がり、東アジア各地で相互に影響を与え、新たな局面を迎えてきた。
そのような背景のもとで、フェミニズム/クィア・ポリティクスがことばをまたぐとき、わたしたちに見えてくるのはどのようなヒエラルキーの構造なのか−と問うよりは、再びセジウィックの言葉に立ち戻って、そこには「欲望すること、同一化すること、代表すること、拒絶すること、平行すること、差異化すること、張り合うこと、もたれかかること、ねじること、擬態すること、引っ込めること、惹き付けること、攻撃すること、ゆがめること」(Sedgwick 2002:8、訳=清水晶子)といった、多様な接触がいかに立ち現れてくるのか、その点について、登壇者の一緒に考察し、議論を交わした。
最初の発表では、翻訳家であり中国語圏演劇・文学を専門とする三須祐介が、台湾の作家・陳思宏『亡霊の地』(2023年)を取り上げ、「亡霊」を「beyond」や「beneath」ではなく「beside」の関係性として位置づけ直し、台湾の植民地的過去とポストコロニアルな現在、ドイツ人の同性パートナーと関係を結んだ主人公・天宏によるベルリンと台湾あるいは故郷・永靖と大都会・台北の間の移動、そして天宏の家族史においてジェンダーを軸に立ち現れる異なる形のトラウマの錯綜を読み解いた。三須の発表が示したのは、この作品を貫くのが「言語」の問題であると言う点である。自らのトラウマを共有できないまま生きながらにして亡霊のようにテクストを漂う女性たち、作家として自己表現の機会を得た主人公と違って死んで亡霊になって初めて自らの欲望が語れる父、さらにはドイツでネオナチ思想に傾く恋人とうまく言葉が通じない天宏の不均衡な関係。三須は、こうした「沈黙」を逆照射しながら、『亡霊の地』における亡霊とは、生きながらにして声を奪われた人々でもあり、その沈黙の構造を通じて、誰がどのような条件のもとで経験や歴史、トラウマが語れるのか、その特権性を問うテクストとして位置づけた。
二番目の発表では、現代日本文学とフェミニズム/クィア批評を専門とする岩川ありさは、李琴峰『シドニーの虹に誘われて』(2024年)と水上文『クィアのカナダ旅行記』(2025年)を中心に、移動を通じて生成されるクィアな「自己」と、感情を分かちもつ「アーカイヴ」としての旅行記の意義を論じた。どちらの旅行記も、プライド・パレードを契機とする移動が、日本を生活拠点とするクィアな主体にどのような同一化と距離化をもたらすかが共通のテーマといえるが、アン・ツヴェッコヴィッチの「感情のアーカイヴ」論を参照しつつ岩川が注目したのは、クィアな女性にとって他国のプライド・パレードを訪れる旅が、固定的なアイデンティティの回復ではなく、英語圏のクィア歴史と文化との連なりと断絶の「ルート」を辿る行為として、日常のテクスチャーに刻まれた個人的なトラウマを再占有し、ままならない言葉でも歴史として共有しうる媒体であることである。さらに、パレスチナ連帯運動やトランスジェンダー排除言説への言及を含む水上や李の記述を通じ、グローバルなスケールで差異を抱えた連帯が必ずしも居心地のよいものではないこと、しかしその居心地の悪さこそが現在と未来のための抵抗の契機であることを浮かび上がらせた。
フェミニズム/クィア研究と東アジア地域研究を専門とする社会学者の福永玄弥による最後の報告では、議論の対象が再び台湾に移り、同国のポストコロニアルな文脈において「公娼」制度をめぐる言説が、英語圏フェミニズム由来の「セックスワーク」へと翻訳される過程が検討された。そこでは、台湾と英語圏フェミニズムの関係に加え、台湾のローカルな政治も重要な焦点となった。台湾における公娼制度は日本統治期に導入され、戦後の国民党体制下で再編されながら存続してきたが、1997年の台北市における「廃娼」宣言に象徴されるように、1990年代にその終焉を迎える。福永はこの歴史を「連続的植民地主義」という視点から捉え直し、制度の再編と廃止を脱/再植民地化の観点から再検討することにより、「公娼」制度がいかに衛生・治安・異性愛規範を基盤とする統治装置として機能してきたかを示し、とりわけフェミニズムとポストコロニアル政治の交錯に注目した。1997年の「廃娼」宣言は植民地遺制の清算として制度的脱植民地化の象徴とされたが、実際には中年・低階層女性の労働権を奪うものであった。公娼の女性たちは労働の継続を求め、英語圏フェミニズムのスローガン「Sex Work is Work」を翻訳・再占有し、フェミニスト労働団体や組合の支援を受けながら、労働争議として社会運動を展開した。福永はこの翻訳の政治性に焦点を当て、それが当事者の権利を支えると同時に、国家的監視や植民地主義的統治の再強化にもつながりうる二重性を指摘した。民主化=脱植民地化という単線的物語を批判的に問い直し、翻訳という実践を通じて、ポストコロニアルなフェミニズムの複層的位相を明らかにした。
後半のディスカッションでは、清水晶子のコメントを踏まえ、「通じなさ」を抱えたまま関係を構築するというフェミニズム/クィア・ポリティクスの倫理的・政治的実践が、改めて中心的な論点として浮上した。清水のコメントは、シンポジウムの主題である「通じなさを抱えて」という姿勢を、言語や文化をまたぐ相互理解の不可能性を引き受ける実践として位置づけるものであった。そこでは、セジウィックの「ビサイドネス」概念が理論的枠組として参照されつつ、平和でも均質でもない「ぎこちない隣接性(jagged adjacency)」にこそ、クィア・ポリティクスの可能性を見出す視点が提示された。通じなさと接続という相反する力のあいだに留まりながら、関係を結び直す行為そのものが、フェミニズム/クィアの実践の基底を成すのではないかという問題提起であった。
この視点から清水は、グローバル化以後の性の政治の両義性にも注目した。プライド・パレードや婚姻平等の運動が、言語や国境を越えた権利保障の進展を体現する一方で、市場化や帝国主義的枠組みの再生産を伴う側面を指摘し、フェミニズム/クィア運動の中に潜む「通じなさ」や差異の不可消性を直視する必要を指摘した。その上で、三須・岩川・福永の三報告はいずれも、東アジアという複層的な植民地主義の歴史を背景に、翻訳や接触の困難を抱えながらも関係を紡ぐ1990年代以降のクィアな試みに焦点を当てたものとして評価された。
また清水は、ブラック・フェミニズムに由来するインターセクショナリティの視座を援用し、それをアイデンティティの交差点を可視化する道具としてではなく、むしろカテゴリーそのものを内破的に問い直す契機として位置付けた。東アジアにおけるジェンダー・人種・民族・植民地主義の関係は、性の政治の外部にある補足的要素ではなく、むしろその内部を構成している要素として理解すべきであると指摘した。インターセクショナルなアプローチとは、差異を調停するための枠組みではなく、差異が不可避的に衝突し、重なり合う場を可視化するものである。その意味で、「通じなさ」を抱えるという行為自体が、まさにインターセクショナリティの現場であり、政治的な実践でもある。
こうした議論は、翻訳という行為の再定義へも展開した。清水は、バトラーの「翻訳は倫理的な実践である」という言葉を引用し、他者を理解できないという状態に耐え、そこにとどまりながら関係を結ぼうとする姿勢を、フェミニズム/クィアの政治的感受性として位置づけた。言語間の翻訳に限らず、三須が示した生と死の領域をまたぐ亡霊的な存在の「通じなさ」や、福永が論じた異なる反差別的、あるいは権利回復的な複数の翻訳言説間のズレ、岩川が旅におけるクィア歴史との接触における断絶と居心地の悪さの物語化の意義など、いずれも理解不能を引き受けながら、関係を試みる倫理的行為として再解釈され、通じなさを克服する手段ではなく、通じなさの内部で生成される関係としての翻訳が浮かび上がった。
最後に、このような枠組みのもとで、ディスカッションはさらに具体的な論点へと展開した。植民地主義の重層的文脈のなかで汲み上げられない声や、翻訳の失敗にどう向き合うか。日本人が、カナダのクィアな歴史に連なって自分の歴史を確かめ直すとき、カナダの先住民族の植民地主義の経験とどのように関わることができる/関われるべきなのか。西洋近代のヘテロセクシュアリティから逸脱し、とはいえ「ゲイ」として生きているわけではない複数の人々と接しながら、けれども「ゲイ・アイデンティティ」を確立するわけではなく育った『亡霊の地』の主人公・天宏が、ドイツでドイツ人のTに欲望し、同性パートナー関係を結び、Tに虐待され、Tを殺し、台湾に戻ってくるという、ディアスポリックな「クィア」の記憶や歴史を、読者としてどのような物語に形作るべきなのか。こうした問いがコメンテイター、登壇者と聴衆との間で交わされ、語ること・翻訳すること・連帯することのそれぞれが、同時に倫理的緊張を孕んだ政治的実践であることが確認された。ディスカッションを通じて、「通じなさ」を単なる障壁ではなく、語りと関係の生成を可能にする創造的な契機として抱え直すこと−そのようなフェミニズム/クィアの想像力が、参加者全体の議論の中から浮かび上がった。