第19回大会報告

開催校企画パネル2 80年目の8月 岡部昌生と記憶の芸術

報告:杉浦央子

日時:2025年8月31日(日)16:00-18:00
場所:武蔵大学江古田キャンパス 6201

岡部昌生(美術家、元札幌大谷大学)
港千尋(多摩美術大学) 
伊藤佐紀(さっぽろ芸術文化研究所)
【司会】香川檀(武蔵大学)

1970年代から現在までフロッタージュ技法を用いた作品制作を続けている美術家、岡部昌生氏の表現について、主に2000年代以降の作品に焦点を当ててその制作プロセスを収めた写真や映像記録と共に考察が行われた。

まず港千尋氏は、モノの痕跡を残す方法として、石に掘られた文字を複製する技術である拓本などを例示しつつ、岡部氏の用いるフロッタージュはマックス・エルンストによって美術の技法として取り入れられた点を紹介した。続けて岡部氏の作品の特徴として、エルンストは作品の素材を得るためフロッタージュの技法を用いたことに対して、岡部氏は擦る行為やそこに至るまでのプロセスに力点が置かれている点、拓本は文字などの情報を抽出することを目的としているが、岡部氏の作品はそこに主眼を置いているわけではない点を指摘した。

続いて、≪THE DARK FACE OF THE LIGHT≫(2004)、≪なぜここに滑走路が≫(2004)、≪根室旧牧之内飛行場滑走路足跡痕≫(2023)等の作品を挙げ、その表現について具体的に述べた。たとえば≪THE DARK FACE OF THE LIGHT≫は、北海道の炭鉱など現在では半ば廃墟のようになっている遺構を擦り取るプロジェクトである。この作品からは岡部氏の作品群に通底する「近代を問う」態度が見えると同時に、市民など様々な人々と共にその場所について考え、フロッタージュを行うワークショップ形式で制作が行われた点を紹介した。

また、≪なぜここに滑走路が≫(2004)と≪根室旧牧之内飛行場滑走路足跡痕≫(2023)は、共に北海道の根室にかつて存在した「牧之内飛行場」という海軍用の飛行場の滑走路を、地元の中学生とフロッタージュを行い制作したものである。フロッタージュを行うなかで当時作業に従事していたと思われる人々の足跡が発見され、当時、強制連行され作業に加わった韓国人の足跡と、日本人の足跡が混ざっているのではないかと考えられたという。

さらに、広島旧国鉄宇品駅のプラットフォーム(戦時中に日本軍兵士と軍需物資が出港する軍港のための軍用鉄道駅として使用された場所である)の縁石であり、「被爆石」ともよばれる石を多くの人々と共に9年間かけてフロッタージュを行った大規模なプロジェクトなどを事例として示した。

続いて伊藤佐紀氏は、岡部氏の作品制作の様子を記録した映像を紹介しながら発表を行った。映像は、暗い画面に岡部氏がフロッタージュを行っている音のみが聞こえるシーンから始まった。完成した作品を見ても強い力を込めて腕を動かしていることがうかがえるが、実際に音を聴くと想像以上の力で、かなりの勢いで擦り取っていることが伝わってきた。続いて、地面に這うようにしながら全身に力を込めて制作する様子などが映し出された。また、港氏の発表でも触れられた旧牧之内滑走路で擦り取った足跡やその展示風景、旧宇品駅プラットフォームの縁石でフロッタージュを行う様子、さらには韓国の芸術祭における子ども達を交えたワークショップなど、比較的近年の活動の様子をうかがい知ることができた。フロッタージュを行うのは主に屋外であり、強風が吹きつける場所や急な斜面など様々な環境での作業となる。そのような場所で対象に向かう様子は作家以外の人間が同行し撮影しないと残らないものであるが、港氏の発表にもあった通り制作プロセスも作品の重要な要素であるため、映像や写真で記録することは欠かせない行為である。さらに、旧牧之内滑走路での地元の漁夫とのやり取りで岡部氏が話を真摯に聞く姿勢や、台湾でワークショップを行った際に、参加する子どもたちに向けて「楽しい時間にできればよいと思います」と穏やかに話す様子などからは、美術家であると同時に長年大学で教えてきた教育者としての面も垣間見えるように感じられた。

そして岡部氏自身は、会場の聴講者からの問いに対する応答を通してどのような対話が生まれるか期待したいと述べた。その言葉はまさに、これまでの活動で培われた他者との対話を重視する姿勢の現れであるように感じられた。続けて司会者である香川檀氏を交えつつ、聴講者との質疑応答を行った。会場からは、フロッタージュを行う際に紙を固定するために赤いテープを使用しており、作品集にも赤い色が効果的に使用されている点が印象に残っているという意見や、50年以上に及ぶ創作活動によって生まれた作品の保管をどのように行っているかといった質問が挙がった。それに対し、石や木などに紙を密着させて擦るため、作品に植物など様々な物が付着するので美術館などに保管するのは他の作品への影響等もあり難しいとの回答があった。加えて港氏からは、岡部氏自身がこれまでの活動を細かく記録化しており、自宅で管理されているとの説明があった。

一連の発表を通して浮かび上がったことは、記憶と記録を継承する取り組みの重要性である。対象への接触を伴う作品制作は、その物理的な形状を擦り取る作業であると同時に、そこにあるものが孕み持つ歴史とかつてそれに関わった人々の痕跡を残すことでもある。岡部氏の創作活動は調査の段階から完成まで多様な人々が関わり、手を動かし対象物に触れる参加型の記憶の継承であるといえよう。1970年代から現在まで約50年以上にわたり創作活動を継続しており、そしてそれらをアーカイブ化しているからこそ作品群には説得力が増し、美術作品であると同時に近代社会の記録としての意義がより深まる。滑走路の跡もプラットフォームの縁石も一見しただけでは一体何なのか分からないであろうが、作家が調査し、他者との協働を経て擦り取ることでその歴史が浮かび上がり、共有できる記憶として視覚化されることが明らかになる発表であった。

最後に筆者の個人的な感想を付け加えると、岡部氏と港氏は、今から約20年前に本大会の会場となった武蔵大学にゲスト講師として招かれたことがあり、講義に加えて岡部氏は校内でフロッタージュも行った。筆者はその際に在校しており、今回、約20年ぶりに同じ場所で再び岡部氏の作品にまつわる話をうかがうことができたことを大変感慨深く感じた。


パネル概要

フロッタージュ技法で知られる美術家、岡部昌生の創作は、現場に這いつくばり、場所に触れることで生まれる芸術である。そのようにして彼は、都市の日常的営みの痕跡、森の樹木の生命力、日本の近代化の産業遺産などを半世紀にわたって擦りとってきた。なかでも日本の負の歴史を扱った、広島の戦争と原爆の記憶にまつわる作品《旧宇品駅プラットホーム遺構》(2002/2004年)は、岡部の代表作として国際芸術祭ヴェネチア・ビエンナーレ(2007年)で広く世界に紹介された。

本パネルでは、戦後80年の節目にあたって岡部の活動を振り返り、その触覚をつうじたコミュニケーションの芸術を、記憶伝承や平和学習のためのワークショップ用メソッドという、万人が共有可能なものへとプログラム化する可能性を探る。また、そのための雛型となる岡部の制作と作品を、映像化も含めてどのように記録し、アーカイブしていくのかという問題を考える。

国際的な拡がりをもつ岡部の創作は、韓国や台湾での制作とワークショップをつうじて、歴史的過去の「記憶の共有」という面を色濃くもっている。戦後80年目の夏だからこそ提起されるべき、アクチュアルなテーマといえよう。

[本パネルは、科研費基盤研究(B)「現代美術の触覚的体験を用いた平和学習のメソッド構築」(課題番号:23K21902. 研究代表者:港千尋 多摩美術大学教授)の成果の一部である。]

岡部昌生
1942年、北海道根室市生まれ。現代美術家、元札幌大谷大学教授。フロッタージュによる表現を1977年より始め、都市(場所)の歴史(痕跡)との対話を続ける。1979年、パリで169点の「都市の皮膚」を制作。1980年代後半より広島の原爆の痕跡を作品化する。1996年には、広島平和記念公園でのワークショップ《ヒロシマ・メモワール 96》を実施。2007年、ヴェネチア・ビエンナーレ日本代表(日本館コミッショナー:港千尋)。東日本大震災後には「はま・なか・あいづ文化連携プロジェクト」(福島県立博物館、2012-17年)の招聘作家として被災地で制作。2021年には韓国・済州島で日韓の軍用飛行場をテーマとした「Runway of Memory: From the Island of Forest to the Island of Stone」展を開催。現地でのワークショップを計画するが、新型コロナのために渡航できず、韓国側の参加者だけで作品を完成させた(済州アートスペースC)。
書籍に、港千尋編『岡部昌生 わたしたちの過去に未来はあるのか:The Dark Face of the Light』(2007年、東京大学出版会)など。

広報委員長:原瑠璃彦
広報委員:居村匠、菊間晴子、角尾宣信、二宮望、井岡詩子、柴田康太郎
デザイン:加藤賢策(ラボラトリーズ)・SETENV
2025年10月31日 発行