第19回大会報告

個人研究発表セッション9

報告:小澤京子

日時:2025年8月31日(日)16:00-18:00
場所:武蔵大学江古田キャンパス 11204

・視覚表象の〈継承〉と〈逸脱〉──ハンダラ図像の派生形にみる政治性と行為性/濱中麻梨菜(東京大学)
・Asynchronous Objects──九州大学総合研究博物館でのアート・インターベンションと知の再編/結城円(九州大学)
・ロマンスの崩壊──日本テレビドラマにおける「パパ活女子」の表象分析/黄薇(同志社大学)
【司会】小澤京子(二松学舎大学)


個人研究発表セッション9の三つの発表は、ともに図像、オブジェクト、表象の流通と解釈という問いを追究するものであった。

濱中麻梨菜氏の発表は、パレスチナのアーティストが生み出した「ハンダラ」というキャラクターの図像(初出は1969年)が、その作者の死後もいわば一つの「記憶装置」として、一定の文脈を保持しつつも、再解釈と再構成により多様な意味の層を付加されつつ、現在のインターネット上でのパレスチナ連帯運動に至るまで、流通と拡散がなされ続けているプロセスを辿り、考察するものだった。当初は作者アル=アリー自身を表象する図像だった「ハンダラ」は、やがてパレスチナ人のシンボルとなり、いわば文化的な「ミーム」(濱中氏はこの言葉を用いていないが)として、抗議、社会批判、記憶の証言、アイデンティティ表明、連帯を表すアイコンとして、あるいは文化的な記号として流通し、ときには商品化されてきたという。他方でハンダラは、作者とその政治的なポジショナリティが明確な図像であり、「翻案(再解釈・二次創作)」に際して加えられる変形には、倫理と政治性の問題が付随することも指摘したうえで、濱中はハンダラがトランスナショナルに「生き続ける」ことで、一定の政治文化を形成してきたことに、作者の「戦略」を読み取る。

結城円氏の発表は、氏がキュレーションを務めた、九州大学総合研究博物館でのカリーナ・ニマーファル(アーティスト)による展示「synchronous Objects: Empire and Environment(非同時的なモノたち:帝国と環境)」を事例に、自然科学分野を中心としてきた博物館への「アート・インターベンション(芸術(家)の介入)」実践の趣旨と経過を明らかにしたものである。この展示では、モノどうしの関係、さらにはモノと観者との関係を組み替えることで、西洋近代型のミュージアムへの批評と、「モノの分類と管理」における新たな枠組の構築が試みられている。このような「アート・インターベンション」展示の背景には、1980年代以降のミュージアム観の変容(「モノの保管庫」から「歴史認識や権力構造の力学をめぐる動的なインスティテューション」へ)、2000年代以降の欧米を中心とする「アーティストによる介入(artistic intervention)」の興隆(社会問題への介入、ミュージアムへのアーティスト招聘によるコレクションや展示の再定義など)、さらには現代美術(コンテンポラリーアート)における「contemporary(同時代)」概念の再定義などがあることを、結城は指摘する。その上で、「Asynchronous Objects」展が、西洋近代型ミュージアムの体現してきた「時間」を解体し再構築するものであり、ニマーファルによるテクストや展示構成が、自然史中心の収蔵品――そこには西洋近代的・帝国主義的な制度が反映されている――を新たな秩序と時間性のもとに並べ替えるものであったことを説いていく。この「アーティストによるミュージアムへの介入」は、過去の痕跡である収蔵品を現在に置き直し(展示と受容の間に「同時代性」をつくりだし)、別の視点を付与するものであり、そのことで、あるオブジェクトや作品が鑑賞者にとって「contemporary(同時代的)」なものとして立ち現れてくる、と結城はいう。

黄薇氏の発表は、「パパ活女子」の表象、とりわけ「自立」と「依存」をめぐる描かれ方とその変遷を、日本で制作・放映された3点のテレビドラマ、『パパ活』(2017年)、『明日、私は誰かのカノジョ』(2022年)、『Shut up』(2023年)の分析を通して、メディアがどのように新自由主義フェミニズム的な言説を再生産し、またはそこから逸脱してきたのかを明らかにするものである。パパ活をめぐる言説にしばしば登場する「自由な選択」、「自立」や「自己責任」、あるいは感情労働や「承認欲求」といった語彙が、新自由主義の所産であることを、すでにフェミニズム理論は指摘してきた。この立場に立脚しつつ、黄はテレビドラマにおける「パパ活女子」表象を、いくつかの分類と年代ごとのフェイズに分類する。若年女性の依存と自立との間に緊張関係があり、男性への経済的依存が(擬似)恋愛によって隠蔽される『パパ活』、若年女性たちの精神的脆弱性も前面に出しつつ、依存から自立への移行を描く『明日カノ』、そして、自立の途を閉ざされた若年女性たちが、「自由な選択」ではなく生存のための隘路として経済的依存を選ぶさまを、ロマンティックな感情を介さない金銭取引として描いた『Shut up』である。パパ活女子表象においては、(経済的に)自立した女性像という新自由主義的な理想像が内面化されている一方で、男性への経済的依存があくまでも個人の選択とみなされ、「自立できない」「依存先が限定的」という構造的な困難が隠蔽されるが、自立と依存の二項対立図式ではなく、その間にある構造的な矛盾や抑圧を問うていく必要があると、黄は結論づける。

全体討論では、発表者に対して活発に質疑が寄せられた。

濱中氏に対しては、まずハンダラが広まった経緯を問う質問が寄せられた。濱中によれば、インターネット普及による情報のグローバル化により、2000年代以降にハンダラの派生形が普及し、2010年代以降はSNSを媒介に若年層に広まったとのこと。それ以降、パレスチナで衆目を集める事件が起こると、若年層を中心に盛り上狩りを見せるようになった。

また、国・地域別の動向については、日本でのハンダラ受容は周辺的で、関心層の言及にとどまるが、ヨーロッパのハンダラ受容はより広範で、デモでも旗印として用いられている。ユダヤ人問題もあり、日本よりはパレスチナ・イスラエル問題に関心が向けられるが、依然としてマージナルな存在である。他方で南米(ブラジルなど)では、特定のアイコンを社会運動や革命運動に用いるカルチャーが盛んであり、ハンダラも受け入れられやすいという。また、パレスチナ問題がセンシティヴなドイツではあまり見られず、むしろパレスチナ問題から距離のある国の方が、アイコンとしてのハンダラを用いやすい傾向がある。パレスチナ問題に対する政府の立場も関係すると濱中はいう。

結城氏に対しては、展示テーマとして掲げられた環境と植民地の問題について、なぜ近年の動向となっているのか、また誰にとっての「問題」なのか、との問いが寄せられた。結城はまず、2020年前後からアクティヴィストたちによる電力会社をスポンサーとするミュージアムでの抗議運動が起こり、ミュージアムが応答を求められるようになったという経緯を説く。植民地の問題も、アクティヴィストによる運動がメディアで耳目を集めるようになったという背景が大きいという。その上で結城は、ヨーロッパでは植民地問題がミュージアム展示で常に論点に上るが、日本ではその文脈がうまく伝わらなかったこと、自身の西洋中心主義的な視点が今回取り上げた展示のキュレーションに現れたと感じていることを述べた。

黄氏には、現実の社会問題としての「パパ活」の変遷と、表象における変遷はどのように関連するのか、との問いが向けられた。黄によれば、社会の現実とドラマにおける表象の変化は連動しているという。

コロナ禍で多くの女性の「パパ活」に参入し、その中には性行為も組み込まれるのが一般的となった。また、未成年によるパパ活(条例違反)やパパ活絡みの殺人などの事件報道により、メディアを通じてパパ活が危険という意識が社会に広まった。このように、社会内の現実やそれを取り巻く世論の認識が、それぞれの年代のドラマにも反映されているのだという。

3名による発表は、一見するとテーマもアプローチも三者三様であるが、ともに表象とそれを取り巻く社会の(様々なレベルでの)政治の力学についての、現在進行形の問題を扱ったものであることが、会場とのディスカッションも含めて浮かび上がってくるパネルとなった。


視覚表象の〈継承〉と〈逸脱〉──ハンダラ図像の派生形にみる政治性と行為性/濱中麻梨菜(東京大学)

本発表は、パレスチナ人風刺画家ナージー・アル=アリー(1936–1987)が創出したキャラクター「ハンダラ」の図像に着目し、その派生形の検討を通じて、現代における視覚表象の政治性と行為性を考察するものである。ハンダラは、もとは一枚絵の新聞風刺画に登場していたキャラクターであり、作者アル=アリーの死後も、パレスチナ社会内外において象徴的図像として再解釈・再構成され続けてきた。

本発表では、特に1990年代以降のグローバル化・インターネット普及を背景に、ハンダラがパレスチナを越えて、グローバルな文脈で再解釈されている点に注目する。その上で、アメリカのアーティストであるピーター・クーパー(1958-)と、アラブ世界の画家ハーニー・マズハル(1955-)によるハンダラの図像表現を対照的事例として取り上げる。クーパーの作品は、ハンダラの身体を破壊・再構成することでハンダラの表現拡張を試みた事例として捉えられる。他方、マズハルの作品では、アル=アリーの死に際して、ハンダラの姿を保持したかたちで描くことで、追悼的かつ当事者的な視点から図像を継承した。

これらの事例分析を通じて、本発表は、視覚表象における倫理および文化的距離感、風刺画というメディアが持つ批評性の持続可能性を検討する。単なるアイコンとしてではなく、「語り直し」「批評し」「行為する」図像としてのハンダラの可能性を問い直す。

Asynchronous Objects──九州大学総合研究博物館でのアート・インターベンションと翻訳不可能な時間性/結城円(九州大学)

博物館での「アート・インターベンション(芸術の介入)」という学際的な展示実践は、欧米を中心に個別のプロジェクトとして2000年ごろから始まる。アート・インターベンションとは、本来、自然史や社会科学・歴史をテーマとする博物館展示のなかに、現代アートが介入することである。この手法により、博物館における知を社会問題と関連付け、知の再編、文理融合などのパラダイム転換を行っている。

本発表では、アート・インターベンションの実践例として、2025年5月に九州大学総合研究博物館内で発表者が実施した、オーストリア人アーティストのカリーナ・ニマーファル氏の「ASYNCHRONOUS OBJECTS(非同時的なモノたち):帝国と環境」展を取り上げる。この作品は、林業、生物多様性、そして第二次世界大戦前後の日本の木材貿易の歴史に関する大学コレクションを出発点としている。展示では、大学コレクションを新たな視点で捉え直すアーティストによる語りのテキストを中心に据えた上で、関連書籍および資料を備えた「カフェのような読書室」を博物館内に出現させている。この事例から、生物多様性や帝国主義といった現代の社会的な関心事と自然科学のコレクションと現代美術の融合により、どのような知の再編が行われているのか、とりわけ文化的翻訳という観点から作品の主題のみならずその展示手法・キュレーション手法も含め考察する。

ロマンスの崩壊──日本テレビドラマにおける「パパ活女子」の表象分析/黄薇(同志社大学)

本研究は、日本のテレビドラマにおける「パパ活女子」の表象を、新自由主義フェミニズムの点から批判的に分析する。新自由主義フェミニズムとは、女性の主体性や選択の自由を強調する一方で、構造的な不平等を個人の問題に還元する言説である。本研究は、この理論枠組みに基づき、ドラマ内で「依存」と「自立」がいかに描かれているかを検討する。対象とするのは、2017年の『パパ活』、2022年の『明日、私は誰かのカノジョ』、2023年の『Shut up』の3作品である。いずれも経済的困難や家庭からの経済的支援が得られない状況を背景に、若年女性が年上男性と金銭を介した関係を築く様子を描いているが、「パパ活」の意味づけは作品ごとに異なる。本研究では、場面構成とセリフのテキスト分析を通じてその差異を明らかにした。とりわけ『Shut up』では、経済的合理性が強調され、感情的依存の表象は希薄化していたものの、経済的自立や主体的選択は肯定的に描かれていなかった。むしろ、女性たちが制約の中で選択せざるを得ない状況を通じて、「選択」のもつ曖昧さが浮かび上がった。

広報委員長:原瑠璃彦
広報委員:居村匠、菊間晴子、角尾宣信、二宮望、井岡詩子、柴田康太郎
デザイン:加藤賢策(ラボラトリーズ)・SETENV
2025年10月31日 発行