第19回大会報告

個人研究発表セッション6

報告:佐藤守弘

日時: 2025年8月31日(日)13:30-15:30
場所:武蔵大学江古田キャンパス 11203

・「考現学」における視線の移動──挿絵、テクスト内空間に着目して/河﨑伊吹(大阪大学)
・新国家建設と越境する表象──マレーシア・エリトリアにおける「硫黄島の星条旗」図像の再構成/斉藤穂高(大阪観光大学)
・1923年のマンガの書字方向とコマ配置──「日刊アサヒグラフ」紙面のレイアウト分析/細馬宏通(早稲田大学)
【司会】佐藤守弘(同志社大学)


本セッションで最初に研究を発表した河﨑伊吹は、今和次郎らによる「考現学」調査——なかでも1925年と26年という初期に行われた調査——を考察の対象とした。河﨑は、往々にして、方法なるものが希薄だと思われがちな考現学の実践に関する理論的研究を整理した上で、今らがどのように東京という都市の構造を明らかにしたのかを問うた。前田愛による記号論的都市表象分析の手法を援用しつつ、考現学のテクストと挿図の関係の詳細な検討とともに河﨑が明らかにしたのは、高度に近代化された街である銀座、都市下層民を中心とした生活が繰り広がられていた深川、そして新興の中間層が生きる郊外の中央線沿線というそれぞれ構造の異なる都市の各部において、今らのまなざしもそれぞれ異なり、したがって可視化の方法自体が異なっていたことであった。考現学は、それ自体がとても独特で魅力的な営為であることも一因だろうか、ややもすればその実践全体を俯瞰的に捉えて論じられる傾向にあるように感じる。それに対して、本発表においては、テクストとイメージという遺された行為の痕跡のひとつひとつを丁寧に吟味することによって、これまでとは違った考現学へのアプローチを試みていたと評価することができよう。

政治権力の表象について研究する斉藤穂高は、マレーシアの戦争記念碑《トゥグ・ネガラ》およびエリトリアで流通している写真《兵⼠たち》がそれぞれ有名なジョー・ローゼンタールによる報道写真《硫黄島の星条旗》に似通っていることに気づき、ある国家独自のナショナルな表象に、他国の先行事例を参照されていることに興味を抱いたという。そこでまずは《硫黄島の星条旗》が本来のコンテクストから引き剥がされてアーリントン墓地に彫像として設置されること、さらにそれがポピュラー・カルチャーにおいてさまざまなかたちで引用されることを確認する。その上で、《トゥグ・ネガラ》が実際に《硫黄島の星条旗》の影響下の制作されたことを指摘して、その構図を流用しつつもマレーシア独自の文化的象徴を用いることで国民統合のシンボルとなっていることを示した。一方、新興国家エリトリアで流通するイメージ《兵⼠たち》においては、《硫黄島の星条旗》への直接の参照は認められないものの、斉藤は、旗を持って山を登る構図にある種の共通点を見出す。その構図のなかにエリトリア独自のモティーフを散りばめることで、これもまた国民統合のシンボルとなっていることを指摘した。このように《硫黄島の星条旗》という他文化における表象を流用し、再解釈することは、多民族・多文化国家であるマレーシアやエリトリアにおいては効率的で効果的であったと結論づけられた。この発表から私が想起したのは、かつて西川長夫が国民国家のモジュール性を指摘し、それによって国家同士が相互に模倣しあうことが可能になると述べたことであった。それぞれの国民国家の独自性の影に潜む相互模倣が国民国家の基盤をなすということであれば、本発表でとりあげられた二例は、特殊例というより、西川の言うモジュール性の、ある発露であると見てもいいのかもしれないという感想を抱いた。

最後に発表した細馬宏通は、多分野にわたる旺盛な研究/批評活動のなか、近年は『フキダシ論——マンガの声と身体』(青土社、2023)、『マンガはうたう——なぜ平面から音が聞こえてくるのか』(青土社、2025)においてマンガの表象システムに対しても新たな切り口を提供している。本発表において議論の俎上に載せられたのは、マンガのコマの配置であった。細馬は、日本のマンガのフキダシの多くが右縦書きという日本語の書字方向に従う一方で、コマの連なりが縦方向よりも、右から左への方向を優先するという「右縦書き+右横コマ配置」、すなわち書字システムと一部矛盾するシステムを採用していると指摘する。こういった事象がいつ頃起こり、そこで試みられたことが何であったかを問うのが本発表の目標であった。そのため、細馬が注目するのが、タイトルに挙げられている「1923年」に刊行されていて、樺島勝一『正チャンのばうけん』およびジョージ・マクマナス『親爺教育』というマンガ史における重要作を掲載していた『日刊アサヒグラフ』における紙面レイアウトである。縦書きと左横書きというふたつの書字システムが共存していた1920年代において、いち早く「右縦書き+右横コマ配置」を採用していた樺島の『漫画桃太郎(仮称)』と、その紙面上での配置に着目して、樺島がマンガや挿絵だけでなく紙面レイアウトも手掛けていた事実を指摘しつつ、マンガのコマ配置がテクストの段組みレイアウトと矛盾しないことが指摘された。すなわち、マンガのコマ配置が紙面全体の文字段組みと相似形をなしていたというのである。本発表は、その他の視覚文化を研究する場合と同じく、マンガを研究する上でも「作品」を単体として扱うのではなく、それが読まれるコンテクストをも見据えて分析/考察することの重要性を示していたと考えられよう。


「考現学」における視線の移動──挿絵、テクスト内空間に着目して/河﨑伊吹(大阪大学)

「考現学」とは、主として1920年から30年代、東京を中心として、今和次郎が中心となり行われた都市風俗調査である。

本発表では、考現学調査の中でも大正14年(1925)に『婦人公論』で発表された「1925年初夏東京銀座街風俗記録」「本所深川貧民窟附近採集」「東京郊外風俗採集」という3つの調査を、挿絵とテクスト内空間という2つの要素から分析する。

考現学、および今和次郎については川添登「今和次郎 その考現学」(1987)、黒石いずみ「『建築外』の思考―今和次郎論」(2000)に詳しいが、表象に焦点を当てた研究は、管見の限り長谷川堯「都市回廊 あるいは建築の中世主義」(1985)があるだけだ。だが、長谷川も「都市改造の根本義」(1917)に触れるのみで、議論が尽くされているとは言い難い。

本発表が対象とする調査は、大正12年(1923)に発生した関東大震災後にバラック装飾社の活動と並行して実施された私的な採集が初めて公開された、「考現学」を考える上で重要な画期となる調査である。

考現学調査の成果は回数を重ねるごとに変化していく。この変化は舞台となった都市の性質を反映しようとした結果であることは間違いない。しかし、これらの変化を今和次郎の都市に対する視覚の変化として捉え、分析することによって、都市を知覚する今の身体性の変容を明らかにすることができるだろう。本発表では、上記研究の基盤となる、初期考現学調査における空間から物体への視線の移動を明らかにする。

新国家建設と越境する表象──マレーシア・エリトリアにおける「硫黄島の星条旗」図像の再構成/斉藤穂高(大阪観光大学)

1945年2月23日、ジョー・ローゼンタールが撮影した報道写真「硫黄島の星条旗」は、アメリカの対日戦争勝利を象徴する代表的な視覚表象として知られている。戦後80年が経た今日においても、この構図は単なる歴史の記憶にとどまらず、広告やアニメ、パロディに至るまで多様な場面で再利用されてきた。

本発表は、この「アメリカ的」な視覚表象が、異なる文化的背景を持つマレーシアとエリトリアにおいて、国家建設の文脈から象徴化されてきた点に注目する。具体的には、マレーシアの国家記念碑(Tugu Negara)やエリトリアの公的空間などで数多く目にすることができる「兵士たち」という図像には、「硫黄島の星条旗」と類似する兵士たちが旗を掲げる構図が見られる。そしてそれらは、各国の文化を象徴する図像を埋め込むことで、独自の象徴として再構成され、設置されている。

新国家建設において、ネーションを象徴化し、独立や理念を言葉や視覚的媒体で示すことは、S・K・ランガーの「シンボル化の欲求」の延長である。実際、国家や権力主体は国旗や国歌を創造し、共同体という想念を象徴として共有化しようとする。しかし、独立闘争や新国家建設の文脈において “独自の表象”ではなく既に強い象徴力をもつ“外国の表象”を取り入れる事例は重要な問いを投げかける。

本発表ではパロディだけでなく、しばしば、革命運動や新国家建設にまで「硫黄島の星条旗」的表象が用いられるのはなぜか、この点について、発表者の現地調査資料を踏まえつつ、象徴論の立場から考察を試みたい。

1923年のマンガの書字方向とコマ配置──「日刊アサヒグラフ」紙面のレイアウト分析/細馬宏通(早稲田大学)

現在の英語圏のマンガでは、左横の書字方向、左横のコマ配置が標準となっており、書字方向とコマ配置とが一致している。一方、現代の日本のマンガでは右縦の書字方向、右横のコマ配置が標準であり、書字方向とコマ配置は一致しない。このような変則的な形式は、どのような原因で採られるようになったのか。本発表では、この問題を、1923年1月から9月まで発刊されていた「日刊アサヒグラフ」に掲載された連載マンガの書字、コマ配置形式を比較することで考察する。

日刊アサヒグラフはフキダシ、複数のコマを用いた初期の例としてしばしば取り上げられる樺島勝一・織田小星「正チャンの冒険」、および、のちの日本の書字スタイルに影響を与えたとされるマクナマス「親爺教育」を掲載した、マンガ史上重要なメディアである。興味深いことに、同じ掲載紙にありながら、「正チャン」は右縦の書字方向、右横のコマ配置をとっていたのに対し、「親爺教育」はさまざまな書字スタイルを経て、左横の書字方向、左横のコマ配置をとっていた。本分析では、二作以外の全連載マンガの書字方向、コマ配置、紙面におけるレイアウトを比較し、掲載マンガの形式の差は、単に縦書き文化と横書き文化の違いから来るだけではなく、日刊アサヒグラフのレイアウトとの整合性が要因であったこと、そして樺島勝一が本紙のレイアウターを担当していたことがこの問題に関わっていることを明らかにする。

広報委員長:原瑠璃彦
広報委員:居村匠、菊間晴子、角尾宣信、二宮望、井岡詩子、柴田康太郎
デザイン:加藤賢策(ラボラトリーズ)・SETENV
2025年10月31日 発行