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シンポジウム

「閉塞する人文科学を超えて——いま、芸術を問う」

発言者:岡崎乾二郎(美術家・近畿大学)/中沢新一(中央大学)/ファブリアーノ・ファッブリ(ボローニャ大学)/リピット水田堯(南カリフォルニア大学)  司会:田中純(東京大学)
2005年11月19日(土) 18号館ホール 15:30-18:30

 表象文化論学会設立準備大会一日目を飾るイベントとして行われたのは、「閉塞する人文科学を超えて—いま芸術を問う」と題されたシンポジウムである。パネリストは、中沢新一、リピット水田暁、ファブリアーノ・ファッブリ、岡崎乾二郎の各氏。

 シンポジウムはまず、司会の田中純氏による、学会の設立意図も含めた問題提起によって開始された。なぜ表象なのか、なぜ芸術なのか。表象文化論という呼称はもともとアカデミズム内のさまざまなポリティクスによって生み出された言葉であり、未だアカデミズム内にしかるべき場を持つとはいえない状態にある。しかし、その非場所性を逆手に取って、より幅広いコンテクストで表現を問うことができるのではないか。「芸術」という死に体の言葉も同様に、まさに「不気味なもの」として捉え返すことで、新たな生産性に結びつけることができるのではないか。そして、それはとりもなおさず芸術を感覚経験の根源的な様態として捉え返すことでもあり、そうした身振りこそが最も正統な意味での「文化論」へと生成するポテンシャルを秘めているのではないか。田中氏はそのような問いかけとともにシンポジウムの開始を告げた。

 一番手の中沢新一氏は、自らの東大駒場との浅からぬ因縁、愛知万博の顛末などを述懐しつつ、能についての語りや捕鯨、連歌といった日本の様々な技芸の根底に横たわる「思考のマトリックス」について語った。日本には、西洋のようないわゆる「哲学」は存在しない。しかし日本人は、常に技術や芸術を通して思考してきた。その根底には共通の「思考のマトリックス」が横たわっており、多様な表現はそのマトリックスを通して「自然の純粋な贈与」として私たちに与えられる。中沢氏は、いわゆる芸術の手前にあり、野生の思考を裸のまま湧出させているような思考—技術—芸術の複合体を「はじまりの芸術」と呼び、多種多様な表現から「思考のマトリックス」へと遡行する試みとして、多摩美術大学に新たに設立される芸術人類学研究所の構想を述べた。

 リピット水田暁氏は、アメリカのアカデミズムにおいて「フィルム・スタディーズ」という新興の学問領域が辿った奇妙な運命を題材として発表を行った(彼の主要なテーマであるAvisualityについては後日講演が行われた)。1970年代に学科再編を推進する原動力となったフィルム・スタディーズは、だが、カルチュラル・スタディーズ、メディア・スタディーズの登場など80年代のさらなる地勢の変容によって、奇妙な迷走を強いられることになった。比較文学のサブジャンルとして、実制作のための専門課程として、そして美術史と曖昧に合流したVisual Studiesとして、さらには、ハリウッドと直結したプロフェッショナル・スクールとして。水田氏は、学生動員力や学科ごとのポリティクス、ハリウッドからの資本の流入など、様々な線分が何重にも横断する場所としてのフィルム・スタディーズという、日本からはなかなか見えないアメリカにおける知の動きを自らの具体的な教歴に即して語った。

 両者の発表は共に個々人の個人的な歴史に密接したものではあった。しかし、日本におけるニュー・アカデミズム、アメリカにおけるフィルム・スタディーズという違いこそあれ、学の周縁で続けられた思考の貴重な「証言」たり得ていたように思う。


 さて、続くファブリアーノ・ファッブリ氏は、作家の行為もしくは観者の観照行為によって成立する「作品」ではなく、観客に(しばしば不可能な)行為を要請し、その結果として観客の身体や外部の空間までも作品としてしまうような認識論的—行為遂行的な企てを、「アートから美学へ」というコンセプトに基づいて跡づけた。ファッブリ氏は、ベン・ヴォーティエ、ピエロ・マンゾーニなどのイタリアの現代美術作家、オノ・ヨーコ、マチューナスといったフルクサスの作家、日本の「具体」の作家たちなどの作品をこの「新しい美学」の系譜に位置づけ、「作品」という神学的な領域の失効を宣言するようなこれらの試みを「trashcendentale」と名付けた。しかしファッブリ氏は、トラッシュ・アートとの密接な関わり、観照に替わる効果としての事後的な作品生成の不可避性を指摘しながらも、フルクサス的なパフォーマンスを安易に顕揚するのではなく、その背後にある周到な認識論的企て、変換装置の存在を、丁寧に抽出し指摘していった。

 最後を飾った岡崎乾二郎氏は、大家の風格さえ漂わせながら、「長嶋茂雄の日本語は外国語か?」という人を食ったテーマで、芸術家の言語使用についてざっくばらんに語った。岡崎氏は長嶋茂雄のバッティング指南、セザンヌの対話を取り上げ、芸術家の言葉の意味は行為もしくは作品を通じたその使用から事後的に明らかになるのであり、それもまた作家の筆致のような一つの習得されるべき技術なのだ、とヴィトゲンシュタインをひきつつ論じた。一見閉じたジャルゴンに見える言語使用こそ「外国語としての母国語」であり、そこにおいてこそ伝達不可能な技術が開示されているという、ともすれば「開かれた言説」というスローガンを流用しがちな学問的言説に対する鋭い批判だったと言えるだろう。

 討論では、美学・哲学的契機もはやそのジャンル内部には存在しないというそれぞれの発表から浮かび上がって来た共通の現状認識から出発し、その現実が不可避的にはらむ「政治」の問題へ、そして、では芸術や哲学の手前にある伝達不可能な創造のハードコアをどのように伝えるのかという「教育」の問題へ、さらにはウィキペディアに代表されるネットワーク技術に対して、学的言説はどのような態度のもとでどのような批評的介入を行うべきなのかという学のあり方そのものの問題へと広がっていった。シュワルツェネッガーからチッチョリーナ、デリダが大学のあり方を語る際に発した「Unconditional Surrender(無条件降伏)」の一語から「木登り学会たれ」という格律まで。表象文化論の未来を占いつつ、初発の「いかがわしさ」をどのようにキープし続けるか、アカデミズムと言う透明な伝達の場に身を置きつついかに伝達不能なものへのアクセスを失わずにいるのかというもとより答えの出ない問いを巡って、時に紛糾し時に伝達ミスを交えつつ様々なキーワードが咀嚼する間もない速度で飛び交った初日の討論は、それ自体原初のいかがわしさに祝福されつつ、そしてコミュニケーションが孕む伝達不可能性そのものを伝達しつつ幕を閉じたと言えるだろう。