単著

星野太

美学のプラクティス

水声社
2022年1月

本書は前著『崇高の修辞学』において、哲学的・歴史的に定着している「美学的崇高」としての正統的な系譜ではなく、そこに伏在する「修辞学的崇高」としての「もうひとつの系譜」を剔抉してみせた著者による実践(プラクティス)の書である。したがって、本書における実践(プラクティス)の軌跡は、「高さ」や「頂上」といった「美学的崇高」の垂直方向の運動だけではなく水平方向の「関係」にも接続されており、そのような運動の軌跡は著者がかつて「崇高」をめぐるミシェル・ドゥギーの詩学に見出したような「放物線状」の軌道を描くことになる。     

第Ⅰ部「崇高」、第Ⅱ部「関係」、第Ⅲ部「生命」の三部三章で編成された本書を冒頭から読み進めたとき、読者は章同士の内的な連関と各部間の外的な共鳴性に瞠目するだろう。内的かつ外的な相互作用によって生成する本書は、第Ⅰ部では「崇高」の問題系がカタストロフと現代美術に結びつけられ、第Ⅱ部では「関係」を鍵概念とすることで現代の多様化したリレーショナル・アート/ソーシャリー・エンゲイジド・アートについての交通整理がなされ、第Ⅲ部では有機的な「生」と非有機的なものとの二分法が解体されながら、作品というオブジェクトに「生」を見出してゆく。これらの議論は造詣かつ稠密な論理を展開しつつも幅広い読者の関心を刺激する射程を秘めており、読者はそこで著者の実践(プラクティス)に魅了されながら、幾重にも折り重なった「放物線状」の軌道に自らも乗り合わせていることに気がつくのだ。

このような「放物線状」の運動を可能にしているのが、「崇高」「関係」「生命」の布置として束ねられた各論考の巧みな「配置」である。古代の修辞学や弁論術が単なる「説得」を超えて、しばしば読者・聴衆の「陶酔」を惹起していたように、本書もまたその効果的な「配置」によって、読者を「説得」し、「陶酔」に至らしめるだろう。「説得」的であると同時に「陶酔」的であること。このような「崇高」概念における修辞的(レトリカル)な属性を実装しながら実践(プラクティス)される本書は、ローゼンブラム、カント、宮島達男、池田亮司、ランシエール、ブリオー、グロイス、ハーマンといった固有名の周囲を旋回しつつ、垂直方向の超越的運動━━「美学的崇高」の系譜━━から軽やかに逸脱し、水平方向に向かって徐々に落下してゆきながら、「もうひとつの系譜」を描いてゆく。本書の実践(プラクティス)が提示した「放物線状」の軌跡は哲学、現代思想、美学、美術史、現代美術、生命工学などに関心を寄せるあらゆる読者を巻き込むにちがいない

(村山雄紀)

広報委員長:香川檀
広報委員:大池惣太郎、岡本佳子、鯖江秀樹、髙山花子、原島大輔、福田安佐子
デザイン:加藤賢策(ラボラトリーズ)・SETENV
2022年6月30日 発行