単著

信岡朝子

快楽としての動物保護 『シートン動物記』から『ザ・コーヴ』へ

講談社
2020年10月

「動物保護」をタイトルに冠する本書であるが、正直なところ、本書を動物保護についての本だと形容することは、間違ってはいないものの十分なものでもないように思われる。確かに本書は、大衆的な動物表象の分析を積み重ねながら、反捕鯨運動に代表されるような現代の動物保護をめぐる様相へと時代を追うような構成をとっている。しかし、現代の動物保護がなぜ、どのようにして現在のように形作られてきたのかという著者の問いは、保護の思想にとどまらない、西洋の動物に対するまなざしへの関心に支えられている。本書の全体に通底しているのは、それぞれの動物表象作品が置かれていた社会的・文化的背景、とりわけ19世紀末以降の英米圏の動物観や自然観と、それが内包する問題への強い関心である。

主に3つの章で構成される本書の第章では、作家アーネスト・シートンの動物物語とその受容が、シートンやジャック・ロンドンをはじめとする動物物語の書き手と、科学的記述を重視するナチュラリストの間に生じたネイチャーフェイカーズ論争を軸として分析される。「自然」と「科学」の対立は当時のアメリカでの教育思想における対立と結びついていたが、その背景には都市化に伴う社会不安が存在し、人種的な「退化」への不安と結びつく形で自然への回帰が提唱されていた。こうした「退化」への不安によってアメリカにおける動物物語の地位低下が生じたと論じる著者は、これに日本における「動物文学」ジャンルの成立を対置する。「動物文学」の成立とその社会的背景の分析を経て、海外動物物語の受容に寄与した平岩米吉がシートンと近い動物観や人間観を持っていたことが、ロンドンとの対比を通じて論じられる。

第Ⅱ章では一転して、動物写真家・星野道夫の遺した写真とエッセイが題材となる。ここではまず、星野への従来の評価がある思考の枠組みにとらわれてきたことが問題視され、そもそもカメラで野生動物を撮影するということがいかなる行為なのかが、アメリカにおける野生動物写真ジャンルの成立を通じて確認される。1990年代に生じた写真の加工と真正性をめぐる論争を契機として、著者はふたたび世紀転換期アメリカの自然回帰運動にまで遡り、銃による狩猟の代替という意味を持っていたカメラ撮影が、自然写真による自然保護意識の啓蒙という新たな役割を帯びたことを指摘する。人種的階層の正当化と結びつく20世紀初頭以来の自然保護や、カウンター・カルチャー運動の影響を受けしばしば非西洋を称揚する20世紀後半の環境倫理は、アラスカという場所やそこに暮らす人々に特定のイメージを付与してきた。アラスカを翻弄してきたこれらの西洋的な価値観やステレオタイプに対し、星野がたびたび違和感を表明していたことを著者は読み取り、さらにはアラスカの広大さや異文化への理解不可能性について星野が独自の価値観や表現を構築していたことを見出している。

そして書名と同じ章題がつけられた第Ⅲ章では、映画『ザ・コーヴ』とそこに至るまでの欧米のイルカ・クジラ観が分析される。クジラやイルカが環境保護運動において特異な象徴的役割を担ってきた理由を探るべく、著者は西洋におけるクジラ・イルカのイメージの系譜を確認し、現代においては実在しない観念上のクジラ像や、各種メディアを通じて表現されるイメージが世界中に拡散している、と述べる。とりわけ、脳科学者ジョン・リリィのイルカ研究には、もはや学術的価値を失ったにもかかわらず現代のイルカイメージを強固に支えているものとして、分析に紙幅が割かれている。しかしそれ以上に力点が置かれているのは、自らの外部に野蛮さを発見し糾弾したいという階層的欲望と動物保護との結びつき、そして実践的な成果をもたらすことに失敗した環境保護運動の記号化・物語化である。『ザ・コーヴ』の抱える表現上の問題点は瑕疵などではなく、むしろこの映画は捕鯨をめぐる複雑な現実を覆い隠す勧善懲悪の物語でなくてはならなかった。表象と現実とが相互に影響力を持つ中で、環境保護運動全般が架空の救済幻想の中に身を置きたいという大衆的欲望のための商品として消費されている、というのが著者の見立てである。

このように、各章は比較的独立性が高い内容でありつつも、西洋の動物観に内在する人種的階層意識に対して一貫して批判を向けている。そして本書を貫くもう一つの軸は、動物をめぐる事実とフィクションの関係である。現代の動物をめぐる思想が往々にしてフィクショナルなものに駆動されていること、特に写真や映像といった表象が大量に流通する中で、動物と直接触れることなく「見る」ことが可能になっていることについては、随所に著者の問題意識が見て取れる。こうした現状において、非二分法的に動物を捉えるシートン的感性は、文学やその他の表象を通じていかに駆動しうるのだろうか。本書の先にある問いとして実に興味深い。

個別の作品から動物保護思想や動物観の大きな歴史を提示しようとする本書の試みは、野心的でリスクを孕むものでもある。序論で著者が提示する動物保護の時代区分や、環境保護活動全般と単純化された反捕鯨言説の同一視などは、異論の余地があるところでもあるだろう。しかしそれでも、動物表象とそれを取り巻く実に多様な言説を元に、動物をめぐる大きな価値観を形作ってきた個々の力の駆動を描き出すことに本書は成功している。そこから著者が仮説として提示する一つの読みに、確かに説得力を感じずにはいられない。

(猪口智広)

広報委員長:香川檀
広報委員:白井史人、原瑠璃彦、大池惣太郎、鯖江秀樹、原島大輔、福田安佐子
デザイン:加藤賢策(ラボラトリーズ)・SETENV
2021年3月7日 発行