オンライン研究フォーラム2

書評パネル 須藤健太郎『評伝ジャン・ユスターシュ 映画は人生のように』

報告:東志保

日時:2020年12月19日(土)13:00 - 15:00

発表者:
須藤健太郎東京都立大学
野崎歓放送大学)
堀潤之関西大学)
星野太早稲田大学)

【司会】三浦哲哉青山学院大学)

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本パネルは、昨年刊行され、表象文化論学会賞を受賞した、須藤健太郎著『評伝ジャン・ユスターシュ』(共和国)の書評パネルとして企画されたものである。本パネルは、まず、司会の三浦哲哉氏による挨拶と本パネルの紹介に続き、野崎歓氏、掘潤之氏、星野太氏から本書へのコメントが述べられ、それに対して須藤氏が応答するという形で進められた。この報告文では、各コメンテーターの問題提起とその後の議論について振り返りつつ、本書の意義を改めて考えたい。

まず、一人目のコメンテーターの野崎氏は、関係者への徹底的なインタビューに基づいて形作られた本書を、鈴木道彦氏のプルースト研究や渡辺守章氏のクローデル研究など、文学研究における往年の生成研究の成果になぞらえ、映画研究への要求水準を一気に引き上げるインパクトを持つものと位置付け、その多大な功績を称えた。同時に、ユスターシュの評伝でありながら、ユスターシュの人生には踏み込まず、あくまでも作品の評伝であることを強調した「ある種のパラドクス」についても触れ、そこに、ユスターシュが愛読したプルーストによる現実と文学の2分法からの影響を読み取り、作家の人生と作品の関係を語ることの困難さという、現代の批評が抱える課題と直結していることを指摘した。また、本書の、バートルビー症候群といった精神のあり方、ジャン゠ジャック・シュルの文章やダンディズムなどのアンチ・モダンの思潮など、映画と文学との関係をはじめとする、豊かなコンテクストへの目配せが70年代フランス文化論として非常に意義深いとした上で、三角関係の超越という、60年代以降のフランス文学や映画における試みが『ママと娼婦』といかに共鳴するのか、という別の文脈への繋がりが示唆された。

次に、二人目のコメンテーターの堀氏は、まず、本書では、作家の人生に焦点を当てる通常の意味での評伝の形式を取らず、作品の生を資料や証言が内在的に浮かび上がらせるという、「ユスターシュを語るにはこれしかない」というような記述の方法論が選び取られ、発明されていることを高く評価した。また、本書を構成する3つのキーワードである、経験、鏡、反復のなかでも、鏡が重要な役割を果たしていることを指摘した。本書で示された、ユスターシュの映画の登場人物たちの鏡像的な振る舞いは、自作を鏡像によって増殖させていく反復の試みへと繋がり、現実をほとんど鏡のように写し取ろうとした、ユスターシュのドキュメンタリー映画の実験の例とも呼応するものであり、更に、本書そのものが、ユスターシュの作品群と、その作品に関わるコンテクストを、鏡のように書物に写し取る試みでもあると述べた。最後に、本書が、ジャン・フラパやアンドレ・ヴォワザンの同時代のテレビの実践とユスターシュの幾つかの作品との関連性を明らかにしたことが非常にスリリングであるとした上で、例えば、ゴダールがテレビというメディアの特異性に関心を寄せていたのに対して、ユスターシュはメディアの違いにはあまり関心を持たず、映画であれ、テレビであれ、聴覚メディアの媒介性に強い関心があるのではないかという問題提起がなされた。

そして、三人目のコメンテーターの星野太氏は、ユスターシュについて世界一詳しい本が日本語で読めるということが凄いことであると述べた上で、『ママと娼婦』のシナリオを中心に議論を展開した。本書は、1998年にカイエ・デュ・シネマ社から再販された『ママと娼婦』のシナリオに収められているユスターシュによる序文の出所が不明であることを、シナリオの生成過程を綿密に辿ることで明らかにしているが、その序文では、1972年以降、フィルムの長さに応じて高額の税金が課されるという制約がなくなったことで『ママと娼婦』のような長尺の映画が可能になったと書かれており、このことは、ユスターシュの映画制作のあり方と関わるという点で重要かと思われるが、本序文は資料としてどのように位置付けられるべきかという問いが投げかけられた。また、ユスターシュの作品に頻出する、モノローグ的な対話における、ジャン゠ノエル・ピックからの影響を指摘し、それと関連する事柄として、オリヴィエ・レーによる『ママと娼婦』の舞台化の例を挙げた。この舞台では、映画とは異なり、シナリオに書かれている通りにピックという名前の人物を登場させることで、その存在の重要性を(無意識に)浮かび上がらせているが、このような例にみられる、映画とは別のところでユスターシュが継承されるような「作品の死後の生」のあり方について、いかに考えるべきかという論点が提起された。

各コメントの後、須藤氏からの応答がなされた。まず、作品の生成過程に限定して記述した理由については、取材を通して、ユスターシュの人生についていろいろなことが明らかになっていくなかで、自分がどこまで書くべきかという問いを持ったことに由来していると説明した。次に、ユスターシュとメディアの関係については、『アリックスの写真』が元々はヴィデオ研修の修了作品として作られたものであるとした上で、映画とヴィデオの媒体の違いを追求せず、ヴィデオを通して映画で完成される何かを発見しようとした点が、ゴダールの試みと異なるのではないかと述べた。また、再販シナリオの序文の税金の説明については、どの関係者に取材しても根拠が解明されなかった点だと説明した。

その後のディスカッションでは、『ママと娼婦』のシナリオの持つ自律性、ダンディズムとジェンダーの問題、ユスターシュ作品の挑発性と保守性の共存関係など、様々な論点が取り上げられた。また、須藤氏による、『ママと娼婦』のシナリオ全文の日本語翻訳や、本書で詳細にショット分析が行われた『アリックスの写真』以外の、ユスターシュ映画の作品分析への期待も寄せられた。本書はフランスでも出版される予定であり、今後の更なる展開が待たれる。そして、本パネルを通して明らかにされたのは、本書が世界でも類を見ないほど卓越したユスターシュ研究書となっている所以は、須藤氏による膨大な量の未公開インタビューという、貴重な一次資料に基づいて構成されていることはもちろん、作家研究に携わる際につきまとう、作家について、作品について、研究者はいかに記述するべきなのか、という問題意識に正面から向き合った結果が反映されていることである。その意味で、本書は、ユスターシュ作品の死後の生にある様々な取り組みのなかで、最も誠実にユスターシュ作品を継承したものといえるだろう。


パネル概要

1970年代の最も重要な映画作家と評されるジャン・ユスターシュ。その人生と全作品を、関係者たちへの膨大な聞き取り調査とともに読み解いた須藤健太郎の学会受賞作をめぐり、野崎歓、堀潤之、星野太、三浦哲哉(司会)をパネリストに迎え、著者とともに討論する。映画・文学の交点(野崎氏)、ヌーヴェル・ヴァーグ以降のフランス映画の諸展開(堀氏)、美学・方法論(星野氏)──これら観点からの読解によって、本書のきわめて豊かな内実が紐解かれるだろう。

広報委員長:香川檀
広報委員:白井史人、原瑠璃彦、大池惣太郎、鯖江秀樹、原島大輔、福田安佐子
デザイン:加藤賢策(ラボラトリーズ)・SETENV
2021年3月7日 発行