単著

中村秀之

暁のアーカイヴ 戦後日本映画の歴史的経験

東京大学出版会
2019年7月

映画研究は、対象作品のDVDや映像データを用意することが前提とされる時代になった。基本的に、いつでもどこでも、こうした映像を確認し、自分の記憶の正誤を確かめられる。しかし、そのとき作品は、どこにあるのか。DVDの盤面やデータ信号自体は、作品ではない。映像が身近になるとともに、作品の所在は、歴史の所在とともに、ますます不明瞭になっていないか。本書は、こうした目下の映画研究の重大な問いを考察するものである。

本書は、緻密なテクスト分析と歴史的資料の渉猟、そして鋭利な哲学的感性を以て、敗戦後日本の映画を再検討してきた著者・中村秀之による、23本にも及ぶ既出の論文および研究発表のアーカイヴである。しかし本書において、「アーカイヴ」は、「アーカイブ」ではない。後者は、資料の収集や保存を行う施設を指すが、前者は、収集や保存が個々人の生にまで影響し、常に記憶と記憶違いとを揺らめく現代の環境と規定される。そのため本書は、単に既出の論考を再掲載したものではない。過去の紙面に刻まれたその考察を回帰させ、現在の著者を過去の著者へと臨ませる、アーカイヴという亡霊的な営みなのだ。そして、DVDや映像データを再検討しつづける現代の映画研究も、この「死に臨む生」とパラレルとなる。そこでは常に映像が確認されることで、過去が、現在に亡霊的に回帰し、現在の記憶を揺らめかせる。こんなシーンを見た記憶があるが、それは本当にあったのか──。そして、この回帰の連鎖の果てに作品と歴史が立ち現れるさまを、本書は映画研究とするのであり、その時間制を、昼と夜との隙間たる「暁」に、束の間、見出す。

本書がこの暁の営為を展開するのは、ヤミ市の映画的表象や岩波映画などの映像群、高峰秀子や高倉健などの俳優たち、土本典昭や森﨑東といった監督たちである。そして、現在の著者は、これら過去の自身の考察に応答する。例えば、ヤミ市の映画的表象においては新たにイデオロギー素が見出され、また森﨑東の喜劇に見出されていた、罪を負う敗者による「抵抗」と記した二文字は「反逆」へと変更される。そして、ここに展開されるアーカイヴ的考察が突きつける問いは、敗戦後というこの国の歴史的時間の回帰となるため、重く、喫緊のものであり、また、これからの映画研究を切り開く刺激に満ちている。その上で、現在と過去、二人の著者は、「乏しい」家庭に生きた10代の前半に、「製紙工場の工員だった父」がリサイクル用の古本の山から拾ってきてくれた一冊の書物へと、めぐりあう。本書は、書物そのものとの出会いへと誘うアーカイヴでもあり、研究書でありながら歴史小説作品へと変容する。

映画研究の最先端で、記憶と記憶違いが揺らめく暁に、研究は作品へと限りなく近接する。現代のアーカイヴ的環境において、歴史の亡霊に憑かれる技法こそ、本書が読者に与える最大の贈り物に思う。

(角尾宣信)

広報委員長:香川檀
広報委員:白井史人、原瑠璃彦、大池惣太郎、鯖江秀樹、原島大輔、福田安佐子
デザイン:加藤賢策(ラボラトリーズ)・SETENV
2020年2月29日 発行