単著

森貴史

踊る裸体生活 ドイツ健康身体論とナチスの文化史

勉誠出版
2017年9月

裸体は、可視的で操作可能な対象である近代的自然として近代の人間主体を支えると同時に、操作不可能で超越的なエネルギーみなぎる「外部」への神秘的な通路として近代の超克への欲望を支えてきた。人類の歴史を通してつねに思索と実験の対象となってきた裸体への思考と実践は、20世紀前半のドイツを中心とした世界で、ドイツ裸体文化運動として開花した。広汎で強力ゆえに評価の分かれるこの文化運動は、現在のわれわれの文化の基底であり、その潜勢力はわれわれの未来である。そのことを『踊る裸体生活:ドイツ健康身体論とナチスの文化史』は、美しい図版と文章によって私たちに教えてくれる。

身体の歴史と哲学、すなわち身体論がいま急速に立ち上がりつつある。それは古代ギリシャ・ローマ時代に始まり、中世における深化を経て、17世紀西欧の科学革命がもたらした心身二元論によって見えにくくなりつつも、19世紀のロマン主義、心霊主義、メタフィジカルと代替医療、そして20世紀初以来の生物医学と近代心理学の勃興によって、身体の文化史として復活した。身体の文化史の教科書を──シリーズ挙げるなら、それはLinda Kalof, etc., A Cultural History of the Human Body, Bloomsbury Academic; 2014. であろう。ヨーロッパ中心ではあるが古代から現代まで、狭義の文化史に止まらず医学史・科学史・科学哲学、生命倫理学、社会史そして宗教学と芸術全般を領域横断的に論ずることによって、この長大な教科書は、身体の歴史と哲学の復活への道を切り開いたと言っていい。この地平から、例えばSir James Mallinson, etc. ,“Roots of Yoga”, Penguin Classics; 2017.を、インド3000年の歴史における身体論の文献学的調査と言うことができる.

日本では1970年代以降に、多くの思想家・社会学者らによって、個別に身体論が紡がれるようになった。それは1990年代以降の“Neurochemical Self”(Nicholas Rose, 1999)という、物理的かつ化学的に操作可能で可視的な存在である脳神経をスーパーシステムとみなして他のファクターを軽視する人間観へのオルタナティブとして、まずあった。2000年代後半以降のMoral Enhancementの行政による推進という人間の道徳的強化が社会的義務となる時代、そしてMindfulness Meditationという無目的な瞑想による自己強化による競争社会への適応が望ましいとされる時代にあって、これはオルタナティブであると同時に、人類の歴史を通じたテーマとして追求され続けたことが理解され始めた。セルゲイ チェルカッスキー(著)、 堀江新二(訳)、『スタニスラフスキーとヨーガ』、未来社、2015年は、20世紀の演劇人に多大な影響を与えたスタニスラフスキー・システムが、近代最大のオカルティズム運動である神智学によって受容されたインド思想の伝統とプラーナ(気)の概念、ヨーガの技法によって形成されたことを教えている。これら豊富な土壌に本書は、領域横断的な身体論の先駆として、豊富な図版とともに私たちの眼前に立ち上がってきた。

本書の目次は以下の通りである.


ドイツ裸体文化とは/「裸体文化」ということば/生活改革運動と「衛生」/菜食主義と自然療法/不健康な都市と健康な田園/進歩と進歩の影としての神秘主義──神智学、人智学、アリオゾフィー/ナショナリズム台頭の思想的背景/母権論と宇宙論的サークル/裸体文化運動の推移

第1章 裸体文化運動の先駆者たち
裸体生活の起源/ゴダイヴァ夫人の伝説/啓蒙主義時代の裸体賛美者たち/リヒテンベルクの『空気浴』/「ドイツ体操の父」ヤーンと体操運動/ヤーンによる国民運動の展開/『ドイツ体操術』/身体とナショナリズムの融合/アメリカ西海岸地域の自然賛美者たち/プリースニッツとクナイプの水治療法/リークリの空気療法/ロリエの日光浴治療/世紀転換期の前夜

第2章 山野の自然を愛する者たち
『ハイジ』と山地の日光と空気/ワンダーフォーゲル運動/マイスナー祭典/登山家たちの誕生/山岳映画/山岳映画女優レニ・リーフェンシュタール/『オリンピア』が提示する裸体

第3章 運動する肉体の美と健康
『力と美への道』で語られる身体文化/細菌学の発達と健康/近代ウェイト・トレーニングの誕生/モダンダンスとデルサルト理論/モダンダンスの先駆者ロイ・フラー/裸足のイザドラ/セント・デニスと舞踊学校/リュトミック体操とラバノテーション

第4章 裸体文化をめぐる思想家たち
イザドラ・ダンカンの愛読書/ヘッケルとニーチェ/菜食主義者コロニー「モンテ・ヴェリダ」/放浪の予言者グスト・グレーザー/サナトリウムと自然療法の作家ヘルマン・ヘッセ/ダダイズム、人智学、母権制をめぐって

第5章 裸体文化運動の理論家たち
放浪の芸術家ディーフェンバッハ/フィードゥスと《光への祈り》/ユーゲントシュティールとバウハウスの身体文化/異端の裸体文化理論家ハインリヒ・プドール/裸体文化運動の組織者 リヒャルト・ウンゲヴィッター

第6章 ナチスと共存する裸体文化
アドルフ・コッホの「社会主義的」裸体文化運動/「裸体ダンス・スキャンダル」/コッホのダンス学校/労働者の裸体文化運動/ヒトラー礼賛者 ハンス・ズーレン/軍人ズーレンと体操教育/ズーレンの裸体文化理論/改版『人間と太陽』とヒトラー『わが闘争』

目次が示すように、本書はここ200年ほどのドイツ裸体文化運動の全容を、歴史的かつ地理的に広大な領域における諸ファクターとの関係性によって記述している。まさに労作の名が相応しい。これを科学史との関係から見るならば、概ね以下のように要約できる。

18世紀啓蒙主義期以降の自然科学、とくに博物学と地学の発達による自然環境への自然科学的理解の普及は、まさに科学の光による無知の暗闇の追放だったといえる。それは、それまで魔術的な暗闇と恐怖と不健康の同義語だった「山」を、科学的理解によって、光り輝く知と歓喜と健康のイメージに満ちた世界へと変貌させた。このイメージは、各種医療技術の発達との共進化によって、「山」の力の自然科学的表現である「良い空気」「良い水」を直接に身体に取り込む、つまり山野に「裸体」をさらけ出すことで健康になる、という信念をドイツの医療文化にまず定着させた。

これはサナトリウムという、治療空間としての近代的病院の対極にあるとされる、自然の力によって心身を癒す施設の隆盛へとつながっていった。アニメ化によって現代日本人にも親しまれているヨハンナ・シュピリ『アルプスの少女ハイジ』(1880-1881)は、都市の空気が不健康をもたらし山野の空気が健康にするという同時代の転地療法が依拠していた観念に基づいて書かれている。また文芸作品として有名な『魔の山』(1924)は、著者トーマス・マン自身のサナトリウム体験に基づいている。

このことを、19世紀アメリカにおけるドイツ人博物学者フンボルトの「医地理学」(環境医学)の流行と、最初は都市化の進む東部から最後はフロンティアの終焉と軌を一にする19世紀末の西部における消滅、そして1960年代におけるエコロジー・代替医療としての復活と比較するならば、非常に興味深い。この現象についてはNash, Linda. Inescapable Ecologies: A History of Environment, Disease, and Knowledge, University of California Pr; 2006.に詳しい。また同様に19世紀アメリカに流行し、1847年のアメリカ医師会の結成そして1910年のフレクスナーレポートによる生物医学の確立によって打撃を受けつつも、現在まで有力な代替医療運動としてアメリカと全世界に拡がっている自然療法の各派の思想と実践とも共鳴している。これについてはWhorton, James. Nature Cures: The History of Alternative Medicine in America, Oxford University Pr; 2002.に詳しい。

そして19世紀ドイツナショナリズム台頭と政治的躍動のなかで、古代ギリシャに淵源を比定された裸体と裸体によることを理想とする体操は、ナショナリズムの動力源の有力な一つとなった。裸体と体操により形成される健全な肉体をナショナリズムの根拠とする民主主義者たちの政治的挫折は、近代ロマン主義と産業革命が進行する19世紀後半ドイツに、裸体と体操そしてモダンダンスへの讃仰を導入することとなった。

そして彼らの一部は、不健全な都会を離れて山野を仲間と共に駆け巡ることで心身の健康を増進することを説くワンダーフォーゲル運動を、ドイツに定着させていく。こうして「裸体」は、個人の健康とドイツ国家の健康を増進し統合する場へと変容していった。

また神智学がドイツ裸体文化の形成に果たした役割は大きい。広汎な現象を圧縮して扱う本書ではさらりと触れられているのみだが、神智学は裸体と自然を明確に超越と神秘へつなげ、そして人智学はそのキリスト教化を行ったことは、近年の欧米と日本で隆盛しているエソテリシズム研究が示すところである。

こうして自然および国家が共に依拠する基盤となった「裸体」は、とうぜんに政治的存在となっていく。ドイツ民族に身体の強健さと美を仮託し、その対極としてのユダヤ人を身体的に劣悪で不潔な存在として排除して行くべきだとする政治的思考は、ドイツ裸体文化運動の初期から存在した。ドイツ裸体文化がドイツ文化の主流に地位を占めると同時に、その政治性も強化していくこととなる。1900年代からのドイツ優生学の勃興は、これを科学的に根拠づけた。こうしてナチズムとドイツ裸体文化の野合への道が開かれた。

ドイツ裸体文化運動の初期から、強化された身体の理想型は古代ギリシャ・ローマの彫像だった。レニ・リーフェンシュタール監督による1936年ベルリンオリンピック記録映画『オリンピア』の冒頭がパルテノン神殿から始まる理由は、単にオリンピックの歴史をたどったわけではない。ドイツ裸体文化において身体美の範型が古代ギリシャ・ローマの人体彫刻として視覚化されているため、その映画による表現は、すなわちゲルマン民族の勝利の視覚化を意味するからであった。

ナチズム滅亡後も、ドイツ裸体文化運動はドイツ社会に脈々と受け継がれ生き続けた。旧西ドイツだけではない。旧東ドイツでは、社会主義的なドイツ裸体文化運動が奨励された。そして統一後の現在、ドイツ裸体文化は現代ドイツ文化の主流に位置している。

ここで2つの疑問が生まれる。19世紀末からのアメリカにおける各種の身体技法が、一つには印刷物の普及に伴う、民衆の民衆による民衆のための相互教育運動に、もう一つには宗教治療の思想と実践に依拠していたことは、Folk, Holly. The Religion of Chiropractic: Populist Healing from the American Heartland, Univ of North Carolina Press; 2017.に詳しい。また1900年頃に伝統的治療と宗教治療、そしてアメリカの宗教治療及び祈りに影響されて成立した日本の民間医療運動である療術・霊術は、その後継であるReikiと野口整体において、やはり民衆の民衆による民衆のための相互教育運動であった、そしていずれも身体を介して共同体と環境と霊性をつなぐことで、現代のそれぞれの社会と文化に根底的な影響を与えている。ドイツ裸体文化運動と同様に神智学の影響を受けたこれらは、ドイツ裸体文化運動と違って、ナショナリズムから距離をとり続けた。これは何故だろう?

さらにこれはもう一つの疑問を生む。ドイツ裸体文化の問題点は、身体美の範型が古代ギリシャ・ローマの人体彫刻として視覚化されていることだ。ドイツ人の身体による美の実現を、これは原理的に困難なものとする。理想の実現は原理的に達成され得ないから、理想美にどこまでも限りなく近づこうという努力に終わりがない。努力の範囲は、時間的空間的に無限に拡大していく。最終的には世界の全て、理想を実現できない自己と民族と人類の総体が理想の実現を阻む「敵」になり、「負の美」のスティグマを付与された集団内の異分子への粛清がはじまる。そして「負の美」のスティグマからは誰も逃れられない。これがドイツ優生学との結合によってナチズムの蛮行を将来したことは、想像に難くない。これは、現在のドイツ裸体文化において、そして類似する文化・思想運動であるアメリカや日本の身体技法文化において、どのように克服されているのだろうか?

『踊る裸体生活:ドイツ健康身体論とナチスの文化史』について、ここまで、医学史と身体論の立場から内容の紹介を行ってきた。本書は魅力と驚きに満ちたドイツ裸体文化運動の解説書であり、新しく領域横断型学問として現代社会に立ち上がりつつある身体論の日本における先駆であるといえる。

以上、評者の非力を顧みずに書評を行った。本書の魅力を少しでも伝えることができていれば幸甚である。本書が一人でも多くの日本人の目にとまり、ドイツ裸体文化運動そして新しい身体論の魅力を伝えることを望みつつ、書評を終えたい。

(田野尻哲郎)

広報委員長:横山太郎
広報委員:柿並良佑、白井史人、利根川由奈、原瑠璃彦、増田展大
デザイン:加藤賢策(ラボラトリーズ)・SETENV
2018年2月26日 発行