研究ノート 東谷護

ウッドストック・フェスティバル、その後 ──流行現象をどう後世に伝えているのか
東谷護(成城大学)

1.

「音楽」は、その美的価値という「芸術性」を表象する側面が強く、日本では実証的な学術的研究の対象から遠ざけられてきたように思われる。音楽を研究対象とする音楽学でさえ幅広くなかなか目が届かず、21世紀に入ってようやくパラダイム・シフトが起こり、ポピュラー音楽も研究対象となってきた。しかしながら、音楽評論、レコードやCDなどのライナーノーツといった、学問とは一線を画す分野がこれまで相応の地位を保ってきたことと、西洋古典芸術音楽研究における作家作品論がこれまで絶大な力を持ってきたため、ポピュラー音楽を研究対象とする際にも上述したような従来の狭い領域での研究を行っているという誤解をいまだに他領域からは受けているというのが現状といえよう。

先述した芸術性の表象と同様に、音楽は生産(作者、送り手)と消費(聴衆、受け手)をつなぐという側面もある。とりわけポピュラー音楽の研究においては、その「商業性」の側面が注目され、生産と消費をつなぐ、「メディエーション(mediation)」に着目することが、海外のみならず日本においても主流となりつつある(※1)。

レコード、テープといった録音、録画を可能にした媒体のおかげで、ある時点での音楽演奏を記録しておくことが出来るようになって久しい。だが、流行が過ぎ去ってしまった、幾多もの時を刻んだ過去のものについては、多くの人々に広く届けるためには、ラジオ局やテレビ局といったマス・メディアの送り手側に委ねられていたと言えよう。こうした状況を打破したものとして、YouTubeの登場は画期的だった。というのも、これまで一方的に受けとる側だった音楽聴取者たちが、個人の楽しみとして録音録画した過去の音源や映像をYouTubeにアップすることによって、気軽に送り手になることが出来、多くの人たちと個人の所有する音源や動画の共有が可能となったからである。もちろん音楽聴取者たちにとっても、楽しみが増したのは言うまでもない。こうしたメディエーションの発達によって、ポピュラー音楽をめぐる文化実践の変化は近年、目を見張るものがある。

2.

これらとは別に、ポピュラー音楽の特色には、特定の時代性を反映させた流行現象という側面もある。この歴史的流行現象のなかには、特定の時代にとどまらない普遍性を持つ、すなわち超時代的に永続性を獲得した文化実践へと昇華するものもあれば、たんなる流行現象の域を出ないものもある。たとえば、多くの観客を動員した、「伝説の」といった類いの言葉で形容される野外コンサートなどである。

こうした事象に関して、上述の差違が生じる、いわば分岐点はポピュラー音楽を身近なところで戦略的に可視化することが出来るか否かによる。観点を変えてみれば、ポピュラー音楽が「商品」という側面を有していることから展開し、ポピュラー音楽には観光資源としての一面があると考えることが出来るか否かにある。この観光資源という側面を意識できれば、ひいては文化政策として様々な可能性が開けると言えるのではないだろうか。

観光資源としてのポピュラー音楽は、「消費者を移動させる」という視点をもつことによって説明できる。以下に具体例を示してみたい。

①消費者が、スター某に関わる場所を訪ねること。
②消費者が、ポピュラー音楽文化に関わる展示を行っている博物館を見学すること。
③消費者が、音楽フェスティバルに参加すること。

①は史跡旧跡めぐりと似ており、②は何を展示するかによって消費者の関心は変化するものの消費者が移動する点においては同一であり、③は目的の第一は音楽を鑑賞することであるが、既存のホールとは違い、フェスティバル会場のある都市や町に消費者が旅行に出かけるということである。これらの共通点は先にあげた消費者が移動することである。すなわち、ポピュラー音楽が「消費者を移動させる」ことに他ならない。つまり、ポピュラー音楽は消費者を移動させることによって、観光資源としての一面が前面に表出するのである。

日本では、ポピュラー音楽のみならず、音楽一般をテーマに掲げた大規模な博物館は存在しないと言ってよいだろう。音楽文化について広く資料を収集し、保存、展示するような研究教育機関としての博物館はないが、観光資源となりうる可能性を持つ音楽関係の個人博物館・記念館の類は、近年散見されるようになっている。ただし、脆弱な基盤の上に辛うじて成立してはいるものの、展示内容が充実しているとは言い難い例もある(※2)。

これに対して、世界的ヒットと結びつくポピュラー音楽をグローバルスタンダードとみるならば、米国に目を向けるのは当然であり、実際、米国に着目してみると、ポピュラー音楽系のテーマを掲げる博物館が、大小さまざまな規模で各地に存在している。その中には、業界団体などが中心となって特定ジャンルの音楽に関する資料を収集している本格的な博物館もあれば、地域の特性を反映した音楽ジャンルや、特定のレーベル、特定の人物などに関する、中小規模の博物館等もあるし、草の根の小さな非営利組織が運営している展示施設も数多い(※3)。

3.

こうした問題意識の下、1969年に米国ニューヨーク州で開催されたウッドストック・フェスティバル(Woodstock Music and Art Festival)(※4)のその後に筆者は注目し、2011年と2013年に現地に赴き、ベセルウッズ芸術センター博物館(Bethel Woods Center for the Arts Museum)の館長にインタビューをした(※5)。最初に現地調査したときのことを綴ったエッセイを提示したい。

ロック・ミュージックは、それを愛した若者たちとともに仲良く歳を重ねてきたが、目前に迫った「冬」をどう過ごしていくのだろうか。こうした状況を相対化出来ずに、いまだにロックに熱を上げるのも、ある意味、ロック的で魅力的かもしれないが、しっかりと冬支度を始めている人たちもいる。

アメリカはマンハッタンからハドソン川を車で2時間ほど北上したニューヨーク州ベセルに、広々とした農園風景が広がる場所がある。1969年に開催されたウッドストック・フェスティバルの会場だ。2011年の秋、私は初めて足を運んだのだが、心地よい風の吹く空の下、芝生の緑色が丘の上まで続いており、静寂があたりを覆い尽くしていた。あの頃の喧噪を呼び覚ましてくれるものは見当たらない。

丘の上に続く道を車で上ってゆくと、整備された駐車場とベセルウッズ芸術センター博物館があった。ここは地元住民の有志によってウッドストックを後世に伝えていくために設立された。ボランティアが運営を支えていることと、博物館の常設展示に工夫がなされていることに特色がある。博物館計画当初から、ウッドストックだけに焦点をあてるのではなく、1960年代文化を伝える中にウッドストックを位置づけたのだ。1969年に会場となった方向とは反対側に丘を下ると立派な野外ステージがある。今日ではこちらで野外コンサートを行い、当時の会場は記念に保存してある状態だ。「伝説」の野外フェスティバルは、新しい春を迎えるために、博物館を主軸に据えた1960年代文化の啓蒙という種をまいたのである。(※6

ウッドストックのその後には、音楽系博物館という歴史的流行現象を可視化する文化装置として地域コミュニティで上手に活用したいという問題が読み取れる。この流行現象を実体験した世代にとっては、好むと好まざるを得ず、世代を共有する、ある種のコードとなり得る。地域コミュニティにとって、かつて流行った音楽を音楽博物館によって可視化することで、観光資源としての再利用にとどまらず、生涯教育の場として活用できる可能性も高まる。 遠い昔の出来事として「あの頃はよかったよ!」と懐かしむのも、「答えは風のなかにある」と歌ってみるのも粋なのかもしれないが、流行現象をどのように後世に伝えていくかというベセルウッズの試みは学術的に考察しておくべきだだろう( ※7)。

記念碑から会場跡を望む(筆者撮影)

ベセルウッズ芸術センター博物館の常設展示(筆者撮影)

東谷護(成城大学)

[脚注]

※1 たとえば、東谷護(編著)『拡散する音楽文化をどうとらえるか』勁草書房,2008年を参照。

※2 山田晴通「立地からみた日本のポピュラー音楽系博物館等展示施設の諸類型」『人文自然科学論集』134,2013年,3-23頁を参照。

※3 山田晴通「米国のポピュラー音楽系博物館等展示施設にみるローカルアイデンティティの表出とその正統性」『人文自然科学論集』130,2011年,155-187頁を参照。

※4 ウッドストック・フェスティバルは、1969年8月15日~17日に米国ニューヨーク州サリバン郡ベセルで開催された野外コンサートで、約40万人の観客を動員した。当初、予定されていたウッドストックでの開催が出来なかったため、場所を変更しての開催だった。そのため、博物館の名称にはベセルという会場となった場所の名称が冠されている。
ウッドストック・フェスティバルの影響は、開催当時としては、日本では全日本フォークジャンボリー(1969~71年)などの野外コンサートに与えた。全日本フォークジャンボリーの学術的考察については、東谷護「ポピュラー音楽にみる「プロ主体」と「アマチュア主体」の差異-全日本フォークジャンボリーを事例として-」東谷護(編著)『ポピュラー音楽から問う-日本文化再考-』せりか書房,2014年,245-275頁を参照。
また、スミソニアン博物館の現代史の1960年代の文化として、ベトナム戦争とともに、ウッドストック・フェスティバルのポスター等が展示されていることからも、その影響力は大きいといってよいだろう。

※5 現地調査、並びにベセルウッズ芸術センター博物館長へのインタビューは、2011年9月16日と2013年11月1日に行われた。なお、録音CD-Rは筆者所蔵。

※6 東谷護「60年代ロックの「伝説」を文化として後世に伝えるベセルウッズ博物館」『日本経済新聞』2011年11月30日12面を一部、修正した。

※7 筆者は2010年から2014年まで、継続的に米国でのポピュラー音楽の流行現象に関わる人たちにインタビューを行ってきたが、目下、それらを学術論文としてまとめる準備をしているところである。
なお、ポピュラー音楽をたんなる流行現象として分析するのではなく、歴史的事象として解析することを前進させるために、日本と韓国の事例を中心にまとめたものとして、東谷護『マス・メディア時代のポピュラー音楽を読み解く-流行現象からの脱却』勁草書房,2016年を上梓したところである。