第9回大会報告 パネル6

パネル6:知/性、そこは最新のフロンティア──人工知能とジェンダーの表象
報告:福田安佐子

2014年7月6日(日) 14:00-16:00
東京大学駒場キャンパス18号館コラボレーションルーム3

パネル6:知/性、そこは最新のフロンティア──人工知能とジェンダーの表象

電子の時代のピュグマリオン──ポストヒューマン技術のジェンダー化をめぐる文化的想像力
小澤京子(首都大学東京)

人工知能にジェンダーは必要か──ソーシャルロボットとしてのAIと被行為者性の観点から
西條玲奈

挑発的なサイボーグであるために──「もはや誰も人間ではない」世界に生きるためのポリティクス
飯田麻結(東京大学)

【コメンテーター】大橋完太郎(神戸女学院大学)
【司会】北村紗衣(武蔵大学)

日本人工知能学会誌『人工知能』の表紙に描かれた女性型人工知能搭載エージェントが、性差別的であるとして2013年からに2014年にかけて巷で話題になったのは記憶に新しい。しかし人造の知能が生み出された当初から、人工知能とは決して性とは無縁のニュートラルな創作物であったというわけではない。本パネルは、性的な存在としての人工知能の系譜を洗い出すとともに、近年の科学技術、理論、表象に付随するジェンダーの問題を検討するものであった。

最初の小澤氏の発表では、自我や知性を備えた女性型の人造人間に関する物語や映画、アニメなどが取り上げられた。小澤氏によれば『人工知能』学会誌の表紙に描かれたガイノイドは、人造の生命に対する幻想とエロティシズムによる創作物であるという点で、ピュグマリオン伝説と同じ系譜に位置づけられる。しかし日本のアニメにおけるガイノイドや女性サイボーグは、性的サービス労働者であると同時に法の執行者という二極的な役割を持っていると小澤氏は指摘する。その例として押井守の『攻殻機動隊』や『イノセンス』、桂正和の『電影少女』、クランプの『ちょびっツ』などを挙げ、現代のピュグマリオンの亜種について解説した。西洋においては、性的倒錯者としてのアンドロイドや人工知能同士の恋愛など、人間への奉仕から解放されながらもなお性的な存在としての人工知能のイメージが、最近のミュージックビデオや映画などで表現されている。このように人工知能における身体と性をめぐる文化的装置を詳らかにしながら暗示的に小澤氏の発表は締めくくられた。

西條氏の発表は、すでに実用化されている人工知能、例えばSiriやCortanaを取り上げ、人工知能にジェンダーを与えようとするデザインを批判的に検討するものであった。人工知能にジェンダーが与えられるのは、多くの場合、声やデザインといったユーザー・インタフェース(UI)を通じてである。西條氏によれば、人工知能がソーシャルロボットとして使用される際にジェンダーのバイアスが作用することで、使用者との間に人間同士のような親密な関係の構築が可能となる。しかしその一方で因習的な性別役割が強調されることで、ジェンダー差別を喚起させ、マイノリティへの抑圧が成立する可能性があるという。そこで西條氏が提案するのは「ジェンダー中立的」なデザインである。しかしそれは必ずしもジェンダー的表象を伴うデザインを禁止するものではない。あくまで使用者に対してどちらかの性別を強固に読み込ませるデザインの危険性に注意を促しているのである。

飯田氏の発表は、エンボディメント、ポストヒューマン、情動の諸概念に関するフェミニズム・クィア論者の展開を検討する試みであった。飯田氏によると、AIは、それが擬人化される際に自律的な主体が投影され、身体性が恣意的に読み込まれるのに対し、フェミニズムの文脈においてたびたび登場してくるような、感覚的経験や神経系を基盤とした「生命でありうるもの」のシステムすなわちA-Lifeを重要視する考え方は、人間を再定義する可能性を秘めている。さらにこれまでは人間の機能の拡張や強化として語られてきたポストヒューマン概念に対して、ブレイドッティはフェミニズム的な観点から集合性、関係性、コミュニティの構築に基づき、「人間主体」の自明性への再検討を促しているのだという。さらに飯田氏によれば、このような身体概念はさらに「情動」という観点を介することで物質/情報、人間/非人間といった従来二項対立的に語られてきたものの相互依存性を前景化させるという。このアプローチは科学技術の領域と重なり、「情動的コンピューティング」では明白に人間である身体を前提とせずに身体的形象を与える潜在性の考察が可能となる。このような情動的転回によって開かれる展望のもと、「サイボーグ」は日々漸進する科学技術の発展を垣間見る我々がいかに自身の身体を語る手段を取り戻すことができるか、という問いを喚起するものとして捉えられる。

コメンテーターの大橋完太郎氏からはそれぞれの発表に対して以下の指摘がなされた。

まず、小澤氏の発表に対して、表紙絵が喚起するある種のノスタルジーが批判を集めた背景を、日本独自のノスタルジーやロボットカルチャーなどの観点から再考する必要性があると指摘した。

次に西條氏の提言に対し、いかなるセクシャリティも喚起させない「中立的な」デザインは成立し得ないのでは、と指摘がなされた。これに対し西條氏は、デザインでどちらかの性別を恣意的に誘導するのが「ジェンダー中立的でない」のであり、ユーザーによる性的嗜好の投影は含意してないとした。またUIとして子供の声が妥当であるとの西條氏のコメントをうけて大橋氏は1990年代以降に「情報理論は天使の理論である」という論調があったことを紹介し、純粋知性である天使が身体性を纏う際にどのようなものとして捉えられてきたか、というトマス・アクィナスをはじめとする思想史的文脈の観点からの検討を示唆した。

最後に飯田氏の発表に対しては、AI/A–Life的情報化は真逆でなく容易に反転しうる関係にある、と指摘した。さらにA-Life的情報化やハラウェイのいうサイボーグとしては具体的に何をイメージしているのか、また情動的コンピューティングの特徴とは何か、と質問を行った。飯田氏はまずA–Lifeの具体例としてライフゲームをあげた。さらに、そのような仮想生物のプログラミングの過程において観察対象と観察者の間にある種の関係性が生まれ、感覚や反応がテクスト化され、物語性を持つことが重要であるとコメントした。また「情動的コンピューティング」とは、コンピュータへの感情付与でも個人的な感情でもなく、コンピュータと人間との間に伝染的に生じてくるものである、と補足説明を行った。これを受け大橋氏は最後に、情動がサイバースペースで人々に感染していく際の危険性を、Twitterにおける炎上などといったかたちで我々はすでに経験済みであり、情動というものの重要性や優位性のみを容認することはできないのではないのか、と指摘した。

純粋知性である人工知能は、常に身体を伴って表現されるロボットやアンドロイドと大きく異なる。ここで我々は、古来より画家たちが精霊や天使をいかに描くかということに創意工夫を凝らしてきたのと同じ問題に直面しているといえるだろう。表紙絵問題や本パネルによる問題提起を契機に、人文学の知見と最新の科学理論とを重ね合わせた議論がよりいっそう深まっていくことを期待したい。

福田安佐子(京都大学)

【パネル概要】

人工知能がどのような姿をとってこの世に現れるかという問いは科学・芸術双方において想像力をかき立て続けてきた主題であり、とくにポストヒューマン的SFが流行するようになっている現在、人工知能は宇宙にかわる最新の想像力のフロンティアといってよいであろう。こうした人工知能の発展を考える場合、そのインタフェースにどのような性別・性役割をまとわせるのかというジェンダー表象の問題が不可避である。ジェンダー化された人工知能はヴィリエ・ド・リラダン『未来のイヴ』(1886)にまで遡る古典的なSFの主題であり、ごく最近でも人工知能学会誌『人工知能』第29巻1号のガイノイドを用いた表紙が性差別的だとして批判され、スパイク・ジョーンズ監督が女性の声を持つ人工知能に恋する男を描いた映画『her/世界でひとつの彼女』(2013)が話題を呼ぶなど、人々の関心を惹きつけ続けてきた。本パネルは、人造の知性が想像・創造される際にどのような性別や性的特徴を賦与され、またいかなる性的役割を担うものとして表現されるのかということを主題とする。人間の複製に表れるピュグマリオン的願望の変容を扱う小澤の発表、実際に使用されている人工知能インタフェースのジェンダー表象を扱う西條の発表、ダナ・ハラウェイのサイボーグの概念に立脚して科学論的分析を行う飯田の発表を組み合わせ、芸術・倫理・科学技術といった多角的な視点から人工知能のジェンダー表象を考えていくこととしたい。(パネル構成:北村紗衣)

【発表概要】

電子の時代のピュグマリオン──ポストヒューマン技術のジェンダー化をめぐる文化的想像力
小澤京子(首都大学東京)

先日巷間の議論を呼び起こした『人工知能』表紙絵の問題は、「人造の理想的女性身体」というファンタスム(所謂ピュグマリオニズム)の系譜と、人間の機能を複製・拡張・強化するテクノロジーのひとつ「人工知能」のあり方との交差地点に位置づけられるだろう。ここには、「擬人化(anthropomorphism)」すなわち無機物に「身体」ないしは「身体性」を付与し、さらにはそこに特定のジェンダーを付与してしまう想像力のあり方、機械ないしテクノロジーの持つ「他者性」の問題などが内包されている。本発表ではこのような問題意識に基づき、文化的・社会的な現象の中からいくつかの特徴的な作品ないし表現(文学、映画・映像、アニメーションなど)を選び出し、そこでの「身体性付与」と「ジェンダー化」のなされ方を分析する。

他方で、ハラウェイ『猿と女とサイボーグ』や近年のペルニオーラ『無機的なもののセックス・アピール』が説くように、無機物や人工身体は、従来的なセク シュアリティやジェンダーの差異・二項対立を無効化する可能性も孕んでいる。人工知能は、engendermentと無性化という二つのヴェクトルが拮抗し合う場でもあるのだ。

人間の機能の人工的複製物に対して「ジェンダー化された身体」が構築される際の欲望の態様を炙り出し、身体と性をめぐる文化的装置について考察することが、本発表の最終的な目的である。

人工知能にジェンダーは必要か──ソーシャルロボットとしてのAIと被行為者性の観点から
西條玲奈

ユーザーの音声を認識してその指示に従うアシスタントソフトウェアのSiri、送られてきたメールの重要度を識別し分類するGmailなど、人工知能の技術はわれわれの生活にすでに浸透しつつある。これらは1930年代に登場したチューリングマシンに代表される、人間の推論・計算能力を模したものとは異なる知性のあり方を示唆する。人工知能の中でも、個人的で感情的な結びつきを人に引き起こすものを、ここではBreazeal(2002)にならい「ソーシャルロボット」と呼ぶ。本発表の目的は、ソーシャルな人工知能の事例を通じて、人とコンピュータのあいだのインタフェースに、ジェンダーの要素がいかに付与されるかを検討し、またジェンダー的特徴をどのように扱うべきか考察することだ。そのために、人工知能とはどのようなもので、人工知能のジェンダー的特徴がひとにあたえる影響を確認する。このとき重要なのは、Gunkel(2012)のようなマシン倫理学の仕事で指摘されるように、人工知能が実際に男性・女性としてふるまう行為者かどうかということ以上に、人がそれらの要素を読み込み、話しかける、配慮するといった行為の対象(被行為者)とみなす傾向をもつことである。この点を踏まえ、親しみやすさのような、人工知能にジェンダーを付与する動機と、それに対するジェンダーバイアスの強化といったリスクに基づく批判を検討する。そして問題解決の一助として、ジェンダー中立的なデザインの採用を提案する。

挑発的なサイボーグであるために──「もはや誰も人間ではない」世界に生きるためのポリティクス
飯田麻結(東京大学)

本発表は、ダナ・ハラウェイの提示したサイボーグ概念について、フェミニストの政治的戦略を描き出す形象/比喩的表現(figure/figuration)としての側面に焦点を当てた上で、人工知能のジェンダー化に関する議論を同時代的な科学技術論と照らし合わせ、どこまでも流動的であるような機械/生体、文化/自然といったカテゴリー間の境界を問い直すことによって生じるポリティクスの提示を目的とする。

人工知能にジェンダーが付与されるときに生じる論点は「理想化された人間性」を科学技術が担保する一方で、「明白に人間である(distinctly human)」身体が存在しえない(Blackman, 2012)、或いは有機的身体が遺伝子というコードによって解読可能な客体/対象として捉えられるという理論的混沌を反映していると考えられる。本発表では、人間と非-人間(nonhuman)の境界の流動性をめぐる近年のフェミニズムにおける議論を参照し、ポストヒューマン概念の(再)称揚に関する批判的考察を行う。さらに、以上の文脈からしばしば零れ落ちてしまう政治的側面を、ジェンダーと科学技術を論じる際に頻繁に引用されるハラウェイのサイボーグ論を再考することによって検討する。またその背景として、人間の身体もまた常に既にテクノロジーによって媒介されているという視点に立ち、「影響する/影響される(to affect/to be affected)」潜在性に基づいた「開かれた身体」に着目する情動理論や、AI及びALを扱った議論に顕著に見られる「ポスト生物学的」な生命の可能性について言及する。