研究ノート 茅野 大樹

認識の明晰さと判明さについて
茅野 大樹

前批判期のカントが、いわゆるライプニッツ゠ヴォルフ学派の影響下にあったことはよく知られている。カントの認識論の変遷は同学派の受容と、そこからの離反によって特徴づけられているといっても過言ではないのだが、三批判書が執筆される以前、遅くとも1769年頃からカントは、それ以前の形而上学者達の学説とは一線を画する独自の哲学体系の構築を目指すようになる。そしてその争点の中心には、対象によって触発されて表象を受け取る能力である感性(Sinnlichkeit)と、概念の能力である悟性(Verstand)を共通の源泉に由来する同種の認識様式として認めるか否か、という問題があった。

『認識、真理、観念についての省察』(1684)においてライプニッツは、認識(cognitio)の様式に明晰(clara)・曖昧(obscura)、そして判明(distincta)・混雑(confusa)という区分を導入した。これは直接には、デカルトの『哲学原理』(1644)第一部第四十五節における明晰、判明な認識に関する議論に端を発している。ある対象を他の対象から区別できる認識を明晰とし、明晰なもの以外に何も含まない認識を判明としたデカルトの主張をライプニッツは不十分として、そこに修正を加える。ライプニッツによれば、以前目にした対象をそれに似たものから識別し、再認(agnoscere)できるか否かによって認識は明晰か曖昧かに分かれる。そして全ての明晰な認識はまた、ある対象を他の対象から識別するために必要な徴表(nota)を言明できるか否かによって判明か混雑かに分かれる。つまり色・香り・味等の感覚によって対象を識別した明晰な認識も、その区別の根拠となる対象の特徴を説明できない場合は混雑な認識であり得る。重要なのは、ライプニッツにおける認識の区分は、対象の再認とその徴表の枚挙が可能か否かという観点からなされており、それは感覚と概念という認識する主観の側の表象能力の差異ではないということである。感覚による認識が曖昧であり得るのと同様に、確かな定義を持っていない概念も曖昧であり得る。その結果、感覚による認識と概念による認識は別種の表象様式としてではなく、同種の認識の判明さの等級としてのみ区別されることとなる。

感覚と概念に関するライプニッツの学説は、その後継であるバウムガルテンやマイヤーの認識論的前提となり、初期のカントも基本的にそれに従っていた。しかし、『純粋理性批判』(1781、第二版1787)において悟性の能力を直観(Anschauung)から区別することにより、カントはライプニッツとその学派からの離反を明白なものとした。カントによれば、対象の表象を受け取る心の受容性である感性は何も思考することができず、感官の対象を思考する能力である悟性は何も直観することができない。両者は全く別の認識源泉に由来する能力であり、どちらか一方が他方に優先することもないのである。例えば『プロレゴメナ』(1783)においてカントは、ライプニッツからの距離を示唆しつつこう述べている。「感性の本質は明晰さ(Klarheit)や曖昧さ(Dunkelheit)といった論理的区別にあるのではなく、認識そのものの起源における発生的(genetisch)区別にある」(AA IV 290)。ライプニッツにおける明晰さや曖昧さに基づいた認識の論理的区別は、感性的認識を知性的認識の単に混乱した表象様式として捉えているため、感覚とその上位の認識には連続性があり、その区別は本質的には存在しない。それに対してカントは、現象として現れる対象が主観の感官を触発する仕方の表象へと感性的認識を限定することで、認識の発生と起源の観点から諸々の認識の区別を試みようとしたのである。直観と悟性の区別について、カントは『判断力批判』への第一序論(1790)第八節の注にまたこう書いている。「概念の判明さ(Deutlichkeit)と混雑さ(Verworrenheit)による区別においては、概念の諸徴表(Merkmale)に向けられた注意力の程度に応じて、その諸徴表をどれだけ意識するかという度(Grad)が問題になるのであり、その限りにおいて一方の表象様式は他方の表象様式から種別的に(spezifisch)区別されない。直観と概念はしかし互いに種別的に区別される」(AA XX 226f.)。感性と悟性は、対象の特徴を枚挙する概念の判明さの度に依拠して区別される限り、その度の増減によって互いの表象様式に移行することができるため、種別的に区別されているとはいえない。カントにおいて両者は全く異なる認識源泉に由来する別種の認識能力であるため、悟性的認識がその判明さの度をいかに減じようと感性的認識へと連続的に移行することはなく、またその逆の移行も考えられないのである。

20世紀初頭における新カント派を中心としたカント再解釈の運動において、数学的、物理学的に基礎づけられたカントによる自然認識論の先駆者としてライプニッツに大きな関心が寄せられていたことは注目すべきである。ヴァルター・ベンヤミンもまたこうした同時代の動向に連動して前期の思考を形成していた。カントの『プロレゴメナ』を模したタイトルを付された『来るべき哲学のプログラムについて』(1918)に読まれるのは、カントの認識論以後に形而上学はいかにして可能か、という問いであり、この問いは形を変えて1920年代前半までのベンヤミンの諸々の著作の中で一貫して主題化されている。カント以後、大きな深淵によって無限に隔てられた直観と悟性という認識論の枠組みにいかなる修正を加え得るかという問いに、ベンヤミンは『ドイツ悲劇の根源』(1925)の「認識批判序章」においてライプニッツのモナド論を参照することで、一つの答えを導いている。そこに書かれるように、理念へと高められた存在は「自らの形姿(Figur)の中に密かに(verborgen)、他の理念界の縮約された(verkürzt)、曖昧な(verdunkelt)形姿を示す。それは、1686年の『形而上学叙説』のモナドがそうであるように、一つのモナドの中にそのつど他の全てのモナドが混雑に(undeutlich)ではあれ共に与えられているのと同様である」(Gesammelte Schriften I/1 228)。ここで言及される『形而上学叙説』の第二十四節においてライプニッツは、二年前に書かれた『認識、真理、観念についての省察』における認識様式の区分についての議論を再度要約して述べている。ベンヤミンもそれを読むことで、概念と自己意識によって反省されていない実体(モナド)の混雑な認識に着目していたのである。モナドにおいては、概念に基づいた判明な認識に至らない無意識の微小な知覚があることで、他の全てのモナドを自らの内に表出する無限の知覚作用を考えることができる。モナドは世界の全てを判明に認識することはできないにせよ、それは曖昧で混雑した像として一つのモナドの中に与えられているのである。ベンヤミンにとってモナド論の一つの意義は、カントにおける感性と悟性の二元論的な認識の区分には収まらない無意識的な知覚に注意を喚起したことにあると言えるだろう。

後期ベンヤミンの著作は、認識批判序章で示されたモナド論解釈に呼応するかのように、無意識的な知覚と記憶に焦点を合わせていく。そうした後期の著作を視野に入れながら、カント論からロマン主義論、ゲーテ論を経て悲劇論へと至る前期の諸々の著作を、ベンヤミンによる一貫した認識論への取り組みとして検討することが今後の研究の主な課題となるだろう。ベンヤミンが主に参照するフィヒテ、シュレーゲル、ゲーテといった思想家達が、カント以後の形而上学的思考の可能性という問題に直面した際、ライプニッツに少なからぬ関心を寄せたのは偶然ではない。ベンヤミンの思考もまた同じ問題意識の下に形成されていったのである。

茅野大樹(東京大学、フランクフルト大学)