第7回大会報告 パネル7

パネル7:プラクシスとしての現代芸術――美学と政治のキアスムをめぐって|報告:古川真宏

2012年7月8日(日) 16:30-18:30
東京大学駒場キャンパス18号館コラボレーションルーム3

プラクシスとしての現代芸術――美学と政治のキアスムをめぐって

「生の美学」における身体性――「身ぶり」の観点から
武田宙也(京都造形芸術大学)

「Con-temp-l’azione 観想=行動」――アルテ・ポーヴェラによる「プラクシス」についての一考察
池野絢子(日本学術振興会)

アパートと郊外――ソヴィエトにおける「アンダーグラウンド」芸術の実践
河村彩(早稲田大学)

【コメンテーター】金井直(信州大学)
【司会】鯖江秀樹(立命館大学)

「プラクシスとしての現代芸術——美学と政治のキアスムをめぐって」と題されたこのパネルでは、1960-70年代の芸術における顕著な動向として、「もの」としての自律的な芸術作品から、芸術をめぐる「実践」の方に関心が移っていったことに焦点が当てられた。本パネルではこのような事態を「ポイエーシス(生産物)」から「プラクシス(実践)」への転換と呼び、「実践としての芸術」に先駆的に現れている主体間の関係性や政治性といった、現代の芸術にも通ずる問題が美学的、美術史的に考察された。

武田宙也氏の発表は、「プラクシスとしての現代芸術」に対して美学的観点から理論的な枠組みを与えるものであった。武田氏は、フーコーの「生存の美学」で述べられる、芸術作品として自己が形成されていくプロセスを、「身ぶり」の観点から敷衍させ、様々な身体実践を自己形成の構成要素とみなす「生の美学」へと接続させることで、「身ぶり」という実践の積み重ねによって成立する生産物としての主体を浮かび上がらせた。「身ぶり」の観点から見た場合、自己形成のプロセスには自己以外の要素が抜き差しならない形で入り込んでおり、「芸術作品としての生」は「作者なき芸術作品」として捉え直される。さらに武田氏はフーコーの「ヒュポムネーマタ」論に触れながら「言表」と「身ぶり」の非人称的な類似性を示唆し、「作品としての生」の作者とは根源的に非人称的な性質をもったユニットとしての身ぶりであると結論づけた。

続いて池野絢子氏の発表は、60年代のイタリアで展開されたアルテ・ポーヴェラ(貧しい芸術)の芸術的実践と批評を「行動」のテーゼのもとに分析するものであった。この芸術運動のごく初期に催された「com-temp-l’azione観想=行動」という展覧会名が示しているように、アルテ・ポーヴェラには現実に働きかける「実践」を強調する含意が当初からあった。だが、作品の意味内容の乏しさを意味していた「貧しさ」という語は、やがて資本主義的「豊かさ」との対比において捉えられ、芸術の商品化を拒絶する政治的意味合いを帯びてくるようになった。その結果、批評言説の次元では「もの」ではなく「行動」こそが最も「貧しい」芸術とされるようになったのだという。こうした「行動」を通じて共同体に働きかけるアルテ・ポーヴェラのイデオロギーが明示されながらもその矛盾もが露呈した例として、池野氏は1968年のアマルフィの展覧会をあげ、ミケランジェロ・ピストレットの路上パフォーマンスでは、観客に働きかける芸術家の主体と客体とが入れ替わるような事態が発生しているばかりか、「行動」の次元に移行していない作品においても、芸術家という主体の意志に還元され得ない要素が決定的に作用していることを指摘した。

三人目の発表者、河村彩氏は、1960-80年代のソヴィエトにおいて公式に認められていた社会主義リアリズム以外の様々な非公式芸術を、生との紐帯としての意味を持つ「プラクシス」を体現しているものとして検討していくものであった。70年代に展開されたモスクワ・コンセプチュアリズムは、西側のコンセプチュアリズムとは異なり、匿名の日常生活をテーマとした「空虚としてのフィクション性」に特徴づけられ、生に対する批評的な眼差しがそこに反映されているのだという。このコンセプチュアリズムの中でも、参加者の行為や対話を作品の構成要素として招き入れる「集団行為」グループや、80年代の「アプト(アパート)・アート」においては、展示・上演される場自体に意識が向けられていたことが指摘された。このようなフィクション性と場の問題系の延長として、「生と芸術にしたがった芸術の本質についての研究」をテーマとした「トタルト」(トータル・アート)やカバコフの「トータル・インスタレーション」が分析された。

会場からの質疑応答の後、司会の鯖江秀樹氏は三者を貫くキーワードとして「身ぶり」を挙げながらも、それぞれの「身ぶり」の微妙な違いに注意を促した。主体という観点からそれぞれの「身ぶり」を見た場合、武田発表では「gesto身ぶり」という内への作用、池野氏の文脈では「azione行動」という外への作用、河村氏の場合においては、日常に肉薄したフィクショナルな身ぶりとしての空虚な主体が問題とされていたことを指摘した。

こうした議論を踏まえつつ、コメンテーターの金井直氏からは、60-70年代の芸術における身ぶりの強調が、90年代のリレーショナル・アートや現在のポスト・インスタレーションとどのように一線を画し、また影響を与えたのかという問いが発表者に対して投げかけられた。これに対し武田氏は、「パフォーマンスの回帰」と題された『ボザール・マガジン』の特集記事(2010年)に触れながら、パフォーマンスの絶頂期である70年代とは異なり、現代の場合はアーティストの側からの介入が抑制される傾向があることを指摘した。これを受けつつ池野氏は、60-70年代から既に作品をめぐる人々の間の関係性が問題とされていたが、近年のリレーショナル・アートという枠組みは関係性の質や種類を問わない雑多なものを含み得る概念に留まっているのではないかと応答した。河村氏もこれに同意しながら60-70年代の場合にはパフォーマンスに対する恣意的な操作が極限にまで抑えられ、芸術として成立するかどうかが場の可能性に賭けられていた印象があると述べた。これらの応答を受け、金井氏は60-70年代の芸術には身ぶりが表象へと即座に流れ込むのを食い止める場が存在していたことを認めつつも、やはり「ポイエーシス」と「プラクシス」の間には「テオリア(観想)」という一種の裂け目が存在し、それが今の現代芸術との触れ合い方においても問題とされる点ではないかと締めくくった。

もう少し時代を遡って考えてみると、20世紀が芸術的な生産品によって生活空間を彩り、生を芸術へと近づけようとするアールヌーヴォーに始まったとするならば、60-70年代の芸術は、作品ではなく制作行為自体を疑問に付すことにより、逆に芸術を生へと近づける試みであったと言えるだろう。そこでは、爛熟した文化の物質的豊かさに生を吹き込もうとする20世紀初頭の野望はもはや見る影もなく、手仕事の成果としての作品の物神性は影を潜め、即物的な「もの」そのものや「行為」それ自体が主題とされるようになる。確かにアルテ・ポーヴェラやソヴィエトの非公式芸術は、60年代の芸術の動向を語る際にしばしば取りあげられるコンセプチュアル・アートのような華やかなメインストリームのアートシーンではない。しかし、伝統的な意味での芸術的契機の「貧しさ」においてこそ、「行為」としての芸術の極みが純粋な形で垣間見えていたような印象を受けた。

それぞれの発表における具体的な「政治的なもの」については時間の都合から議論が深められなかった。今後の機会を俟ちたい。

古川真宏(京都大学/日本学術振興会)

【パネル概要】

近年、現代芸術の世界において、鑑賞者の積極的な参加へと開かれた相互作用的(インタラクティヴ)な作品が流行をみせている。これらの作品をめぐる一連の議論は、いずれも「関係性」というキーワードを通じて、芸術に対するわれわれの生の関与を前景化していると言えるだろう。しかし、仮にこうした状況を、芸術にかかわる主体の「実践」という観点から考察するならば、それはけっして新しいものではないことがわかる。

イタリアの哲学者マリオ・ペルニオーラは、とりわけ20世紀の前衛芸術において、生産物としての芸術作品以上に、むしろ芸術活動自体に優位性が移っていったことを指摘している。本パネルでは、このような事態を「ポイエーシス(制作)」の次元から、「プラクシス(実践)」への転換として捉えたい。そこで問題になるのは、芸術制作における作者の「身ぶり」や「行動」であり、そして、そこにかかわる諸主体の関係性のダイナミズムである。

このように芸術を、それに関わる、あるいはその条件となる生の様態から出発して考察するならば、それは必然的にさまざまな主体間の社会的実践を含む、いわば広義の「政治的なもの」へと送り返すことになるだろう。本パネルは、以上のような観点から、現代芸術における「プラクシス」の様々な様相を、美学と政治が分化する以前の地点から明らかにしようと試みるものである。(パネル構成:池野絢子)

【発表概要】

「生の美学」における身体性――「身ぶり」の観点から
武田宙也(京都造形芸術大学)

マリオ・ペルニオーラやピエトロ・モンターニといった美学者たちが強調するように、現代の美学においては、「生」というトポスにますます重要な意味が与えられるようになってきている。実際ペルニオーラは、とりわけ20世紀以降の美学の中に「生の美学」とでもいうべき潮流を見出し、その意義を仔細に検討しているし、一方でモンターニは、現代の技術の問題を参照しつつ、美学というカテゴリーをいわゆる「生政治」の賭け金として提示する。

こうした文脈を背景としたとき、たとえばミシェル・フーコーが晩年に取り組んだ「生存の美学」、すなわち日常的な行為の積み重ねによって、みずからの生を素材として、作品としての自己をつくりあげていくような生のあり方もまた、その重要な参照点のひとつとして浮かび上がってくるだろう。

「生存の美学」においては、身体実践が自己の形成の構成要素とされているが、そこで日常的な身体実践と「生存の美学」との関係は、具体的にはどのように理解することができるだろうか。言い換えるならば、それらの実践をエステティックといいうるのは、いかなる意味においてなのだろうか。発表では、こうした問いから出発しつつ、芸術と生の間という問題について、「身ぶり」の観点からせまりたい。


「Con-temp-l’azione 観想=行動」――アルテ・ポーヴェラによる「プラクシス」についての一考察
池野絢子(日本学術振興会)

インスタレーションからパフォーマンス、メディア・アートなど、多角化する現代芸術の状況にとって、1960年代末の造形芸術において生じた変化が歴史的に重要な転換点となったことは言を俟たない。とはいえ、芸術の「脱物質化」と称されるこの現象は、作品の概念化や用いる媒体・手法の拡張に留まるものではなく、作品・作者・観者の関係性自体をも大きく変容させたように思われる。

その変容が孕む美学的にして政治的な射程を、本発表ではイタリアの芸術運動アルテ・ポーヴェラ(貧しい芸術)のうちに探りたい。アルテ・ポーヴェラは、しばしば日常的で粗末な「もの」を用いる芸術として理解されてきた。実際、彼らは産業廃材などの「もの」に、「豊かな社会」の枠組を逸脱する新しい可能性を見いだしたのだが、その一方で、当時の前衛芸術一般に共通する、概念化や行為への強い志向を示してもいた。一見して矛盾するようにも見える彼らの制作において、むしろ問題になるのは、「もの」自体さえも制作のプロセスや行動の一部であるかぎりにおいてはじめて意味をもつような、実践=プラクシスの次元ではなかっただろうか。

本発表では、多岐にわたる彼らの作品を「行動〔azione〕」の側面から解釈し、そこに賭けられた、芸術と生の境界の撤廃やさまざまな主体の参与をめぐる力学を浮き彫りにする。それにより、60年代末の芸術の変化が孕む、美学的・政治的位相の一端を明らかにすることを試みたい。


アパートと郊外――ソヴィエトにおける「アンダーグラウンド」芸術の実践
河村彩(早稲田大学)

1930年代以降ソヴィエトでは社会主義リアリズムが唯一の公式な芸術の様式とされ、芸術家たちは芸術家協会と検閲を通して、作品の内容のみならず材料や発表の場をも国家から管理されていた。1953年のスターリンの死は芸術家たちにも一時的な自由をもたらし、ポロックなどの西欧絵画とアヴァンギャルドの影響を受けた実験的な絵画が制作されるようになる。しかし、1962年にフルシチョフがこれらの芸術家たちを反ソヴィエト的と批判すると、彼らは活動の場を完全に「アンダーグラウンド」に移行し、逆に非公式芸術活動が開花する結果となった。

ギャラリーや美術館などの展示の場を持たない彼らは、仲間の芸術家や比較的自由に行動できた外国人などの親しい友人を招待して、自分のアパートで作品を公開し、郊外でパフォーマンスを行った。彼らは正規の芸術制度から排除されたことにより、自然を場とした制作(「運動」グループとインファンテ)、パフォーマンスおよびアクション(「集団行為」グループ)、言葉とコミュニケーション行為(「医療解釈」グループ)、タイプされたテキストや手描きイラスト、ブリコラージュ的インスタレーションといった身近な素材の使用(カバコフ)など、多様な表現へと向かうこととなった。

本発表では1970年代から90年代のソヴィエトの「アンダーグラウンド」を考察し、公的な芸術領域から排除されることによって、これらの芸術活動が日常的な行為や生活実践に接近する様相を明らかにする。