7月6日(日)16:30-18:30
駒場キャンパス18号館4Fコラボレーションルーム2

・京極夏彦『魍魎の匣』を開く/奥村大介(慶応義塾大学)
・京極夏彦『魍魎の匣』で描かれる科学者の哀しさ――『ルー=ガルー2』との比較から/西貝怜(白百合女子大学)
・京極夏彦『魍魎の匣』における「少女」表象――人形と匣をめぐる欲望の関係性/鈴木真吾(学習院大学)
【コメンテーター】西原志保
【司会】金森修(東京大学)


パネル概要

京極夏彦の小説は、探偵=推理小説に妖怪という伝奇的要素を融合させた作品として知られる。それゆえ先行研究は、これを怪奇幻想の観点から論じるものが多かった。そこで本パネルでは、長篇『魍魎の匣』(1995年)を〈匣〉〈科学者〉〈少女〉という三つの観点から論じる。
1 京極夏彦はデビュー作『姑獲鳥の夏』以来、閉鎖空間のなかで怪事が起こるという推理小説の〈密室〉テーマを踏襲している。『魍魎の匣』の場合、〈密室〉は〈匣〉という特異なイメージに変奏されている。そして、そこで科学や性愛の欲望が展開するという体裁になっている。その意味で、この物語は空間論的に読み解くことができる。
2 京極作品において科学が重要なモチーフとなるということは看過されがちである。本作は、科学者が主要人物として描かれている点で、同様の科学表象が見られる『ルー=ガルー』共々、科学論的な視点で分析することが有効である。
3 本作を第二作とする京極の「百鬼夜行」シリーズは、一貫して作中人物たちの欲望の交錯を物語の駆動因としている。またその場合、多形倒錯的なセクシュアリティの横溢に特徴があるといえる。本作では人形愛と少女愛が中心モチーフとなっているので、クィア論的な読解をすることが可能である。
本パネルでは、複雑な〈入れ子状の匣〉ともいえるこの物語を多角的に読解するのみならず、現代における科学者の姿、科学の空間、そこに去来する科学の欲望も明らかにすることを目指す。そうすることで〈科学文化論〉とでも呼びうる、新たな切り口を提示したい。

京極夏彦『魍魎の匣』を開く/奥村大介(慶応義塾大学)

複数の事件がハコの内と外で起こり、それらはハコを介して互いに関わりあっている。数々のハコが現れる『魍魎の匣』(1995年)にあって、それらのハコは大きさも素材もさまざまである。さらには、テクスト自体もハコ状に構造化されている。それらのハコ――箱、筥、匣――は、それぞれどのような背景をもち、どのように物語を形成しているのか。本発表では、まず作中の空間=物体としてのハコのイマージュを整理・分類し、ハコの機能を明らかにする。そこでは、ハコの形状・大きさ・素材などの物質的様態、ハコを開ける/閉じる、ハコに入る/入れる、ハコから出る/出す、ハコのなかを見る/ハコのなかから見る、ハコを作る/壊すといった行為に注目したテマティックな蒐集が行なわれると同時に、テクストの構造が分析される。そして、さまざまなハコとそれに関わる行為について、テクストの外に視点を移し、広く文化史のなかに類似の形象を探りつつ、その表象論的な検討を実践する。そこでは例えば乗物、寝台、病院、実験室、工房、祭壇、棺、標本箱といったハコ、さらにギリシャ神話からジョゼフ・コーネル(Joseph Cornell, 1903–1972)にいたるまでの、さまざまな表象形態の芸術が参照される。よって、本研究は並行的な次の二つの作業からなる。まずは『魍魎の匣』におけるハコの役割を明らかにすること。ついで、ハコ状の空間=物体がもつ文化史的な意味を広く検討することである。


京極夏彦『魍魎の匣』で描かれる科学者の哀しさ――『ルー=ガルー2』との比較から/西貝怜(白百合女子大学)

京極夏彦『魍魎の匣』における美馬坂幸四郎は、近親相姦という問題を乗り越え、娘・柚木陽子と結ばれるために〈匣〉の研究を続けていた。美馬坂同様に個人的な欲望に忠実な人間として久保竣公も挙げうるが、久保は死すべき存在として描かれていた。その一方で久保に首を噛まれて死亡する美馬坂は、「…この人は、死なせたくなかったのだが」と中禅寺秋彦によって語られるように、死ぬべきではなかった存在として描かれている。このような差異が描かれる一つの要因として、美馬坂が科学者であるという点が挙げられよう。
京極夏彦『ルー=ガルー2』でも『魍魎の匣』と同様に、作倉遼が「遺伝子改造」の研究を進めることで、妹である作倉雛子と近親相姦という禁忌に触れずに結ばれようとする描写が見られる。しかし、作倉遼は美馬坂とは異なり、妹によって殺されるべき存在として描かれている。この差異は、作倉遼と美馬坂の恋愛関係の違いだけでなく、中村佳子『科学者が人間であること』(2013年)が現代で改めて主張した点、すなわち両者における人間としての科学者の性質(研究姿勢や社会的態度など)の違いにも起因する。
そこで本発表では、まず科学者の性質や思いという視点から『魍魎の匣』と『ルー=ガルー2』を比較検討する。その上で、何故〈匣〉を研究する美馬坂が死すべきではない哀しき科学者として描かれたのか、その理由を考察してみたい。


京極夏彦『魍魎の匣』における「少女」表象――人形と匣をめぐる欲望の関係性/鈴木真吾(学習院大学)

本発表では、『魍魎の匣』の冒頭に登場する、〈匣〉の中に詰められた「(少女)人形」を媒介に、〈匣〉の中身を羨ましく感じる男と〈匣〉を所有する男の間に構築される欲望の関係性、〈匣〉と「(少女)人形」を結び付ける接点としての科学(者)表象を分析する。
『魍魎の匣』においては、少女を人形のように愛する(女性)人形師が登場するなど、欲望を誘発する装置としての人形と、それを収納する〈匣〉が重要なモチーフにされている。 人形を介して生み出される欲望は、『フランケンシュタイン』や『未来のイヴ』に見られる人形の人間化や、本作に見られる人間の人形化(いずれも男性によって科学技術が用いられる)などがあり、〈匣〉は何かを出し入れする機能を持ち、隠された存在を覗き見たいという欲望を刺激する。 
『魍魎の匣』の冒頭場面に登場する人形は「少女」であり、2人の男が対置されることで「欲望の三角形」が形成されるが、人形によって誘発される欲望には、人間を人形にする/人形を人間にする/自身が人形になるなどの多様性がある。科学と〈匣〉がそのような欲望と絡み合う本作における特徴のひとつに、多形倒錯的なセクシュアリティの充満があげられる。本発表では、横溢するセクシュアリティの一側面を分析する手段として、人形愛と少女愛というモチーフのクィア論的に読解し、三角形を異なる図式へと変形せしめる可能性を上記の2つの発表を踏まえて検討したい。