日時:2012年11月10日(土)
場所:東京大学駒場キャンパス18号館4階コラボレーションルーム
午後1 13:30-15:30

・積島直人(青山学院大学)「「ハウり」と「ドモり」——1990年代後半日本のヴォイスパフォーマンスにおける「口語性」の問題」
・藤田瑞穂(京都芸術センター)「まなざしの行方──イリヤ・カバコフ作品における空間と枠の問題を中心に」
・井上康彦(東京藝術大学)「写真における「女」の表象——シンディ・シャーマンUntitled Film Still について」
司会:平倉圭(横浜国立大学)

積島直人(青山学院大学)「「ハウり」と「ドモり」——1990年代後半日本のヴォイスパフォーマンスにおける「口語性」の問題」

音楽の演奏行為において、基本的な指標の一つとしてサウンド/グルーヴという対立項を導きだすことができる。「声」によることばの音楽的演奏行為の場合、それは一つには発語そのものの質感、そしてもう一つには言葉の流れという双極的な指標となるだろう。ここでそれらの最も端的な例として、発表者が特に注目したいのは、前者に関してはノイズ/ヴォイスパフォーマー吉田アミ、後者に関してはヒップホップグループTHA BLUE HERBのラッパーBOSS THE MCである。両者はそれぞれ異なる領域から1990年代後半に日本の音楽シーンに登場した。吉田アミの「ハウリング・ヴォイス」と呼ばれる「声」は意味や記号性がはぎ取られ、BOSS THE MCの「声」が持つ「フロウ」と呼ばれる流れは、朗読と歌唱の間を縫うように言葉を吃音化させてゆく。しかしそれらはどちらも西洋の近代以降の、いわゆる「クラシック音楽」の音楽的音声表現の否定形ではなく、また”Sprechgesang”のような音楽的音声表現の拡張形とも異なる、本来的な言語的音声表現に依拠していると考えるべきだろう。文字通り「口」から「語」られる「口語的」な発声の構造が音楽的な構造にとってかわっているということである。本発表では、吉田アミの「ハウり」とBOSS THE MCの「ドモり」を「口語音楽」という観点から、同時代に展開されていた平田オリザの「現代口語演劇」論も視野に入れつつ検討する。それを通じて、1990年代後半に日本に生じたボーカルパフォーマンスのパラダイムシフトという問題を考察してみたい。

藤田瑞穂(京都芸術センター)「まなざしの行方──イリヤ・カバコフ作品における空間と枠の問題を中心に」

イリヤ・カバコフ作品において、重要なモチーフの一つに「枠」がある。その作家活動の初期によく制作していた〈アルバム〉というスタイルの作品群では、白い画面を縁取るように描くという構成が多用されている。カバコフによると、枠によって白い画面を区切ることで「空間の端を示す」のだという。ソビエトを出て欧米で作品を発表しはじめた彼は、〈トータル・インスタレーション〉と呼ばれるインスタレーション形式の作品に制作スタイルを変化させたが、平面から空間へと飛び出した後も、「枠」のモチーフは依然として存在し続ける。例えば、越後妻有トリエンナーレ2000に出品され、以後その地にあり続け、芸術祭のアイコンともなっている『棚田』では、果てしなく広がる光景が枠で区切られている。テクストが取り付けられた枠の中に見える空間の中にはオブジェが設置され、ある一点からその全体を眺めると、オブジェとテクストが結びつき、田園風景はたちまち物語性を帯びるのである。本発表では、カバコフ作品に仕掛けられた「枠」というモチーフが、区切られた空間にどのように作用していくのかについて考察する。また、「空間の端を示す」ことで「枠」の中に引き込まれていく鑑賞者のまなざしをてがかりに、「見つめる」という行為がカバコフ作品の中で果たす役割について検討したい。

井上康彦(東京藝術大学)「写真における「女」の表象——シンディ・シャーマンUntitled Film Still について」

本発表では、シンディ・シャーマンのUntitled Film Stillを分析する。シャーマンのデビュー作であるUntitled Film Stillシリーズは、シミュレーショニズムとフェミニズムの文脈において「メディアに媒介された「女」のイメージを批判的に再現し男性中心的なメディアの構造を暴き出した作品」と説明されるのが定番だが、詳細なディスクリプションによって具体的に分析されることは稀である。本発表では「撮影法」、「眼差し」、「身振り」の三つの観点から、シャーマンが作品に何を仕掛け、いかなる構造を明らかにしているのかを、視覚的なレヴェルで提示する。分析の手順としては、1)「撮影法」については、ロザリンド・クラウスが「シンディ・シャーマン――無題」(1993)で分析した《#2》、《#39》、《#81》における粗い画質、被写界深度、アングル2)「眼差し」については、ローラ・マルヴィが「視覚的快楽と物語映画」(1975)のなかで論じた映画的窃視の構造と映画内部と映画鑑賞における非対称なジェンダー区分、3)「身振り」については、アーヴィン・ゴッフマンが『ジェンダー・アドヴァータイズメント』(1979)において図式化した、広告写真における「女」の身振りのステレオタイプをそれぞれ参照項とする。そして本発表は、Film Stillを写真、映画、広告の要素を包摂した特異なメディウムの形態として位置づけ、シャーマンがそこに投影したアメリカの「女」の表象を明らかにする。