第2回大会報告 パネル2

7月1日(日) 9:30-11:30 18号館4階コラボレーションルーム2

パネル2:受容としての「日本思想」〔思想篇〕

本能の諸相――大杉栄の「生の哲学」再考/星野太(東京大学・院)
「この」現実の現実性を――九鬼周造の〈パッション〉/三河隆之(東京大学・院)
絶対無の詩学――マラルメを読む田辺元/坂口周輔(東京大学・院)

【コメンテイター】宮山昌治(学習院大学)
【司会】三河隆之


本パネル冒頭で,司会の三河隆之氏から、「日本」を原理主義的に捉える立場への違和感と、「外」からの出会いのインパクトを捉えたいという当座の合意から発足した研究会の中間報告として、午後の〔芸術篇〕とともに成果を発表する旨が説明された。


星野太氏は大杉栄(1885-1923)における「生の哲学」をモチーフに,社会主義運動に携わったジョルジュ・ソレルを経由して大杉に流れ込むアンリ・ベルクソン、中でも第一・第三主著の影響を述べた。大杉は共同体を重視し個人を軽視する従来の社会主義の傾向を批判し、自我の拡張を非人称的な「力学」の概念で正当化した。しかし本能を知性で方向づけるなどの議論にみるとおり、大杉の「本能」という語の多義性には、「生命」を紐帯とする共同体内での「生の拡充」という自我論上の目標と、運動として不可避の「知性」を本位とする「社会」組織という要請との二重性がみられるという。個人と「生全体」を無媒介に連結する議論の背後にある「本能」概念の揺らぎは、従来の「本能一元論」「観念論的」などいずれも否定的だった大杉評価の再検討を迫る。

星野 太


坂口周輔氏は田辺元(1885-1962)が晩年に至る10年のスパンで2度、フランス象徴詩、特にポール・ヴァレリーとステファヌ・マラルメを論じたことを取り上げた。ヴァレリーの創造論や「象徴」概念の解釈、またヴァレリーのマラルメ評価の解説などにおいて、田辺は「無」を媒介とした転換というモデルを適用し、またこれら詩人がこうしたモデルの根底にあるべき弁証法的自覚を欠いている点を「懺悔道」という「宗教性の不在」として批判した。しかしその10年後田辺は、偶然に直面した不安と、そこでの自己の死を通した復活とから、主体性を他者のうちに実現する「絶対無の永遠」をマラルメのうちに読み取り、「菩薩道」と名付けた。この「菩薩道」が「読む」行為に内在している、との坂口氏の読みは我々が日々行っている行為にも該当するといえよう。

坂口 周輔


三河隆之氏は九鬼周造(1888-1941)において著書の表題と違うところに議論の動機=〈パッション〉がある点を、『偶然性の問題』とその周辺のテクストから例証した。九鬼の論述は洋の東西を問わぬ例の引用によって繁雑を極めるが、三河氏は九鬼のパッションを根拠なき命法の突如の出現に看取する。すなわち、偶然の現象に向けられる「なぜ」へ、理論とは別に実践における回答として挙げられた「遇うて空しく過る勿れ」、あるいはニーチェなら循環的に反復する時間に凝集や再強化といった効果を認めただろうシジフォスに、「不満足を永遠に繰り返すことができるのであるから幸福でなければならない」とした断定的な論述から、別様にもあり得るにも関わらず厳然と存在する「この」現実を「これ」としていかに肯定するかが九鬼の課題だった、とする。

三河 隆之


コメンテータの宮山昌治氏からは、大杉の「自我」が孤立的な性格と、社会的「生命」への無媒介な従属という二重性を持ち、特に後者はマルキシズムとの関連から個人と運動と社会という諸概念の位置づけが問題になる点、田辺がヴァレリー読解において普遍的精神を代表した個人的精神が呼びかけるとした他の個人的精神と、マラルメ読解における「菩薩道」モデルにおける他者との異同について、また九鬼の音韻論にみられるような民族的資質と普遍性とを同時に主張する二重性が、『偶然性』においては神に触れない論述に現れているのではないかという指摘、以上三点が提出された。大杉においては個と集団の媒介が想定されず、その点でベルクソンに対してなされた中間項を立てないで済むのかという批判を大杉にも適用できる旨、田辺のヴァレリー読解において不分明だった「他者」性が「菩薩道」においては明確化する点で両者には違いがある旨の回答があったが、九鬼においては超越の扱いが問題含みだと認められながらも、明確な回答は控えられた。

宮山 昌治


会場からの、対象となった各論者が現代において核心的な問題を巧妙に躱しているのでは、という指摘に対して、田辺に関しては文字と余白の関係に見られる言語の物質性に言及していた点、大杉に関しては確かにベルクソンの第二主著を読んでいないと考えられる点、また九鬼に関しても確かに論述をリテラルに引き受けては現代での哲学的アクチュアリティに届かない面がある点がそれぞれ応答された。ついで限られた発表時間の中で用いられた用語や論旨の確認などが個々に行われ、パネルが終了した。期せずして対象となった三人の論者の生年がほぼ一致する事実は、現代の我々が「日本」を再考する上での一つの手掛かりを示唆するかも知れない。

天内大樹(東京大学・院)

パネル概要

ある文化現象の生起に主導的役割を果たすのは、自律自閉した思考主体による創意や地政学的コンテクストのみではない。にもかかわらず、日本的なるものをめぐる諸言説のうちにそうした自律性や地味等々の「本質」を求めようとする傾向は未だ根深く、それどころか、昨今そうした趨勢は露骨な増長をすらつづけていると言わざるをえない。こうした趨勢と慎重に距離を置きながらも「日本(的なるもの)」をめぐる問いを継続していくためには、断片化された歴史の痕跡や遺された言葉を丹念に辿り直す、特異的かつ発散的な「出来事」への地道な試みが必ずや要請されるはずである。

そこで本パネルにおいては、広義の「日本思想」なるものを、何らかの本質の謂いとしてではなく、むしろ他なるものとの邂逅、格闘、そして受容吸収、他方の曲解、誤解、忘却といった一連の流れに付された通り名のようなものとして仮設的に捉え、従来の日本思想史研究とは異なる視点の提供を目指したい。上述の理由から、本パネルでは積極的・統一的な収斂点は前提とせず、各発表によって結果的に形成されることになるかもしれない多焦点的な状況布置を、来聴者との議論も交えながら浮き彫りにできることを期待している。

【本パネルは、「受容としての「日本思想」〔芸術篇〕」と連携しており、2パネル1組として構想されたものです。】(パネル構成:星野太)

「本能の諸相――大杉栄の「生の哲学」再考」
星野太

本発表は、明治・大正期に活動した社会主義者である大杉栄(1885-1923)のテクストを哲学的に考察する試みである。従来、アナキストとしての実践的な活動に光が当てられることの多い大杉だが、他方で同時代の西洋哲学や社会理論を幅広く受容したその思想の射程は、いまだ十分に見極められているとは言いがたい。なかでも1912年以降に顕著になる「生の哲学」の受容は、思想史的に見ても検討を要する問題のひとつだろう。1900年代に平民社での活動を始めた大杉は、当初バクーニンやクロポトキンといったロシアのアナキストたちから主に影響を受けていた。しかし同時に大杉はソレルやベルクソンの著作に傾倒し、彼らの「生の哲学」をみずからの思想の核として取り入れはじめる。一見その内実は、「本能」という言葉を多用し、しばしばそれを知性に対立させている点で「生の哲学」を奉じる多くの論者たちと軌を同じくしているようにも見える。だが、実のところその思想は単なる「本能重視=知性軽視」という図式に収斂するものではない。こうした主旨を裏づけるために、本発表では「本能と創造」や「賭博本能論」といった1912年以降のテクストを主な考察の対象とし、そこに見られる「本能」という言葉の複雑な性格を詳らかにしていくことにする。そしてこの「生の哲学」の再考は、大杉の自我論・共同体論の射程を少なからず浮き彫りにすることになるだろう。

「「この」現実の現実性を――九鬼周造の〈パッション〉」
三河隆之

偶然性、音韻、情緒——九鬼周造が行なった哲学的文学的著作活動は、彼自身の言を借りれば「『この』現実の現実性」と呼ばれるような、ある出来事の相を把握することへの果てしない欲望、もしくは願いに貫かれていたと言える。この見解はすでに先行研究にも見られるものだが、それらの多くは、その要因を彼の遍歴や実存に求めながら、一種の“個人史”へと収斂させてしまうことで、九鬼の一連の仕事が提起しうる問いのポテンシャルを摑み損ねている。九鬼の仕事はむしろ、その活動の両輪をなし相互浸透し合っているようにみえる哲学と文学、西洋的思考と日本的性格等々の〈関係〉の問いへと大きく開いている点で、今日なお異彩を放っているのである。本論は、この問題点に迫る一歩として、九鬼が自らの根本問題についての思考を展開する際の方法の対象化を試みたい。換言すれば、西洋哲学の伝統を独特なしかたで受容吸収しつつも「日本的性格」への配慮を濃厚に織り込んでいる一連の偶然性論考、ならびに、あくまで「日本詩の」押韻その他を対象としながらその「世界性」と関係に着目せずにはいられなかった文学諸論考を主に扱いながら、その位相を提示すること、それが本論の目標である。

「絶対無の詩学――マラルメを読む田辺元」
坂口周輔

自然科学や数学への哲学的関心から己の仕事を出発させた田辺元(1885〜1962)は、西洋哲学、西田哲学との格闘を経て、最終的には芸術哲学あるいは詩の領域へと向かう。特にフランス象徴主義に注目した彼の研究は、『ヴァレリイの芸術哲学』(1951)そして最晩年に刊行された最後の著作となる『マラルメ覚書』(1961)へ結実することになる。ただこれらの著作において、哲学者が文学を分析する際に陥りがちな、文学の特質を哲学の範疇へとはめ込んでしまう傾向は否めず、その結果、これらが独自のヴァレリー論、マラルメ論として現在省みられることは少ない。また、これら文学を扱う田辺に関する先行研究もこれまでほとんどないといってよい。しかし、とりわけマラルメ論において、コーンやブランショといった当時の最新のマラルメ研究成果を踏まえ、それらを乗り越える形で自論を展開し、また、マラルメの詩を自ら訳すといった田辺の研究姿勢は、もう一度検討するに値するのではないだろうか。ゆえに、これらの著作を田辺哲学の一端として位置づけるだけでなく、田辺と同様「無」や「偶然性」にこだわったマラルメ(できればヴァレリーも)との対話を通して、田辺のテクストの新たな可能性を探ってゆきたい。その際、田辺と同じく実存哲学の見地からマラルメ作品を分析したサルトルのマラルメ論との比較も有効と考えられる。