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シンポジウム 蜂起/野戦攻城2017@駒場 「出来事」(として)の知

報告:田中純

日時:2017年7月29日(土)14時〜18時
場所:東京大学駒場キャンパス 18号館ホール

第1部 蜂起──The Humanities Are Rising Up(人文蹶起)
院生企画:
 G・ディディ=ユベルマン「蜂起(Soulèvements/Uprisings)」展を拡張する
 ・パフォーマンス「蜂起の風、あるいは残存するトラクト」
 ・パネル・プレゼンテーション

第2部 野戦攻城──藝能としての知
・桃山邑(水族館劇場)「藝能としての建築」
・田中純(東京大学)「(非)知の地震計たち」

総合討議 「出来事」(として)の知へ向けて
・コメンテイター:桑田光平(東京大学)、森元庸介(東京大学)


2017年7月29日、東京大学駒場キャンパスにて、シンポジウム「蜂起/野戦攻城2017@駒場──「出来事」(として)の知」が開催された(主催は東京大学表象文化論研究室)。これは、ジョルジュ・ディディ=ユベルマン企画による展覧会「蜂起(Soulèvements / Uprisings)」について考察してきた大学院ゼミ(表象文化論)の参加院生たちと担当教員(田中純)が、水族館劇場主宰・桃山邑氏をお迎えし、同劇団のモットーである「野戦攻城」、建築という藝能、藝能としての知、あるいは「出来事」(として)の表象文化論をめぐる討議のために企画したものである。

「蜂起──The Humanities Are Rising Up(人文蹶起)」と題された、院生のみによる第一部では、「蜂起」展のコンセプトを拡張することが試みられた。その冒頭を飾ったのが、三浦翔演出によるパフォーマンス「蜂起の風、あるいは残存するトラクト」である。そこでは、「蜂起」展で取り上げられた作品の映像を背景に、ディディ=ユベルマンのテクストが日本語で読み上げられるなか、三浦をはじめとする出演者たちがダンス・パフォーマンスを演じた。それは「蜂起」展のひとつの主題をなす「身振り」の潜勢力をみずからの身体で表現するものだった。

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「蜂起」展をめぐる大学院ゼミでは、同展覧会のエッセンスとそれを発展させた内容のパネル複数枚が共同で作成された。これはディディ=ユベルマンと田中が共通して理論的な参照対象としている、アビ・ヴァールブルクの『ムネモシュネ・アトラス』に倣った産物である。第一部後半では、これらのパネルが舞台上に展示され、田村正資と乙幡亮がそのコンセプトと図版の具体的構成を解説した。なお、このパネル群は、水族館劇場によるヨコハマトリエンナーレ2017関連企画として横浜寿町にて8〜9月に開催された「盗賊たちのるなぱあく」で展示された。

第二部「野戦攻城──藝能としての知」では、まず桃山氏が「藝能としての建築」と題された講演で、水族館劇場30年の歴史を振り返り、みずから芝居小屋を建立して上演を行なうこの劇団ならではの「藝能」の背景となる思想を縦横に語った。田中はこれを受けた講演「(非)知の地震計たち」で、先述のヴァールブルクほか、自身の身体性に根差した経験こそを知ないしその限界へと向けた思考の──激しく震動する「地震計」に似た──運動の源とした人びとを取り上げ、彼らに共通する「野戦攻城」の独学者性を論じ、水族館劇場とも関係の深い乾武俊『黒い翁』を参照して、「うそふく」「もどく」〈藝能的〉抵抗としての知のあり方を問題提起した。桑田光平と森元庸介(いずれも東京大学)をコメンテイターとし、第一部に出演した院生の代表者たちも交えた総合討議「「出来事」(として)の知へ向けて」については、知の身体性や一種の「藝能」としての現場性をめぐる議論が記憶に残る。

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このシンポジウムをはじめとして、昨夏、水族館劇場と切り結んださまざまな縁の総括は、同劇団の雑誌『FishBone』特別編集号「横浜寿町〈総集編〉」(3月下旬刊行予定)に、「孤独な熾火たちのために──「盗賊たちのるなぱあく」の名残」と題する小文として寄稿した。併せてご一読いただきたい。(文中、主催者側関係者の敬称は略した。)

(田中純)

広報委員長:横山太郎
広報委員:柿並良佑、白井史人、利根川由奈、原瑠璃彦、増田展大
デザイン:加藤賢策(ラボラトリーズ)・SETENV
2018年2月26日 発行