第12回大会報告

パネル11 萩原朔太郎の表象空間 ──その百年

報告:横山太郎

日時:2017年7月2日(日)16:30-19:00
場所:前橋市中央公民館5階501学習室

・『月に吠える』と戦争──日露戦後/世界戦争期文学としての『月に吠える』
安智史(愛知大学短期大学部)
・萩原朔太郎の〈天上〉志向──〈光〉〈闇〉そして〈影〉
勝原晴希(駒澤大学)
・「青猫・以後」と郷愁──「のすたるぢや」の歴史性
熊谷謙介(神奈川大学)
・文化としての〈手品〉と萩原朔太郎の詩学
栗原飛宇馬(萩原朔太郎研究会)

【コメンテーター】田中純(東京大学)
【司会】松浦寿輝(東京大学名誉教授)


本大会がひらかれた前橋は、日本近代詩を代表する詩人・萩原朔太郎の故郷である。1964年、この地に萩原朔太郎研究会が設立された。以来、息長く研究・普及活動が続けられている。同会は現在、前橋文学館を拠点とし、特に今年は第一詩集『月に吠える』刊行100周年を記念してさまざまな企画を精力的に展開している。このような年に前橋で本学会が開催され、しかも以前本学会の会長を務めた松浦寿輝氏がこの研究会の現会長であるという縁から、本パネルは企画された。

このパネルにおいて萩原朔太郎は、根源的な意味で近代に対峙した人物として捉えられる。口語自由詩という、近代日本語の表象空間のなかの特権的一領域を確立しただけでなく──あるいはそれゆえ──近代性そのもののうちにある反近代の契機や暴力性、あるいは魔術性といったものと向き合い続けた人物として。そのような朔太郎を論じるのに、本学会と萩原朔太郎研究会とが交差した本パネルは、まことにふさわしい場であったといえるだろう。萩原朔太郎研究会からは、司会の松浦氏のほか、安智史、勝原晴希、栗原飛宇馬の各氏が発表者として参加した。さらに1名の発表者は熊谷謙介氏が、コメンテーターは田中純氏がつとめた。

安氏は、朔太郎にとっての暴力の両義性を論じた。安氏によれば、銃殺されること、電気によって殺されること、戦場で四肢切断された肉塊となることといった、近代戦争とナショナリズムの時代にあらわになる暴力のイメージが、朔太郎にとっては強迫的な恐怖の対象であり、同時に自らの身体を解放する魅惑でもあった。このような視点から、ドイツという国家へ寄せた彼の奇妙な共感のありかも分析され、孤立して世界に対峙しながら毀損し消耗していくタナトスに満ちた国家に自らの身体像を重ねる朔太郎の姿が浮かびあがった。

勝原氏は、室生犀星らの影響を受けるようになった大正3〜4年という、朔太郎にとって重要な時期における「光」の表象(またそこからの退却)の検討を通じて、この時期に詩的対象への朔太郎の願望が過激な強度を獲得したと論じる。こうした強度のよってきたるところを、勝原氏は朔太郎の「身体としての精神」と呼ぶ。血を流す詩を書くことがそのまま精神が血を流す実践であるような、それ自体実在性をもち、世界の実在へ触れる精神である。朔太郎にとってこうした精神の消失は死を意味した。そしてそれが、この時期の朔太郎の影響を強く受けた原口統三のような後続の詩人に現実の死をもたらしたものと同根であることを、勝原氏は示唆した。

熊谷氏は「青猫以後」詩群を中心に、朔太郎の「郷愁」を論じた。それは実在した過去や本来性への回帰という、通常の意味でのそれと異なっている。朔太郎の郷愁の向かう先では、時間が静止し、場所もわからない。もっともそれはどこにもないユートピアとも違う。『定本 青猫』の挿絵の分析から示されるとおり、それはどこにでもある類型的風景のシミュラークルであるようなイメージである。熊谷氏は、こうした「イメージに対する郷愁」の観点から、朔太郎におけるプラトニズム、知覚体験、戦争、日本への回帰といった諸問題に新たな光をあててみせた。

栗原氏はまず、マジックの実演(スプーン曲げ)から朔太郎と手品について語り起こすという、まことに本学会らしいパフォーマンスを披露した(拍手と歓声と笑い声)。栗原氏は従来の朔太郎研究で「ただの趣味」扱いされてきた手品の意味の再評価を試みた。氏は、朔太郎が愛好した手品の構造が、彼にとっての神秘的体験の構造とパラレルであると論じる。手品には種と仕掛けがあることがわかっている。にもかかわらず、その驚異と楽しさはリアルだ。「猫町」などに見られる、神秘体験も同様だ。それは幻覚や錯覚に過ぎないと自覚される。にもかかわらず、否定し得ない経験の記憶がリアルに残る。これは敷衍して言えば、朔太郎における「経験の実在性の構造」であろう。栗原氏も、それが熊谷氏の扱った「郷愁」の構造に通じると述べていた。

以上の発表に対して、田中氏は、それぞれが研究発表に匹敵する充実したコメントをもって応じた。控えめに言っても会場中の度肝を抜いたように思う。田中氏は、個々の発表に単にコメントするだけでなく、それぞれの問題系を拡張することで一つに繋ぐというかたちで応答した。

田中氏は、安氏には、詩そのものの暴力の問題を、勝原氏には、実在性の裏返りと光の内実の問題を、熊谷氏には、近代批判の方法としてのノスタルジアの可能性を、栗原氏には、指の不器用さが生みだすズレの問題を、それぞれ提起した。これらのコメントを貫いていたのは、特にベンヤミンを朔太郎に対峙させ、両者の近代性(批判)の経験に共通するものを問うこと。もう一つ、朔太郎の青色のモチーフにこだわってみせることだ。

その全てを伏線にして、最後に田中氏は、自らもマジックのパフォーマンスをすることで発表全体への総括的応答をしてみせた。すなわち、聴衆に青と黄色に着色した『定本 青猫』の猫のイラストを30秒見せたうえで、その後の白いスライドに青の補色を「見せた」のだ。ここで田中氏が提起したのは、朔太郎の「青」とは、近代的経験の補色ではないのかという見方だ。つまり、青という色彩によって語られる朔太郎の「経験」とは、存在しないけれども経験される補色的残像としての経験である。ベンヤミンがベルクソンの哲学について言うように、それこそが近代がもたらし、またそれへの抵抗の拠り所となるような経験なのではなかったか。この田中氏による「問いの拡張」は、見事に本パネルの4人の発表を繋いで締めくくることに成功していたと思う。

横山太郎(跡見学園女子大学)


パネル概要

本年は、前橋出身の詩人であり「ボードレールの名に象徴される「モデルニテ」の、日本でのもっとも早い体現者の一人」(坂部恵『モデルニテ・バロック』)となった萩原朔太郎(1886~1942)の第一詩集『月に吠える』刊行百年にあたる。『月に吠える』を起点としつつ、ジャンル横断的に生成した朔太郎の表象空間の、世紀を超える強度を再検討したい。

朔太郎はしばしば“口語自由詩の完成者”と評される。しかし、分裂・解体する身体の表象にはじまり規範破壊的な文語詩篇にいたる、朔太郎の詩的言語の展開と、詩論における徹底した日本語批判は、そのような文学史的常套句におさまるものではない。

それは、平行して産み出された多くの散文(アフォリズム・散文詩・エッセイ、小説「猫町」など)においても明らかであろう。進歩主義的時間観への批判と倦怠意識。江戸川乱歩との親交にも明らかな、匿名化・群集化する都市空間への羨望と違和感。ポオ、ニーチェ、ドストエフスキイへの親炙と、彼らに重ねられるようにして展開する与謝蕪村や松尾芭蕉への(再)評価。晩年の小泉八雲評価や、いわゆる「日本への回帰」も問題となろう。これら朔太郎の振幅に満ちたエクリチュールの彷徨は、彼の立体写真、アマチュアオーケストラ、マジックなどの実践や、映画、ポピュラー音楽などへの嗜好とも結びつき、日本の近・現代と対峙し続けているのではないか。その諸相を問う機会としたい。

発表概要

『月に吠える』と戦争─日露戦後/世界戦争期文学としての『月に吠える』
安智史(愛知大学短期大学部)

萩原朔太郎(1886~1942)の初期短歌から、第一詩集『月に吠える』(1917)にいたる彷徨期は、日露戦争から第一次世界大戦期に重なる。『月に吠える』で直接に戦争がからむ詩篇は、銃殺刑に処せられる男を主人公とする「贈物にそへて」のみである。しかし、20世紀戦争をめぐる表象は、朔太郎詩の基層そのものにかかわるのではないか。

たとえば朔太郎詩篇には汽車が欠かせないが、その背景にも日露戦時の動員体制の確立があった。『月に吠える』の中核詩篇が発表される1914年は世界大戦が勃発し、世界帝国化する日本のネットワークの結束点として東京中央停車場「東京駅」が開業する年である。しかし朔太郎はその時期むしろ前橋に引きこもり、自己の身体=知覚を環境世界との異和にみちた媒体とし、臨界的なエクリチュールを実践した。

同時代、文字通り死と破壊にみちたヨーロッパの主戦場では「同質的視覚が破壊され知覚の場の異質性が表面に引き出され」(ポール・ヴィリリオ『戦争と映画』)ていた。『月に吠える』詩篇のバラバラの身体=知覚表象の根底にも、日露戦争から世界戦争にいたる20世紀戦争のイメージが関与しているのではないか。『月に吠える』収録詩篇のみならず、未収録詩篇や生前未発表ノートなど他の朔太郎テクストも参照しつつ、『月に吠える』刊行期にいたるテクスト生成に潜む戦争の影を検証する。

萩原朔太郎の〈天上〉志向─〈光〉〈闇〉そして〈影〉
勝原晴希(駒澤大学)

萩原朔太郎の表象空間の強度を考えるとき、〈光〉の表象の再検討は欠かせない。朔太郎は北原白秋の影響下にあった「有明のうすらあかり」(「夜汽車」)という微弱な〈光〉の世界での停滞状態から、やがて室生犀星の刺激によって〈光〉を求める過激な運動を開始するのだが、その終局に位置する「浄罪詩篇」には、松・竹・梅・鶴・亀という日本的(とされる)表象を伴って、〈天上〉の〈光〉が現れている。

この当時の朔太郎の詩論「光の説」によれば、「光とは詩」であり、「『形』でなくて『命』である。概念でなくてリズムである」。〈概念〉とは意味の形骸化であり、〈リズム〉とは意味の生成であるとすれば、〈光〉=〈詩〉とは意味の生成と死滅が繰り返される領域であり、そこには意味へと分節化される以前の虚無と豊穣がある。

白秋に倣った光明遍満の世界に至りながら、朔太郎は耐えられず〈天上〉志向を放棄した。〈光〉から〈闇〉へ。そこに現れた解体された身体とは、精神としての身体(市川浩)ならぬ身体としての精神であろう。大正時代に動力は蒸気から電力に移行し、多くの家庭に電灯がともるようになった。また見逃せないのは、賛美歌における〈光〉と〈闇〉の対照である。

朔太郎の〈天上〉志向に大きな影響を受けた詩人に、原口統三と清岡卓行がいる。朔太郎とともにランボーに傾倒していた二人の詩編をも参照しつつ、〈天上〉志向の意味するものを改めて考えたい。

「青猫・以後」と郷愁─「のすたるぢや」の歴史性
熊谷謙介(神奈川大学)

朔太郎の百年――、このような問いかけから逃げ出すかのように、朔太郎は都会を気だるく夢想した『青猫』と、現実の荒々しい手触りを擬似文語体で表現する『氷島』の間に、「青猫・以後」と呼ばれる、20編の詩を残している。時間も場所も不定の、あてどない旅路で繰り返し語られるのは、「記憶の時計もぜんまいがとまってしまつた」(「風船乗りの夢」)時間のない世界であり、無限の時である。このプラトニズムを背景とした「郷愁」というモチーフは、生涯趣味として続けられた写真や、『郷愁の詩人 与謝蕪村』のような俳論に結実するだけでなく、後年台頭する、日本浪漫派に代表される「回帰」の問題にも関係するだけに重要である。

しかし、博覧会やパノラマ館、港、「光線のわびしい」地方などのトポスに垣間見られるのは、西洋そしてその詩的遺産へのエキゾチックな憧憬である。また『青猫』から『定本青猫』に見られる挿絵の変遷は、ある特定の時代への参照へと導くように思われる。そして「時のない時」というモチーフ自体、その表象の様式を検証することで、むしろ近代的なものに属することが明らかになるのではないか。

本発表では、朔太郎の詩作品の分析を中心としながらも、写真や挿絵、さらには『猫町』や「日清戦争異聞(原田重吉の夢)」といった短編小説との関係にも触れることで、朔太郎の「のすたるぢや」が誘うところについて考えたい。

文化としての〈手品〉と萩原朔太郎の詩学
栗原飛宇馬(萩原朔太郎研究会)

晩年の萩原朔太郎は、TAMC(東京アマチュアマジシャンズクラブ)に入会するほど手品に熱中していたが、そのことと彼の文学との関係は、従来の研究ではほとんど言及されてこなかった。そこには、手品は単なる遊びであり、文学とは無関係なものとみなす意識が強く作用していると思われる。これは一般に、手品が〈文化〉としての価値を認められていないことと無縁ではあるまい。

一方で、朔太郎の生涯の親友であった室生犀星は、この詩人を追悼した小説『我友』の中で、手品に神秘や象徴とつながりを見出し、詩との結びつきを主張する茅原(=朔太郎)の姿を描いている。この見方に従えば、朔太郎の手品趣味は、もう一つの趣味であった立体写真同様、この世のどこにもないものへの〈郷愁〉に連なるものであり、詩を〈現在(ザイン)しないものへの憧憬〉と規定する『詩の原理』に通じるものである。

事実、朔太郎自身も、随筆「詩の本質性について」やアフォリズム「遊びへの熱意」の中で〈文学上の手品〉の必要性を唱えている。手品と彼の詩学との関わりは、十分考察に値するテーマと言えるだろう。

と同時に、朔太郎が手品に〈文化〉としての独特な価値を見出した希有な詩人であることも検証したい。所属していたTAMCの指針や、手品を戦争に利用した陸軍の研究活動を視野に入れることで、時代に対立する朔太郎の独特な姿勢が見えてくるはずである。

広報委員長:横山太郎
広報委員:江口正登、柿並良佑、利根川由奈、増田展大
デザイン:加藤賢策(ラボラトリーズ)・SETENV
2017年11月11日 発行