単著

星野太

崇高の修辞学

月曜社
2017年2月

現代においては美学的概念として定着している「崇高」であるが、本書ではこれを相対化するもう一つの歴史、「修辞学的崇高」の系譜が描かれる。本書のキーワードである「修辞学的崇高」とは、端的にいえば「言語活動を対象とする崇高論」のことである。古代から現代までを貫くこの「修辞学的崇高」の系譜に光を当てることで、本書は「崇高」をめぐる議論に新たな視座を導入する。

「『崇高論』と古代」と題された第一部においては、西洋における最古の「崇高論」として知られるロンギノスの哲学的読解がなされる。そこではロンギノスにおける「ピュシス」と「テクネー」(第一章)、「パンタシア」と「パトス」(第二章)、「カイロス」と「アイオーン」(第三章)の関係がとりあげられ、それぞれ哲学的な観点から読解がなされている。とりわけロンギノスにおける「ピュシス」と「テクネー」の入り組んだ関係を丁寧に読み解いていく第一章は、「みずからの存在を隠すテクネーのはたらき」(ヘラクレイトスによる「ピュシスは隠れることを好む」という箴言を丁度反転させたかのようである)をロンギノスの「修辞学的崇高」のキーテーマとしてとりだす大変スリリングな議論である。

第二部「変奏される『崇高論』」では、「美学的崇高」が前景化する近代においても、常にその内部に「修辞学的崇高」の系譜が続いていることが、ボワロー(第四章)、バーク(第五章)、カント(第六章)のテクストの読解によって明らかにされる。

第三部「崇高なるパラドクス」では、20世紀における「修辞学的崇高」のさまざまな展開について論じられる。ドゥギー(第七章)、ラクー=ラバルト(第八章)、ド・マン(第九章)とそれぞれに興味深い議論が行われているが、とりわけラクー=ラバルト論においては、「ピュシス」と「テクネー」のあいだのパラドクスを含む「ミメーシス」が「双曲線的=誇張論理学(hyperbologique)」的な関係にあることが指摘され、さらにそこでの議論がド・マンの「機械」としての言語論に接続されていく部分など、「修辞学的崇高」という概念に含まれる問題系の面白さが十分に発揮されているといえるだろう。

最後に、内容は高度でありながらも、全体を貫いて非常に親切な記述になっているのもこの書の特徴であると思われる。その意味でも、様々な読み手へと開かれることで今後さらなるポテンシャルが発揮されていく著作であると思われる。

(渡邊雄介)

広報委員長:横山太郎
広報委員:江口正登、柿並良佑、利根川由奈、増田展大
デザイン:加藤賢策(ラボラトリーズ)・SETENV
2017年7月29日 発行