新刊紹介

佐藤 千登勢
『シクロフスキイ 規範の破壊者』
南雲堂フェニックス 、2006年07月

ペレストロイカ以降ロシア・ソビエト文化研究は新たな局面を迎えた、などと盛んに言われたが、では何が新しくなったのかと言われると、なかなか具体的に言えないという時期が続いたように思う。ペレストロイカに前後してロシアで現れた研究は、社会主義時代の性急な否定が目立ち、本国のロシアがまず信頼に足る情報リソースとして機能しなかった。しかし、それまではアクセスすることができなかった様々な資料に触れることができるようになったのも確かであり、それらに基づいた新しい研究の成果は、やや時間をおいて、最近ようやく現れてきたと言えるだろう。佐藤千登勢による『シクロフスキイ──規範の破壊者』もまた、そのような新しい研究のうちの一つである。著者はまず、「異化効果」を知覚とテクノロジーの問題系に位置づけ直すことでメディア論的な想像力に接続する。異化効果の要である「知覚の刷新」のモデルとなったのは何よりもまずまだ新しかった映画であり、その新しさの手触りそのものへと遡行することで、前衛的実践の紋切り型に堕してしまった「異化効果」それ自体を異化しようとするのである。ここで同時代人として召還されるベンヤミンの像がやや古びたものである点は否めないが、しかし本書のもっとも刺激的な点は、そうした遡行を通じて、シクロフスキイの生涯をも不断の異化のプロセスとして描き出しているということであろう。シクロフスキイ自身が自ら築き上げた理論的実践を規範として破壊し、また新たな規範を自ら生成させる。「異化効果」はここでは不断の自己刷新のプロセスとしてシクロフスキイ自身の生の軌跡と重ね合わされている。その意味で異化効果はいかなる意味でも「シクロフスキイ」という固有名と切り離して考えることはできないのだ。合理的な科学性の元に標榜された異化効果は、実はこのような単独性において理解されて、はじめて普遍性へのアクセスを獲得するのではないだろうか。 (畠山宗明)