編著/共著

石田美紀、ほか(分担執筆)

ルキノ・ヴィスコンティの肖像

キネマ旬報社
2016年8月
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映画監督ルキノ・ヴィスコンティは1906年に生まれ、1976年に亡くなった。つまり2016年は、第二次大戦後のイタリア映画を代表するこの監督の生誕110年と、没後40年にあたる。本年は各地で回顧上映が開かれているが、『ルキノ・ヴィスコンティの肖像』もふたつの周年を祝福するべく刊行された。

本書はタイトルのとおり、ヴィスコンティの監督作の一本一本をたどりながら作家の肖像を描き出していくことを目的として編まれているのだが、そこにはヴィスコンティが自作について語ったコメントと日本で発表された評が対にして収められている。作家の言葉とイタリアから遠く離れた日本での反応は一致するとはかぎらず、ときに齟齬をみせることもある。

ヴィスコンティの日本との邂逅は、1954年、オムニバス映画『われら女性』の一篇「アンナ・マニャーニ」(1953)の公開時に遡る。以降、増村保造、淀川長治、三島由紀夫、寺山修司、唐十郎、渋澤龍彦、円地文子、蓮實重彦をはじめ、多くの論者がヴィスコンティについて言及してきた。

本書が収録する言説は、いまとなっては、それじたいが歴史的な言説である。日本はヴィスコンティと彼の映画にどのように反応してきたのか。本書には、時代時代において変容するヴィスコンティ受容の軌跡もまた記録されている。

(石田美紀)

広報委員長:横山太郎
広報委員:江口正登、柿並良佑、利根川由奈、増田展大
デザイン:加藤賢策(ラボラトリーズ)・SETENV
2017年3月29日 発行