研究ノート 吉松覚

アーカイヴの熱狂のさなかで
吉松覚(パリ西大学)

近年のジャック・デリダ(1930-2004)の研究において、「デリダとアーカイヴ」というテーマが大きく前景化しつつあるように思われる。ヨーロッパにおいてであれ、英米においてであれ、この哲学者をめぐったコロキウムがあると、そのパネルのうちのひとつをアーカイヴ論が占めるということは決して珍しいものではなくなった。その背景には大きく分けて二つの文脈が存在している。ひとつはデリダ自身が思想の記憶や継承、歴史の生起する場としてのアーカイヴという場そのものについて論じていたという理論的背景(※1)、いまひとつはデリダ自身のアーカイヴが、彼自身教鞭をとっていたカリフォルニア大学アーヴァイン校およびフランスは北西部のカーンという街に残る修道院を改装して作った現代文学記憶研究所(Institut Mémoires de l’Édition Contemporaine, IMEC)にて公開されたという資料的背景である(※2)。拙報告はIMECでの滞在中に行えた資料調査を踏まえてのものであり、決して完全とは言えないかもしれないがご容赦いただきたい。

1. IMECという場

さて、IMECとはどういった場であるのかについてまず紹介したい。同研究所は先述の通りノルマンディー地方のカーンから自動車で20分ほど行ったところにあるアルデンヌ修道院を改装して作られたものであり、研究所内には宿舎を備えており泊まり込みで集中的に研究できる場となっている。またアーカイヴもデリダのみならず、レオン・ブランシュヴィックなど20世紀初頭に活躍した人物からアルチュセールやフーコー、レヴィナスらの遺稿、さらにはディディ=ユベルマンやドゥギーなど今なお存命中の作家や研究者の草稿をも保存しているという。実際筆者が訪問した際も、ボンヌフォワやデュラス、メショニック、そしてジャン・ポーランの草稿を求めてフランス内外から来た多くの研究者とともに滞在した。

IMECを訪問する大部分の研究者は教会を改装した図書館で資料の閲覧および研究をすることになるが、同図書館内にはIMECで草稿を管理している作家の著作や研究文献、さらには著作の外国語訳やフランス語以外の研究書も開架書庫に収められており、狭義の草稿調査にとどまらない作業も可能となっている。

奥に見える教会が図書館に改装されている

さらに、IMEC滞在中には夕食時にデリダアーカイヴを管理している女性と同席することができた。彼女によると、デリダの草稿、書簡、さらには保存の必要性があるのか疑わしかったが、さる講演にて話す内容を決めた記念でデリダが保管していた遺品までもが管理されているのだという。まさに『アルシーヴの悪/病』でデリダがフロイトのテクストにいみじくも指摘した、アーカイヴを無に帰してしまうかもしれない「何をアーカイヴにするか」という痕跡の抹消の作業を、スペースの許す限り極力せずにいるということだろうか。

図書館内部の様子

2. デリダのセミネール原稿

デリダは1959年にル・マンのモンテスキュー高校で教員としてのキャリアをスタートさせ、以来43年間にわたりセミネールを開いた。その草稿が編纂され、出版が始まったのは彼が歿してから4年後の2008年である。43年分すべてを合わせると14000ページ近くに上り(※3)、現在まで合計5巻が出版されている。さて、当のデリダのセミネール原稿が注目に値するものである理由は何だろうか。まず、デリダは論文や講演とならんで、セミネールに加筆修正を加えたものを著作として出版することの多かった思想家であった。そしてそのセミネール原稿は毎年、彼の最初の主著のひとつである『グラマトロジーについて』と同等の量が用意されていたのではないかとも言われている(※4)。事実、閲覧できたセミネールは12回前後で構成され、各回は20ページ前後の長さであった。デリダが生前に発表したテクストだけではわからなかった情報も、セミネール原稿を読むことで得られるだろう。加えて、セミネール原稿から著作のあいだになされた改稿による異同を検討することで、術語の練り上げなどデリダの思想における変遷、デリダの哲学素の生成をたどることができるだろう(※5)。セミネールの公刊が進むにつれて今後デリダの思想は大きくその受容のされ方が変わっていくことだろう。そうした観点から、これらのアーカイヴの資料的価値は非常に大きいと言えるだろう。

3. 「生死」講義

さて、筆者はデリダの思想における切迫と自己/異他触発という問題系から彼の最晩年の哲学素である自己免疫概念の生成についての博士論文、およびその前段階としてフランスでデリダの切迫論についての修士第二課程論文を準備中であり(※6)、今回のIMEC訪問もフランスでの指導教官であるペーター・サンディ氏に研究計画を話した際に氏から1974-75年講義「生死」の閲覧を強く推薦されたことにあった。

この「生死」講義は全14回の講義で、ニーチェの『この人を見よ』の読解とカンギレム『生命の認識』への参照から始められている。また、個別的なテクストの精読として第4-6回がフランソワ・ジャコブの『生きものの論理』の読解に、そして最後の4回はフロイトの『快原理の彼岸』の読解にあてられている。後者のフロイト読解は加筆修正ののちに『絵葉書』(1980)所収の「思弁する──フロイトについて/フロイトを超えて」として出版されている(※7)。デリダが生前公刊したテクストにおいてカンギレムへの言及はほとんどない中、同講義では幾度となく学生たちにカンギレムを読むように勧めている。デリダのカンギレム受容はデリダが生死概念をいかに練り上げていったかという問いの重要な参照点として今後も注目に値することだろう。加えて、イタリアのサレルノ大学で教鞭をとるフランチェスコ・ヴィターレはとりわけ同講義のジャコブ読解に焦点を当て、「生脱構築〔biodéconstruction〕」というプロジェクトからデリダを読解している。ジャコブは同著作の劈頭で「遺伝子へのプログラム〔=前もっての書き込み〕と生殖=再生産〔reproduction〕」について論じているが、デリダはエクリチュール論としてその論述に注目しているという見立てである(※8)。実際デリダは『グラマトロジーについて』の半ばでサイバネティックスについて語っており、最晩年では自己免疫、動物を論じていた。やや牽強付会かもしれないが、「死刑論」セミナーでも生について論じられる箇所もあった。デリダのこうした思想形成において、「生死」講義が「ミッシングリンク」として果たす役割は大きいだろう。

4. Archive Fever

デリダのアーカイヴが公開された結果、それまで一部にしか公開されていなかった資料にもアクセスできるようになったことで、多くの研究者によってデリダの草稿調査が進められている。それと並行してアーカイヴ調査に基づく新たな評伝がアメリカで出版され、反響を呼んでいる(※9)。こうしたデリダアーカイヴの研究が沸き立つなかで、生前からデリダと親交があり、デリダ論を多くものしてきた研究者も、或る資料が発見されたことで自らのデリダ理解を多少なりとも修正しつつあるとも漏れ伝わっている。紙幅の都合で『アーカイヴの悪/病』における過去と未来についての議論を丁寧に追うことはできないが、アーカイヴ化することは出来事を記録することだけでなく出来事を生み出すことであるというデリダの記述を想起してみよう(※10)。アーカイヴは──さらには先にも言及したような一見不必要かに見える遺品すらも──、今後さらに新たなデリダ観がもたらされる呼び水となるかもしれない。アーカイヴの熱狂はまだ始まったばかりである。

吉松覚(パリ西大学)

[脚注]

※1 デリダのアーカイヴ論としてはフロイトのアーカイヴをめぐった講演Mal d'archive, Galilée, 1995〔『アーカイヴの病』、福本修訳、法政大学出版局、2010年、以下MAと略記する〕、および対談を書き起こしたTrace et archive, image et art; Suivi de Pour Jacques Derrida, Institut National de l'Audiovisuel (collection Collège iconique), 2014を見よ。

※2 アーヴァインのデリダアーカイヴについては、以下のサイトを見よ。「ジャック・デリダ・アーカイヴ
また、かつては晩年のセミネール原稿がIMEC、それ以前はアーヴァインと分けられていたものが、現在では相互に補完し合うことで、多様な資料にアクセスしやすくなったことも付記しておきたい。

※3 西山雄二「訳者解説」、ジャック・デリダ『獣と主権者 Ⅰ』、西山雄二/郷原佳以/亀井大輔/佐藤朋子訳、白水社、432頁。

※4 浅利誠「デリダのセミネール 1984-2003」、『別冊 環』13号「ジャック・デリダ1930-2004」、藤原書店、2007年、282頁。

※5 亀井大輔は1964-65年講義『ハイデガー──存在の問いと歴史』が『幾何学の起源・序文』(1962年)と初期三部作『声と現象』、『グラマトロジーについて』、『エクリチュールと差異』(どれも1967年)のあいだの時期に行われたこと、そしてこの5年間で雑誌や論集で発表された原稿が著作として出版されたときに改稿され、そのなかでデリダ的概念が生まれたことが浮き彫りになっていることを指摘し、同講義を「デリダの初期の思想形成におけるミッシングリンクをなしている」としている。亀井大輔「自己伝承と自己触発 デリダの『ハイデガー』講義(1964-1965)について」、『現代思想』2015年2月臨時増刊号「総特集・デリダ 10年目の遺産相続」、青土社、2015年、174頁。

※6 詳細は以下の拙文を見よ。吉松覚「生(の力)を別の仕方で思考すること?」、『現代思想』2016年3月号、青土社、2016年。

※7 実際、『絵葉書』所収の「思弁する」でも、かつてフランソワ・ジャコブを読解していたことが参照されている。

※8 ヴィターレ氏の「生脱構築」プロジェクトとしては「テクストと生物:生物学と脱構築のあいだのジャック・デリダ」、西山雄二+小川歩人訳、『人文学報 フランス文学』、512-15号、首都大学東京、2016年、167-190頁、および « Via rupta : vers la biodéconstruction », in Appels de Jacques Derrida, précédé d’un texte de Jacques Derrida, « Justices », éd. D. Cohen-Lévinas et G. Michaud, Hermann, 2014, pp.425-444がある。

※9 Edward Baring, The Young Derrida and French Philosophy, 1945-1968, Cambridge University Press, 2011.

※10 Derrida, Mal d’Archive, p. 34〔前掲訳書26頁〕